8篇 愛が死んだ日2


 互いの空気が柔らかなものとなり、そこでナリが空気を変えるが如く、手を大きく叩く。
「で? これからどうするんだ」
 ナリの問いかけにフレイが「それは」と話を始める。
「ひとまず、共にエアリエルとフェンリルの元へ行こう。そこにはテュールも居るはずだ。そこで、我々ヴァン神族がやってきた事も話す」
 はっきりとしたフレイの物言いに、ナリとナルは「分かった」と頷き返す。
「それじゃあ、行きましょう」
 フレイヤの声と共に、互いに何も話さず、着々と目的の場所へと雪に足をとられながら、視界を薄い霧に奪われながらも歩いていく。
 そんな中、ナルの足が止まる。後ろで鳴っていた妹の足音が聞こえなくなったのを逃さなかったナリは、「ナル、どうかしたか?」と自身も立ち止まり、妹の方を振り向く。それに気付いた豊穣の兄妹も足を止める。
 彼女はある一つの方向に視線を釘付けにされており、彼女はその視線を外さぬまま、兄にもその方向を見るようにと人差し指で指し示す。妹の言う通りに、ナリは彼女の傍まで戻ってその示された方角へと視線を向ける。
「えっ。なん、で」
 そこには、遠目から見てもわかるほどに煌めく金色の髪を持つホズの姿があった。ホズともう一人、顔をローブで覆い隠して着ている者と一緒に居た。
「ホズ様と一緒に居るのは誰だ」
「そもそも、なぜあの方は外へ……」
 その者と何やら話している様子ではあったが、兄妹のいる距離からではよく聞き取れないでいる。兄妹はそんな彼等の様子を観察をしていると。
 ホズの声が。
「アイツだけ……アイツだけ死ねばよかったのに……」
 だんだんと怒気を含んで。
「僕はこんな結末、望んでなかった……」
 大きくなっていき、最後に彼は一際自身の怒りを込めた言葉を放つ。
「僕は、兄さんを殺したくなかったんだ!」
 彼の激昂して放った言葉に、兄妹は息を止める。
 父ロキが罪に課せられているバルドル殺しの真犯人、それは彼の弟ホズであった。
 その真実が、彼等の精神をボロボロと崩れさせていく。
 ナルはその真実が信じられず目を丸くさせ首を大きく横に振り、ナリは目を細めてホズから目を離さないでいる。
 その後、彼等は数分間揉めて、ローブを着た者はホズの傍から離れていった。ホズは疲れてしまったのかその場で膝をついてしまう。ナルはまだ動けずにいるが、ナリだけは、フレイの止める声を聞かず、彼の居る所へと向かっていく。
 ナリがホズの目の前まで辿り着くと、彼はその気配を感じ取ったのか「誰か、僕の目の前にいるの?」と問いかける。いつもなら、ホズは親しい者であるならば足音で分かるはずだが、今の彼はそれが出来ない程に、弱々しい様子だ。
「……なぁ」
 ナリの声は低く、くぐもったものであった。そんな彼の声を聞いた瞬間、ホズは「えっ、その声は」と、狼狽える。
「さっき、なんて言った?」
「ナリ君、なんで君がここに……」
 ホズは驚きのあまりナリの質問が聞こえていないのか、彼がなぜここにいるのかという事しか頭に無い様子である。そんな彼に苛立った
 ナリは、歯を強く噛み締めながら彼の胸ぐらを掴み、叫んだ。
「アンタ、アンタが……バルドルさんを! 自分の兄貴を、殺したのかっ!」
 彼の言葉に、ホズの体が強張る。
「なんで君達がその事を……」
 ナリは何度も何度もホズの体を揺らし「何でっ! 何で、こんな事っ!」と問いかけた。ホズの胸ぐらを掴む手や顔には血管が浮き出ている。
 ホズは唾を飲み、「あぁ、そうだよ」と、ゆっくり言葉を漏らしていく。
「僕は……僕は、兄様を殺してしまった。……でも、殺したかったのは……兄様じゃない!」
 ホズは憎しみの籠った声で、彼の名を吐く。
「オーディンだ!」
 彼は自身の胸ぐらを掴むナリの腕に手を置き、微力ながらもその手に力を込めて、その掴む手に彼自身の。
「盲目である僕の存在を消した!」
 怒りと。
「親でもなんでもない奴を!」
 哀しみと。
「殺したかったんだ!」
 憎しみをナリの腕にぶつけ、剥がしていく。ナリはホズの事情を知っているからこそ、彼の口から放つ言葉と腕を掴む強さに込められた負の感情に、苦痛に歪んだ顔をする。それでも。
「それでも……こんなことって、ねぇよ……。なぁ、ホズさん!」
 ナリの怒りは、瞳に溜まり、悲しみの涙へと溶けていく。
「なんでバルドルさんを信じなかったんだよ! あの人は! いつか四人で家族だと言える日が来る事を願ってたのに! あの人は……アンタを一番……愛してたのに」
 ナリの瞳から零れ落ちる涙が、ホズの顔へと落ちる。
「やっぱり親子だなぁ。……邪神ロキも、そう言ってたよ」
 それをホズは強く拭い、引き攣った笑顔を見せた。
「なんで信じなかったんだって……。あぁ、そうだな。なんで信じられなかったんだろうな。……兄様の愛を。たった一人の家族からの愛を」
 ホズはそう言い終えてから、乾いた笑い声を出す。
「ハッ! ……君達には、分っかんないよなぁ! 家族全員仲良くて、愛してて、存在を認めあってて、憎しみあってなくてさぁ!」
「やめて!」
 ホズとナリの間に、ナルの悲痛な叫びが響き渡る。
 いつの間にか、豊穣の兄妹と共に彼等の背後へとやってきていたナルは、ぼろぼろと大粒の涙を流す。
「もう、やめて……二人が言い争うの、聞きたくないし、見たくもないよ」
 と、彼女は何度も何度も涙をぬぐいながら訴えた。
 彼女の泣く姿に驚いてしまった二人。ナリは妹をただただ見つめ、ホズは彼女の泣く声をただただ聞く事しか出来ずにいた。そして意を決してか、ホズがナルに向かって口を開く。
「ナルさん……君も怒っていいんだ。ナリ君のように、僕を殴っていい、罵っていい、殺したっていい」
 ナルは険しい表情で唇をぎゅっと結ぶ。
「君達には、僕に罰を与える資格があるんだから」
 ホズの言葉を最後まで聞いたナルは、「どうして」と言葉を溢す。
「どうして皆、そんな事言うの。そんな資格を持っていたって、使ったって、なんの意味もないでしょう?」
 ナルはゆっくりとナリとホズの傍へと座り、ホズの首元に置かれた兄の手に、自身の手を重ねる。
「そんな事をしたからって、私達やお父さんが受けた悲しみは消えないの。バルドルさんも、生き返らないのよ」
 妹の言葉を聞き入っていたナリは、ホズの名を呼ぶ。
「……何?」
「父さんには、もう話したんだろ?」
「……うん、さっき話してきた」
「その事を聞いて、父さんはなんて言ったんだ。アンタを……殺すって言ってたか?」
 ホズは、無言で首を横に振った。兄妹にとってそれだけで充分であり、互いに目を合わせ、頷き合う。
「分かった。じゃあ、ホズさん……一緒に行こう」
 ナリの言葉に、ホズは首を傾げる。
「行こうって、どこへ?」
「テュールさんの所だ。そこで、アンタが父さんや俺達に話した事を全部話すんだ」
「おやおや、それは困りますな」