そんな彼等の背後から、とある声が聞こえてくる。彼等がそちらを振り向くと、一人の男神がいた。彼はにっこりと微笑むも、彼等の表情は険しいものである。
「フレイ様、フレイヤ様。こんなところにおられたのですね。探しておりましたよ」
どうやら、この男神は豊穣の兄妹の仲間、要するにヴァン神族のようだ。
「なかなか戻られないとのことで、探しに参りました。ニョルズ様も心配されておりますよ。さぁ、共に戻りま……なんの真似です?」
そんな彼に対し、豊穣の兄妹はそれぞれ武器を構えた。
「ニョルズが心配をしている? 嘘はもっと上手く吐くことね。あの方が心配しているのは、我々の安否ではなく計画漏れが起こることへの心配では?」
「我々は戻らん。我々がやってきた事をホズ様と共に自白し、罪を償う」
豊穣の兄妹の宣言に、男神は「それは残念ですね」とにこりと微笑みながら指を鳴らすと、木の影に隠れていた神族達が姿を現れる。兄妹達はあっというまにヴァン神族に囲まれてしまう。彼等は腰に差していた鞘から剣を抜き、剣先を構える。
「さてさて。お二方にはみっちりと、罰を受けていただかなければ」
「いいえ。そんなことはさせない」
「はい?」
そんな言葉を放ったのは、ナルであった。ナルは彼等を睨み、手を前へと突き出す。
「罰を受けるのは……貴方達よ!」
《ナウシズ》
いつもよりも強く凛とした声音で唱えた魔術が、神族達を弾き飛ばしていく。それにより、一人の手から剣が離れる。
「兄さんっ!」
「おう!」
ナリは地面を強く蹴り、宙に舞う剣を掴み取る。そのまま重力に従って彼は地面へと落ちる。着地に合わせて、すぐさま残っている神族達に斬りかかっていく。それを皮切りに、豊穣の兄妹も戦闘へと加わっていく。
「くそっ、気味の悪いものを使いおって! お前ら! 相手はたったの四人だ! 怯むではないぞ!」
神族達も自身の魔法や剣術を駆使するものの。珍しいナルの魔術とフレイヤの魔法、ナリとフレイの身のこなしや剣さばきに翻弄されてしまっている。続々と神族達は彼等に倒されていき、ナリ達が優位の立場へと上りつめていく様子に、先導していた男神はこの状況に歯軋りをする。仲間内で戦闘に乱れが生じ始め出した所で。「ナリ、ナル!」とフレイが兄妹の名を叫ぶ。
「ホズ様を連れて、先に行け!」
フレイの提案にナリは「でも」と眉をひそめるものの、彼はギュッと目をつむり、「分かった」と背に迫ってきていた相手を峰打ちで倒しながら返事をし、ナルと彼女が守っていたホズの元へと駆け寄る。
「ホズさん」
フレイの言葉を聞いていたナルは、周囲に透明な壁を貼って警戒をしながら、ホズに手を伸ばす。しかし、ホズはナルの目を見ずに「……僕は、行けないよ」と、その手を彼は取ろうとしなかった。
それでも、ナルは「ホズさん。お願い、一緒に来て」と彼に手の平を向ける。女性らしい小さく白い手。それを見つめるホズは、「じゃあ、一つ聞いて欲しい」と自身の手をナルの手に近づける。
「この手を取ったら、どうか……僕の事を嫌いになってくれ」
ホズの言葉の真意を、彼女は理解できない。それでも彼女は、彼が差し出してくれた手を強く強く握った。
ホズと兄妹はヴァン神族との戦いの場から離れ、森の中を走っていく。
「ねぇ、どこにいくのん?」
そんな中、頭上から聞こえてきたねっとりとした声。その声が耳に入ったと同時に、彼等に鳥肌が立つ。声のした方へと顔を向けると、その木の上には兄妹がホズを見つけた時に傍に居た者の姿があった。その者は華麗にそこから飛び降り、兄妹の前へと現れる。
「ホズ、ダメじゃないの。我々を裏切るの?」
「……アングルボザ」
その者がフードを脱ぐと、その下からアングルボザの顔が見える。巨人族がなぜここに居るのか、どうやって入ってきたのか。そんなこと、今この状況ではどうでも良いことだ。
「もしかして、アンタがホズさんに」
「あら、言いがかりはやめて」
アングルボザは悪戯な笑みを向ける。
「盲目の神ホズが、オーディンを殺したがっていたのは本心。それは、我々巨人族の願いでもあったわけだからねぇ。互いの願いが同じだからこそ、そのきっかけや殺す為の算段を用意してあげただけよん。でも、死んだのはバルドルだった」
バルドルの名に、ホズは手を震わせる。その震える手を、ナルは両手で包んでやる。
「それは私達もまさかとは思ったけれど……私にとっては喜ばしいことだった。だって……あのロキが悲しんでいるから!」
