「やぁ。来てくれて嬉しいよ。ロキ」
森の奥にある、いつも兄妹達が使っている大きな穴の空いた大木、ロキとシギュンの出会った思い出の場所。今は、いつも使っている彼等は夏至祭の準備でそこには誰も居らず、木々の葉が擦り合う音、風の心地良い音だけがあるはず、だった。
そこに、音は一切存在せず、伝言の相手だけがいた。
「……どうも」
先程消えたはずのノルンはそこで寝そべっていて、ロキがやってくるのを見つけると、ゆっくりと起き上がる。ノルンはなおも黒いローブを身につけ、顔を頑なに見せないようにしていた。
そんな彼女に、ロキは聞きたいことが山ほどあるものの、警戒し、冷然とした態度で言葉を投げる。
「君が、ボクを呼んだ理由は? 話って、何だ?」
「随分と冷たい態度だな。私は、もうそんなに嫌われてしまったのか?」
「そうだな。世界が終わるだなんてふざけた事を言う奴に、心を許すわけねぇだろう」
ロキの冷たい態度に、ノルンは「それは残念」と、言葉とは逆に喜悦を含ませた声を上げる。
「名を与えた子に好かれないのは、寂しいなぁ」
またも言葉とは逆の嬉しそうな表情で話す彼女だが。ロキはそんな事どうでもよかった。彼女の出した言葉に、ロキは口をポカンと開けていたのだ。
驚倒する程の真実か否かの言葉に、「名を、与えた?」彼は一言一言、「君が? そんなわけ! ない!」震える感情を落ち着かせるかの如く、「だって、この名前は父さんが!」、自分の名前の意味を改めて認知しようとする。
「ボクの今の名前は! ロキは! 父さんが、自分のした事の償いで……!」
「あぁ、そうだ。スルトが与えたことになっている。私の名は伏せろと言っておいたからな」
事実は、肯定されなかった。
「スルトは自分がした事の償いに、意味の無い殺戮を起こさぬための誓いに、お前を生かそうとした。だから私は知恵を与えた。終わらせる『モノ』、ロキと名付けなさい、と。しかし、それはちと意味が違う。意味を違わせるために教えた」
ノルンは、傍に置いている古びた本の革表紙をひと撫でする。
「この世界を、終わらせる『者』だ」
世界を終わらせる者。それは、言葉通り、そのままの意味。世界を終焉へと向かわせる、張本人。ロキは流れてくる言葉を、頭で理解するために受け流さずにいた。けれど、どうして自分なのか、という疑問が彼の理解を妨げている。
「ど」
「どうして自分なのか。それは、運命だからだ」
ノルンは彼の聞きたい事を、彼が問いかける前に話し始める。
「この世界を終わるのも運命であり、お前がそれを起こすのも運命だ。抗えない運命なんだ。それしか答えられないよ。いや、答えられないんじゃない。それしか、答えがないんだよ。分岐点なんてものも、存在しているようで存在しないんだ。たとえ、どこかの分岐点で選択肢を選んだ選ばなかった関係なく、終着点は同じなんだよ」
「……でも、それでも。ボクはそんなことしない」
抗えないと言われている運命を、自認しなかった。
「家族がいるんだ。それに、親友だっている。父さんに生かしてもらえなかったら、会えなかった大切な人達がこの世界にはいるんだ」
その話を、ノルンは「あっ、そ。無駄で無意味な自信だわ」とつまらなそうな声音を出す。しかし、彼の口から発せられた「家族」という単語に、彼女は首をひねりながら、「そうだった!」と声をあげた。
「そうそう。元々、こんな昔話をしたくてお前を呼び出したんじゃないんだった。つい、口が滑ってしまったね」
彼女の目的が他にあったことに驚きながらも、ロキは彼女が話すのを律儀に待った。
「ウーヌスは元気かな?」
「……誰だ?」
一体何を話なのかと身構えていたロキではあったが、彼の知り合いにはいない名前を言われて、拍子抜けしてしまう。ロキの率直な問い返しに、ノルンは困惑の声を上げる。
「ん? 君と一緒にいる者の名だよ」
「そんな名を持つ奴はいない」
ノルンは「あっら〜?」と戸惑いながらも、傍に置いていた本を手に取り、パラパラと頁を勢いよくめくっていく。それから数分後、該当頁に辿り着いたのか、その頁を凝視し、「そうだったそうだった」と独り言を呟きながら、咳払いをし、ロキに再度話しかける。
「お前がシギュンと名付けた子は、元気かな?」
シギュン、その名を聞いてロキの体は強張った。
「君は……シギュンの、なんなんだ? もしかして……母親、なのか?」
彼が震える声を出した問いかけに、ノルンは「は、は、お、や。……あぁ、母親か。どうなのだろうなぁ」と顎に手を置き、考える素振りを見せる。
