9篇 邪神5


 ロキが神の国を離れてから一週間ほどの時が経った。
 世界はなおも雪に全てを覆い尽くされ、皆この世界の冬の厳しさを理解し今まで耐えてきていたが、それ以上のいつ終わるかわからぬ極寒に、精神をじわじわと蝕まれている。
 それは、常に冷たい空気を纏う巨人の国の者達も例外では無かった。
「はぁぁぁぁぁ。冷えた身体に蜂蜜酒がクるなぁ!」
 巨人族の下っ端三人はは、焚き火の周りに身を寄せ合いながら酒をくみかわしていた。
「早く冬が明けねっかなぁ。おいら、寒すぎて死んじまう」
「そうさなぁ。神族の奴等が弱ると喜んでおったけど、おいら達も寒さに負けそうになるだなんてな。情けねぇ」
「情けねぇ、といや……お前等、ロキ様のこと聞いたか」
 一人の巨人族がそう話を切り出した。
「あぁ、先日来たみたいだな。おいら達はいなかったが……ロキ様がこの国にやってきたってのは驚いたなぁ」
「なんだったかな。仲間になりたいって来たんだろう?」
「そうだ。それでよ。ウードガルザ様はロキ様に、巨人族の仲間に入る条件として、複数の巨人族と七メートル級の巨人族を相手にさせたってよ」
 巨人族達は時を経て、エネルギーを巨体にではなく自身の筋力へと加えられていった。そのため、年々巨人族という名でありながら、彼等の身長は多種族と変わりない者や二メートル程度の者が多い。
 しかし、遺伝子はそう易々と変わることはない。中には、今までの巨人族の血を受け継ぎ、大きくとも七メートルの者達は少なからず存在するのだ。
「おぉ、知ってるべ。速攻で勝ったんだろ? 魔法も使わずに素手で」
 そう。そんな彼等に、自身よりも遥かに大きな者達複数人を相手に、ロキはなぜか魔法も使わずに、勝利を掴んだのだ。
「おうよ。聞いた話じゃ、相手した奴らは『ロキに殺されるかと思った』なんて言ってやがる。情けねぇと思わねぇか! 元は巨人族とはいえ、神族にいた奴に負けちまうなんてよ!」
「でもよ、あのロキ様だぞ? 我等のご先祖様達でさえ勝てなかった、炎の巨人スルトの子だ! 強いに決まってら!」
「そうだけど……おっ?」
 ロキの噂話をしていた彼等の近くにある通路で、何やら他の巨人族の下っ端達がざわつき始める。三人もその通路へと向かう、と。
「おぉ、噂をすれば……」
 その通路には、彼等がちょうど話していたロキの姿があった。ロキは今まで身につけていた神族の服を脱いで、服やローブも何もかも、彼の今の心を現すかのように、黒一色に身を包んでいる。
 彼は巨人族にしては、数少ない容姿の優れた者であるため、見た目だけでもかなり目立つのだが。その顔に現す表情は、固く重く暗く冷たく、この場に緊張感を走らせている。だが。
「ロっキちゃあああああああああん」
 そんな重い空気を、アングルボザの黄色い声が破る。アングルボザはロキの腕へと擦り寄り、甘い声を出す。
「うふふ。こうやってー、ロキちゃんにー、昔みたいにー、ここで抱きつけるなんてー、夢みたーい!」
 嬉々と話し、頬を赤らめるアングルボザの姿に、ロキを見ていた筈の巨人族の下っ端達が彼等に悲しみの目を向ける。
「あの! 皆が愛でるアングルボザ様に気に入られているとはっ!」
「うっ、羨ましい……!」
 巨人族の下っ端達が羨む中、ロキは無の表情を変えず、抱きつくアングルボザの腕を強く払い除ける。
「邪魔」
 冷たい声音で言い放ち、ロキは再び歩き出す。そんな彼の態度にアングルボザは、うっとりと「冷たいロキちゃんも、す・て・き」と目をとろけさせながら、彼の後を追う。
 そんな二人の遠ざかる背を、巨人族の下っ端達は、虚しさを背負いながら自身の持ち場へと戻っていくのであった。そうして、通路に群がる者はいなくなり、ロキとアングルボザのみとなった。
「ねぇ、ロキちゃーん」
 静かな、雪の降る音しかしない通路で、アングルボザの甘くねっとりとした声が鳴る。
「仲間になったお祝いしましょうって〜! 私、ロキちゃんの為に料理頑張ったのよ〜!」
 そうアングルボザが話しかけるものの、ロキはそれを無視している。そんな彼の態度を、はじめは喜んでいたアングルボザであったが、だんだんと不満を抱き始めていく。
 彼を自身に惹きつけさせるにはどうしたらいいか、と。アングルボザは彼に振る話題を見つけようと、歩きながら考え込む。
「あっ! そうよ!」
 アングルボザは何かを思い出し、駆け足でロキの隣へと向かう。
「ねぇ、ねぇ、ロキちゃん」
 アングルボザはにこり、と。愉悦な眼でロキを見つめる。
「あの盲目の神ホズが、死んだんだって」
 ロキの足が止まる。
「……は?」
 ロキは彼女の言葉が信じられないと言いたげに、目を丸くさせた。
 彼が自分の方を向いてくれた事に喜びを感じながら、彼女は話の内容の暗さとは真逆に、意気揚々と話し始める。
「見てたわけじゃないし、詳しくは分からないんだけどねぇ。盲目の神が自ら名乗り上げて! 『自分が光の神を殺したんだ』って! それで、オーディンの怒りを買っちゃって、即処刑! あはは! 可哀想な最後よねぇ!」
 アングルボザが楽しげに話したものを全て聞き終えたロキは、何も、言えずにいた。
「あとねロキちゃん、もう一つ面白い話があるの〜!」
 ロキが興味を持ってくれることに喜びを感じたアングルボザは、「あのね、あのね。さっきのホズの話もすごいんだけどねぇ。この話はねぇ。ロキちゃん、聞いたら驚いちゃうと思うんだけどねぇ」と、もったいぶりながら口を開く。
「神族達、光の神バルドルを生き返らせるんだって」