7篇 絆が崩れた日3


 そして時は戻り。
「ナリ様とナル様がっ!」
 ロキ達の元に、その報せが届いた。邪神ロキに会おうとする兄妹を止めようとしているが、エアリエルとフェンリルによってエインヘリヤル達が倒されていっている事を。
 エインヘリヤル達は狼狽え、ロキ自身も自分の子供がそんな行動を起こすとは考えもしなかったのか彼がこの中で一番喫驚していた。
 そんな間に、今までハッキリと聞こえてはいなかったエインヘリヤルの雄叫びやフェンリルの雄叫びが、だんだんと近づいてきていた。
 そして。
「「父さん!/お父さん!」」
 兄妹が悲壮な面持ちでロキの元へ辿り着く。彼等はフェンリルから飛び降り、彼を守るようにエインヘリヤルとの間へと立つ。
「ナリ! ナル! 君達、何してんだよっ!」
 初めに出た言葉は彼等に対する小言だった。
「何って、なんだよ! 父さんに会いたかったんだ! それなのに会わせてくんねぇから!」
「それに! お父さんが捕まる意味が分からない! だから私達は来たの!」
 兄妹は父親に向かって声を荒げて話し、顔をエインヘリヤル達へと向ける。兄妹の怒りに満ちた表情に、エインヘリヤル達は縮み上がる。
「皆さん、お願い。お父さんを連れて行かないでっ! これが命令だから! 従わなくちゃいけないのはよく分かってる!」
「それでも! こんな事おかしいじゃねぇか! 誰がこんな事をっ!」
「そこまでにしなさい」
 重く厳かな声が、皆の動きを止める。そして、エインヘリヤル達がぞろぞろと中央を開けてある者達を通す。
「ナリ、ナル。おやめなさい」
 フギンとムニンを連れた、最高神オーディンであった。
「邪神の子よ。怒りを抑えられよ」
「今、君達が父の為に怒りを振りまいたとしても。この決定は覆らんのだ。さっ、ロキの傍から離れなさい」
 それぞれヴィリとヴェーが兄妹に話しかけるも、それでも兄妹はロキから離れず、彼等に冷たい目を向ける。
「ナリ、ナル! 言う事を聞け!」
「「いやだ」」
 父であるロキの言う事を聞かず、兄妹は彼等に戦闘体勢をとる。そんな彼等の様子に、オーディンは溜息を一つ。
「殺せ」
 と、命じた。
 その言葉に、皆が最高神オーディンを見た。その表情に、曇りなく。凍りついた空気と同じく、冷たいものであった。
「オーディン様、今……なんと」
 主人の放った言葉が信じられず、フギンが聞き返す。
「聞こえなかったか。殺せ、と言ったのだ。我々に歯向かうのなら当然の処置だ」
「し、しかし……っ!」
 狼狽るフギンを無視し、オーディンは地面に落ちていた剣を掴み上げる。
「誰もやらぬなら、わしがやろう」
 オーディンは従者達の声も聞かず、一歩づつ兄妹の前へと進んでいく。兄妹は震えながらも、互いの手を握り合い、その場を動かずにいる。
 兄妹の目の前へと辿り着いたオーディンは、もう一度彼等に問う。
「ナリ、ナル。邪神ロキの子よ。もう一度問おう。そこを退き、邪神ロキを渡しなさい」
 兄妹は互いに深呼吸をし、オーディンに言葉を返す。
「「お断りします」」
 それを合図とし、オーディンは顔色を一つも変えずに、剣を彼等に振りかざす。
 皆が目を瞑る。兄妹の斬られる音に怯えて。しかし、そんな音は無く、代わりに弾ける音が聞こえた。
「……ボクの」
 赤と橙の炎が、彼の怒りを現すかのように、あたりに熱気と火花を弾けさせ。
「ボクの子供に、手ェ出すんじゃねぇ!」
 強く燃え舞う。
 ロキの炎は兄妹と自分の周辺を囲み、何者も寄せ付けぬ壁を作り出す。
「オーディン様。お怪我は?」
「問題ない」
 兄妹に剣を向けていたオーディンは、服にほんの少し焦げ跡を付けながらも怪我はしていないようだ。炎はだんだんとロキの元へと戻っていき、炎で隠されていたロキと兄妹達の姿が顕になる。
 ロキの顔は、炎に照らされて暗いこの場所でもハッキリと、憤怒に満ちた表情が見られた。
 エインヘリヤル達は怯えながらもロキに再び剣を向け、兄妹もまた父を守る体勢をとる。
 ロキは唇を噛みしめ、彼等の名を呼ぶ。
「ナリ。ナル」
「いやだ」
「……まだ、何も言ってねぇだろ。……二人とも、そこを」
「いやっ!」
 兄妹は、決してロキの方を振り向かず、彼の前から退こうとしなかった。大切な父親を守る為に。大切な父親を失わない為に。兄妹の、愛する子供達の想いをその背中からひしひしと感じながらも、ロキは彼等に言う。
「……そこをどいてくれ」
 無言。
「……どけ」
 無言。
 ロキは拳を強く握りしめる。
「どけって、言ってんだよ!」
 兄妹の身体が強く跳ね上がる。自分達が生きてきた中で、聞いたことのない、父親が自分達に向けた怒鳴り声であったからだ。兄妹は恐る恐る背後にいる父親の方へと振り向くと。
「やっと、こっち見たな」
 兄妹揃って父親の方へと引き寄せられ、彼の胸にうずくまる形となり、強く抱きしめられる。
「大丈夫。ボクは大丈夫だ。だから……もう守んなくていいよ。ボクを守って、君達が傷つくのは違うだろ?」
 兄妹は黙ってロキの話を聞いている。
「……父さんの言うこと、聞いてくれるか」
 兄妹は少し間を開けながら、揃って頷く。そして、彼等の目の前に大きな影が現れる。ロキが顔を兄妹からその頭上にある影に向けると、そこには哀傷に満ちた目を向けるトールが居た。
 トールは黙って、両手を差し出す。ロキは彼の行動に、ギュッと目を瞑って兄妹を抱きしめる手を離した。その手が離れた瞬間、トールは兄妹を代わりに抱き上げ、ロキから無理矢理引き剥がした。
「と、トールさん!」
「離してくれっ!」
「駄目だ。ロキが連れて行かれるまで、君達はここで見ていなさい」
 トールはいつもの女性の言葉ではなく、神族の雷神トールとしての立場で声で言葉で彼等と話す。そんな彼の態度に愕然とする兄妹、そんな兄妹をおいてロキの手に縄がかけられる。
 兄妹はトールに身体の動きを封じられながらも。
「「父さん!/お父さん!」」
 と。父の名を呼ぶ。何度も何度も。何度も何度も。何度も何度も。
 嗚咽を交わらせながら。何度も何度も。何度も何度も。何度も何度も。
 声を枯らしながらも。何度も何度も。何度も何度も。何度も何度も。
 父をの姿が見えなくなるまで。何度も何度も。何度も何度も。何度も何度も。
 それでも、ロキは振り向かなかった。