アングルボザの言葉に後退りし、彼女に冷たい目を向ける。しかし、彼女は彼等から受けるその目に対し、満面な笑みを浮かべる。
「喜ばしいって、どういう意味ですか。貴方は、親友を亡くした父さんが悲しむのが、願いだというんですかっ!」
ナルの怒声に、アングルボザは「いいわね、いいわね、怒る貴方の眼は素敵だわぁ」とナルの顔を舐め回すかのように見ている。
「……っ! 答えて!」
「フフッ、そう急かさないで。でもそうね。私の願い……それは、ロキが巨人族に戻ってくること。それは同意なんだけれどねぇ。私は、私の愛を受け入れてくれなかったロキには、思いっきり悲しんで欲しいの。悲しんで悲しんで悲しんで、深い闇に染まったロキを、私は見てみてたいのよ! それが私の願い!」
アングルボザは舌なめずりをし、彼等を睨む。
「……だから、邪魔しないでちょうだい」
アングルボザは勢いをつけて彼等の元へと走る。ナリはナルとホズを自身の傍から離れさせ、剣を構える。アングルボザは正面から彼に拳を向ける。ナリが拳を避けると、それは彼の背後にあった大木が受け、そこに大穴を開かせた。大木はぎぃぃぃと音を立て、上部分は地面へと落とされた。
それを見たナルは兄の援護のため動こうとする、が。それを見抜いたアングルボザは瞬時に彼女の目の前へと飛び、その腹部に蹴りを入れる。彼女はその衝撃で背後の大木まで吹き飛ばされ、大木に叩きつけられた衝撃で、彼女は地面へと倒れてしまう。
「ナルっ!」
「あらあら、よそ見はいけないわ」
ナリが妹の元へと駆け寄ろうとするのを、アングルボザが目の前へと現れ、拳をぶつける。咄嗟のことでナリはその拳を剣で防御した、のだが。彼の持つ剣の刃は、その拳を受けた場所からヒビが入り、それは波のように広がっていき、刃が粉砕する。
「さぁ、どんどんいくわよ〜」
両側に結んだ薄紫の髪が彼女の戦闘方法とは真逆に愛らしく揺れる。ナリは刃が粉砕してしまったことに驚くことも出来ず、次々とその者の拳や蹴りが襲ってくるのを、間違って受けてしまわぬように避けるのに精一杯であった。
今起こっている事を耳で感じ取っていたホズは、ナリの援護もナルを助けることも出来ず、冷たい雪の地面に座りこむ事しか出来ずにいた。
「アングルボザ! やめろ! 君が欲しいのはロキだけだろう! 僕は僕がやったことを誰にも話さない! だからやめてくれ!」
ホズが懇願するものの、アングルボザはそれに聞く耳を持とうとしなかった。アングルボザは何発も拳や蹴りを入れるが、ナリは反撃の一手を掴めず相手からの攻撃を避ける事しか出来ずにいた。そんな戦いが気に食わなかったのか、アングルボザは一度動きをとめ、ため息を一つ。
「つまんない」
「えっ」
「避けてばかりでつまんないって、言ってんのよ〜! 貴方、ロキの子供でしょーがっ!」
「うっ!」
アングルボザは右脚でナリの腹に蹴りを入れ、彼はその衝撃で近くにあった大木へと激突してしまう。彼はそのまま地面へと顔から倒れこむも、踏ん張って起きあがろうとする。しかし、立ち上がる前にアングルボザが彼の左腕を掴み、軽々と持ち上げてしまう。
「はい、戦闘をつまらなくした罰でぇ〜す。えいっ」
楽しげな声と共に、重く鈍く砕ける音が鳴る。ナリは声に出せないほどの苦痛を叫んだ。アングルボザは彼をナルが倒れている木へと投げ飛ばした。痛みで何も抵抗が出来ず、またも身体を強く大木に叩きつけられたナリは、立ちあがろうとはしなかった。
「にい、さんっ」
ナルが何度も何度も声をかけて揺さぶるものの、彼は起きることはなかった。
「あら、痛みで気を失った? 残念。今度は足も折ってやろうと思ったのに」
アングルボザは何度も兄の名を呼ぶナルの姿をじっと見つめ、「そそるわねぇ」と舌なめずりをする。こんな光景に笑い声をあげて高揚感に浸るアングルボザは、「あっ、いいこと思いついちゃった」とこの場に相応しくない陽気な声を出す。
「もし貴方達が死んだら……ロキ、泣くかしら」
アングルボザはゆっくりと歩みを進め、彼等の前へと立つ。
「えぇ、えぇ、えぇ、そうねぇ、きっと彼は泣くわ! だって貴方達を愛しているんだもの! 私を愛さなかったロキが愛した女と産んだ子だもの!」
アングルボザの浮かべる笑みを、ナルは目撃する。それは、狂気そのものだった。
「ロキの、ロキの泣き顔が見れる……フフッ、フフッ、フフフフフフ!」
その笑う姿に恐怖を感じていたナルに、アングルボザは手を伸ばす。
「貴方もおやすみ、ロキの娘ちゃん」