7篇 絆が崩れた日1


 ナリとナルは籠に飲み物や食べ物を入れて身支度の準備をしていた。
「ナリもナルもお仕事忙しいのに……ごめんなさいね」
 そんな彼等に、いつもなら無い陰鬱な雰囲気のシギュンが申し訳なさそうな顔で彼等に話しかける。
「気にすんなよ、母さん。母さんもここ数日、ちゃんと休めてないだろ?」
「だからお母さんは、今日はちゃんとご飯食べて休んでね。お父さんもご飯は、ちゃんと私達が届けるから。……お父さんも、ちゃんとご飯食べてるといいけど」
 ナルの落ち込む様子に、兄は彼女を慰めるために頭を優しく撫でてやる。シギュンはそんな二人を背後から強く抱きしめ、兄妹も彼女の手をギュッと握った。
 そうして、兄妹はシギュンに見送られながら家を出る。
 人間の国の天気は、光の神バルドルが死んだあの日から晴れる事なく、雲が太陽を覆い隠している。そんな天気につられて、いつも活気づいている人間族の空気も、神族達同様にどんよりとしていた。
「ねぇ」
 歩いていた兄妹に、少年が話しかけてきたため、その少年と同じ目線になるように兄妹は屈んで、「どうしたの?」とナルが問いかける。
「バルドル様、本当に死んじゃったの? 神様なのに?」
 子供らしい、相手の事も周りの事も何も考えない、素直過ぎて真っ直ぐな問いかけであった。
「こら! 神族のお二方になんて事を聞いているの!」
 その少年の母親らしき者が彼を抱えて、少年の問いかけに固まっていた兄妹に深々と謝って彼女等は去っていった。少年の言葉に触発されたのか、周辺の人間達もその話題をコソコソと話し始める。
「犯人、まだ捕まってないんだってな」
「一体、誰がやったんだろうな」
「巨人族の奴らじゃないのか? もしや、大昔にあった神族と巨人族の戦争が!」
「おいこらっ! なんて不吉な事を!」
「おっ、怒るなよ!」
 不吉な事を話した男に対し、隣に居た男が彼の胸ぐらを掴む。そんな彼等を、傍で聞き耳を立てていた男が割って入ってなだめる。
「きっと大丈夫さ。最高神様は、今は最愛なる一人息子を亡くされて心の底から悲しんでいらっしゃるが、きっとその時になれば我等をお守りくださる」
 人間族達は自分たちの発言に不安を抱きながらも、最後の男の言葉に安堵の表情を見せる。
 兄妹はそんな彼等の話が耳に入ってきながらも、その話に対して何の表情も出さずに自分達の馬を預けている店へと向かう。
 その間、ナリが「そういえば」とナルに話を振る。
「ホズさんとはあの日から会ったか?」
 あの日。兄妹はバルドルが死んでしまったその日、彼にその事を伝えに行った日だ。

***

 彼はいつものように、兄からの贈り物であった異世界に存在する点字なる本を読んでいた。彼はいつものように微笑んんで「どうしたの二人共?」と問いかける。
 兄妹はこの部屋に来るまでに告げる事を覚悟していたものの、勇気を踏み出せずにいた。彼等が口をつぐんでいる間、彼はいつもと違ってつらつらと言葉を口から出していく。
「今日は夏至祭だよね? 上手くいったの? いつものように話、聞かせてよ」
「いや、それにしては帰りが早いようだね」
「ついさっき、昼の鐘の音が鳴ったばかりだ」
「それに足音や息が随分と急ぎ気味で慌ただしかったな」
「……何か、あったの?」
 ホズの言葉に、兄妹は唾を飲み込んだ。彼に、話す時が来たのだ。
「ホズさん。実はバルドルさんが……」
 ホズは彼等の報告を聞き、静かにその本を閉じた。そして、小さく「一人に……してくれないか?」と言ったため、兄妹はそれに従った。
 兄妹が部屋に出た後、ホズの部屋から悲泣の声が漏れ聞こえ、それを黙って聞いて兄妹も共に泣いたのだ。

***

「あぁ、そっか。兄さんは昨日までエアリエルさんと妖精の国と精霊の世界に居たんだものね」
 バルドルの葬儀が終わり、兄妹はテュールから仕事を受けていた。
 それは、他種族の精神的なケアを主としたものであり、ナリはエアリエルと共に精霊の世界、そして妖精の国を。ナルは狼の国と小人の国をこの数日間任されていたのだ。
「朝起きて帰ってきてたのは驚いたけど、なんとかなりそうだった?」
「あぁ。妖精の国の人達が目の前でその状況を見たからか一番時間がかかったかな……。精霊の国の奴等は、『オーディンが代わりに死ねば良かった』だのなんの言うからさぁ。俺と一緒に来てたエインヘリヤル達と喧嘩になってさ。それを止めるのに苦労したぜ」
 ナリがやれやれと肩を落としている姿にナルは苦笑いを見せ、話をホズの事へと移す。
「私の担当区域だった二つは、一昨日には終わってね。テュールさんに報告書を出して……その帰りにホズさんの部屋に行ったの」

***

「ホズさん」
 ナルが彼の扉を叩くも、その部屋の中から返事は無かった。
 彼女は彼から返事が返ってこない事は予想をしてはいたものの、それでも彼女の心に寂しさが植え付けられる。そのまま帰ろうとした彼女だったが。
「ナルさん」
 と、扉の近くから彼女の名を小さく呼ぶ声が聞こえる。それは紛れもなくホズの声だった。ナルが彼の名を呼ぶと、彼もまた彼女の名を呼ぶ。決して扉を開けず、扉をかいしての会話が始まる。
「兄さんの葬儀は……」
 彼は、兄の葬儀に参加は出来なかった。
「……母さんと父さんの様子は?」
 彼が、不完全な存在だから。
「皆は……」
 彼が、存在しない者だから。
 そんな彼に、ナルは彼の聞きたい事を全て話した。話終わった後、彼が扉から離れる気配を感じ、ナルは彼に「また明日来ますね」と伝え、彼女も部屋から去った。

***

 彼等の話は、馬の準備を終えて人間の国を出た付近で終わった。
「じゃあ、今日もホズさんの所に?」
「うん。お菓子も作ってきたし……今日は兄さんもどう?」
「そうだな、一緒に行こう」
「ナリ様! ナル様!」
 兄妹が馬に乗って出発する瞬間、フギンとムニンが兄妹目掛けて全速力で羽ばたいてやってくる。
「どうしたんだよ、二羽とも! 何をそんなに急いでんだ?」
 二羽は息を整えながら「ロキ様が……ロキ様が……」と呟くのを、兄妹は互いの手を無意識にギュッと握った。
 そして二羽が沈痛な表情である事を告げた瞬間、兄妹の息が止まる。
 籠の落ちる音、瓶が割れる音、中に入っていたサンドイッチがぐしゃりと崩れる音。その全ての音や声を、時計塔の鐘の音が掻き消していく中。
 兄妹の意識は絶望へと堕ちていく。