「分類的にはそうなのかもしれない。けれど、実際はそうじゃない。まっ、そんな事をお前に教える筋合いはないんだ。本題に入ろう」
シギュンとノルンの関係を気になりだすロキだが、ノルンは詳しくは話そうとせず、そもそもの目的を話そうとする。
「ウーヌスに伝えておいてくれ。帰ってきなさい、とね」
「拒否する」
即答だった。
「……この伝言は、ウーヌスにだ。お前に拒否する資格は無い!」
ノルンは声音からでも分かるように少し不機嫌気味な声で言うものの、ロキはそんな事など関係なく彼女に言葉をぶつける。
「ボクは、シギュンの夫だ! 家族だ! あの子が苦しんでた場所に、帰すわけがないだろ!」
ロキは、シギュンと初めて向き合って話した日を思い出していた。
***
「私は……貴方に何も教えられない。貴方も、私に何も教えられない。教えてはいけない。視ることは許されても、知ることは許されない。私達は、関わってはいけないのよ」
「……でも、君は。見つける度に、その目に映る全てを知りたそうな顔をしている。ボクは、君に出来る限り多くの事を教えたいよ。なのに、君は一体、何に縛られてるんだ?」
***
ノルンは先程よりも一層機嫌を悪くしたのか、「スルトの子供だから許していたが、もう我慢ならん! ウーヌスを盗み、返さぬとは」と、独り言を怒声を含ませながら呟き、ゆらゆらと起き上がって片手をロキに向かって突き出す。
「私がこの手でお前、をっ!?」
「っ!?」
突如、彼女の怒りを鎮火するかの如く、頭に水がぶつけられた。この付近に湖はあるものの、彼女の頭上に大量の水が現れたのは不思議な光景であった。そんな光景に彼が何度も瞬きをしていると、水をぶっかけられて大人しくなっていたノルンが「あー……」と声を上げながら、濡れた頭を左右に大きく振る。その拍子に、彼女の深く被っていたフードが脱げ。
「あっ」
そこから、銀色の長い髪が姿を現した。妻、シギュンとほとんど瓜二つの姿が、そこにあった。ただ一つ、頭にあるハネ毛がないという点だけの違いだ。
「頭を冷やせって? そうね、そうだったわ。私はストーリーテラー。世界を見守る者。面白そうだからって、つい干渉しすぎたわ。それに、手を出そうともしたんだもの。ありがとう、止めてくれて」
彼女は誰に礼を言ったのか、それはロキにも分からなかったが、彼女の周辺に、今まで無かった風が起こり、彼女の髪をゆらゆらとなびかせている。ノルンは視線を感じたのか、再びロキへと意識を変え、ようやく自分のフードが脱げてしまっていることに気がついた。
「あー、見られちゃったか。まぁ、ウーヌスとの関係を知ったのだから、隠す必要はないか。……それじゃあ、私は帰るよ。伝言だが」
「伝えない」
またも即答。ノルンは腕をギュッと組み「あぁ、構わないよ」と笑顔を見せた。
「けれど、あの子は帰ってくる。だってこの世界は、お前の手で終わるんだから」
そう言って、ノルンは木の中へと姿を消した。
◇◆◇
ロキはノルンの話を整理しきれず、バルドルには自分の中で整理してから、彼の話も聞くということで、明日の夏至祭の為にも今日は解散となった。
「おかえりなさい、ロキ」
「っ! あっ、あぁ……ただいま」
家の中へ入ると、そこにはシギュンが夕ご飯の準備をしていた。けれど、ロキの目にはシギュンの姿がそんなはずはないのにノルンに見え、目を合わせず返した。
その様子を逃さなかったシギュンが、「どうかしたの?」としかめ面で聞くものの、ロキは「なんでも、ねぇよ」と、弱々しい声を出す。そんな彼に、シギュンは料理の手を止め、彼の元へとズカズカと寄っていく。
「なんでもないことないでしょ!? 貴方らしくないわよ」
シギュンが夫の手を優しく握った為、彼はようやくシギュンの目を見る。兄妹に遺伝した、可愛らしいハネ毛と艶やかな銀色の髪。そして、愛する夫を見つめる愛らしい銀色の瞳。彼女は紛れもなく自分の妻である事を再確認した彼は、ギュッとシギュンを自分の方へと抱き寄せた。
彼女は突然のことで驚き赤面しながらも、「騙されないわよ〜! まったく〜!」とロキの体をポカポカと叩く。それでもロキは彼女を離さず、なお力を強めていく。
「なぁ、シギュン。兄妹は?」
「あの子達は、今日は妖精の国に泊まるって、あっ」
シギュンは自分の首に感じた感覚に声を上げる。首に顔を埋めるロキは、今度は彼女の耳元に口を近づける。
「なぁ、シギュン。ちゃんと、ちゃんと話すから……」
甘い言葉ではないものの、彼の声と吐息にシギュンの顔はほんのり赤くなっていく。その頬に、ロキの大きな手が添えられる。
「今日は、甘えていい?」
返事を聞かず、彼と彼女の唇が重なる。