本来なら兄であるバルドルと同じ金色の瞳が輝いているはずの目には、闇しか通さない瞳しかなかった。光を拒絶し、無意識に吸い込まれそうなほどの無が、その目に存在している。
ホズは前髪を戻して「ソファに座りましょうか」と呆然とするロキに促す。ロキは言われるがままソファへと座り、兄弟はその向かい側に座る。
「驚かせてしまってすみません」
「いや、大丈夫さ。目の見えない……盲目と言うんだっけ? そういう奴を見るのは初めてなものだったから」
「そうですね。人間族等には僕のように生まれつきであったり、事故で盲目になることもあるようですが、神族では初めて。しかも、最高神オーディンの息子が」
自分の父の名を呼ぶ彼の声は、他の神族が敬いを帯びた声でその名を口にする時とは違い、寂しさを帯びた声で呼んでいる。そこでロキは、もう一度、彼等にあの疑問を問いかける。
「そういえば、なんでオーディンは君の事をボクに紹介してくれなかったんだ?」
ロキの疑問にホズはまたも悲しげな表情で答える。
「……お父様は、僕の存在を消していますからね。紹介するわけがありません」
「えっ? そんなの」
驚きで上擦った声を出しながら、バルドルへ顔を向けると彼は重苦しい顔で頷いた。
「事実なんだロキ。お父様はホズが盲目であると知ると……」
『こんな不完全な息子は知らない』
「と、言ったんだよ」
不完全な子。世界を映さぬ、光を受け付けぬ、可哀想な子。この世界の最高神であるオーディンに、完璧を求める神に、相応しくない子。
オーディンが放ったであろうその黒い言葉に、ロキは顔を手で覆い、長いため息を吐く。
「なるほど、オーディンらしいといえばらしいんだろうがな。正直、どうかと思うぜ。それを許す他の神族共もよ」
ロキは兄弟揃って顔を下にしている姿を見て、空気が重い事を察知し、「で? ボクに会いたいって言っていたのはなんでだ?」と話を切り替える。元々、それを理由にここにやってきたのだから。
それに対し、ホズが顔を上げて「それですが」と、先程よりも弾んだ声で答える。
「特にこれといった理由はないんです。ただ兄様から色々と親しくしている貴方の楽しい話を聞いて、実際に話してみたいなと思いまして」
ホズがニコニコとそう話すのに対し。ロキは嬉しさ半分、その楽しい話とはなんなのか、と疑問がモヤモヤと湧いてくる。
「……バルドル。君、彼になんの話をしてるんだ?」
「他愛もない話だ」
「いや、内容を言え」
「貴方が怒るようなことは言っていない。しいて言えば⋯そうだな、一番笑ってくれたのは人魚に足を引っ張られて海に落ちたとか」
「してるじゃないか! それは怒るぞ!」
「誰かに笑って貰える方が恥ずかしい記憶にならないと思わないか?」
「思うか。君、変なところでバカだよな」
「貴方よりはバカじゃない」
「あーのーなー」
「フフッ」
反省する気のないバルドルを睨んでいると、ホズが小さく笑った。
「す、すみません。やはりお二人は仲が良いのだな、と」
「「仲良くない」」
「そんな風に言われても説得力無いですよ」
「失礼します。フギンです。扉を開けていただいてもよろしいでしょうか」
それから他愛もない雑談をしている時、扉からノックする音とフギンの声が聞こえる。ロキがその扉を開けると、翼を羽ばたかせていた彼は彼の肩へと乗る。
「ロキ様もここにいらしたのですね。ちょうど良かった」
「フギン、何か用か?」
フギンはロキの肩に乗りながら、バルドルの方を向く。
「はい。オーディン様がバルドル様とロキ様をお呼びです」
「お父様が? 分かった。ホズすまないな。また遊びに来るよ」
「はい。いってらっしゃいませ」
そうしてロキとバルドルが部屋の外まで行くと、ホズが「ロキさん」と彼を呼び止めた。ロキは再びホズの元へと歩み寄る。
「なんだ?」
「今日はありがとうございました。あと、兄様とこれからも仲良くしてくださいね」
と、最後の言葉はバルドルに聞かれないように小声で言った。その時見せた、笑顔に純粋さを感じ取る。
ロキ自身がこの神の国で感じていた、神族達のバルドルに対する崇めまつる表情でも声でも無く、心の底から兄を最高神オーディンの長男としてではなく、光の神としてではなく、一人のバルドルという存在に対する想いを。
ロキは「あぁ」と温かみを添えた声で返事をした。
「なぁ、バルドル」
「なんだ?」
バルドル達がオーディンの元へと向かっている最中、ロキはバルドルにある事を問う。
「君は⋯…ホズの事をどう思ってる?」
先程のホズの想いを聞き、ロキはバルドル自身の想いを尋ねた。
「どうって⋯…大切な弟だと思ってるさ」
バルドルは当然だろうとでも言いたげに、誇らしげに言う。そんな彼に対してロキは、自分から聞いたというのになんとも抜けた声で「ふぅん」と返しながらも。
「…⋯ボクはさ」
そんな彼に、言葉の矢を放つ。
「目が見えなくて、自分はとてつもなく愛されている実の父親と母親に存在を否定されて、だから君は彼を――」
「ロキ!」
足音が止まる。ロキは一歩多くバルドルの前を歩いているため、バルドルの顔は振り向かなければ見えない。けれど、先程の怒気を含ませた声でロキは充分に理解した。
あぁ、これは怒らせてしまったかな。と。
ロキの肩に乗ったままのフギンが首を忙しなく動かし、ロキとバルドルを交互に見ている。
「いくら貴方でも、それ以上何か言うなら」
「言わない言わない」
バルドルの顔を見ず、窓の外を眺めながら言う。それでも、彼の視線がロキの背中を刺している。
「……悪かったって。さっきの仕返しだ。勝手に人の事を笑い話にした事へのな」
ロキは、今度はしっかりとバルドルの方を振り向き、彼に謝った。バルドルは大きく溜息を吐き、「まだ根に持ってるのか」と言いながら止めていた足を動かし、ロキの隣へとやってくる。
「ロキ様、オーディン様の前ではくれぐれもホズ様の話は」
「分かってる。そこまで危ない橋を渡ろうとは思ってないさ」
フギンは安堵のため息を吐き、ロキにそう忠告した。そしてロキは再び足を動かそうとするも、バルドルは立ち止まったままだ。
「どうした? 行こうぜ」
「……なぁ」
「ん?」
「ロキ、私はね」
「……うん、なんだ」
バルドルが真剣な面持ちで話しだそうとしたため、ロキは身体ごとバルドルの方へと向ける。
「光の神という名を持ってはいるけれど、私が一番光を与えたいのは……たった一人の弟、ホズなんだ。私は、彼にとってたった一人の兄であり、たった一人の家族であるから。弟の見えない目の代わりに、光を持たない彼の……光になりたい」
バルドルは自分の想いを告げる。
「私は、そんな存在に……ちゃんと、なれるだろうか」
ロキはそれに対し、満面な笑みで言う。
「なれるよ、君なら」
***
「邪神ロキ」
ロキが忌まわしい呼び名で振り向くと、廊下には大勢の兵士達がいた。多くの者が、戸惑いの表情でロキを見ている。
そんな彼等の様子に違和感を感じていたロキの前へ、一人の兵士が彼の前へと出る。
「貴方を、最高神オーディン殺害未遂・光の神バルドル殺害容疑で拘束させていただく」