5篇 終焉の予言1


 ロキとナリの親子試合が終わって一ヶ月が過ぎ、ユグドラシルの伝統行事である夏至祭が明日と迫っていた。多くの神族達がその準備をしている時期に。
「私の名は、ノルンと申します」
 謎の訪問者ノルンが、オーディンの元へと現れた。
 黒いローブを羽織って深く顔を覆い隠しているが、ノルンは落ち着いた女性の声を出している。ノルンという名を知らないオーディンと彼の両側にいるバルドルとナリは、その者に対して警戒心を剥き出しにしていた。
「怖い怖い。御二方、そのように警戒心を剥き出しにしないでくださいませ。私が得た情報は、急を要するものでしたので」
「情報? なんの情報だ」
 オーディンが問いかけると、ノルンは。
「この世界は、もうじき終わります」
 楽しげな声で、言った。
 ノルンの突拍子のない言葉に、三人は愕然とする。
「終わる、だと? デタラメなことを!」
「デタラメではないんですよ。オーディン様」
 オーディンは彼女の発言に気が動転しながら、それが嘘であると信じたいという怒りと思いを含ませた声を出すものの、ノルンは笑顔でその思いを否定した。彼女の言葉に対し、まだ怒りを露わにしながらも「……証拠は、この世界が終わるという証拠はあるのか?」と問いかけると、彼女はニコニコと自分を指差す。
「証拠は出せませんが……あえていうなら、私。私が、証拠です」
 ノルンの言葉にまたも三人は驚嘆し、その者を見つめる。それでも構わず、彼女は話を続けていく。
「私はこの眼で視た」
 彼女は自分の眼を指差す。
「この世界から光が消え、憎しみと哀しみが渦巻き、多くの灯火が消され、大地に赤い血を咲かせ、炎によってこの世界が終焉を迎えるのを。それが、証拠。確定事項。この世界の、抗えぬ運命。そう……」
 彼女は一つ間をあけ。
「ラグナロクが始まる」
 運命の名を言い放つ。
 彼女の話に、三人は理解が追いつけないで、呆然とノルンを凝視していた。彼女の言葉は、意味不明で理解不能で、自分はそれを視たから、だから自分が証拠であるのだ、と。そんな事を、信じられる訳がない。そう、彼等の頭の中では考えがあった。けれど。
 彼女の声が、本当にそれを視たかのように、おどろおどろしく放つその言葉一つ一つが、彼等の思考を塗り替えていく。
 これは、真実なのだと。
「そんな事」
 オーディンは玉座の肘掛に強く握りしめた拳を叩きつける。
「そんな事、わしの世界で起こさせ」
「ん? わしの世界?」
 ノルンは首を捻った。最高神オーディンの言葉に、疑問を抱かせた。
「ハッ! ハハハハハハハハハハッ!」
 ノルンは高らかに嗤笑する。

「いつから、この世界はお前のものになった? 偉くなったもんだなぁ、小僧!」

 ノルンは化けの皮を剥いだかのように、今までのおしとやかな雰囲気と変わり、オーディンを呼び捨てにした。彼女のオーディンに対する無礼な態度に、バルドルは腰の剣を抜き彼女に向けようとするも、それはオーディンによって止められる。その行動に驚きながら、彼は父の名を呼ぶものの、当の本人はノルンに目が離せないでいる。

「小僧、貴様には無理だ。いや、誰にも無理なのさ。金の林檎を食べたって、知識を持ったって、完璧になろうとしたって……私の隣には立てないよ」

 ノルンの言葉にオーディンは何か気付くことがあったのか「……まさか……貴方は」と小さく言葉を漏らす。それを聞き取ったノルンはフードから口元をあらわにして微笑む。

「面白かったよ、オーディン。それじゃあな」

 ノルンはその場でくるりと回り、まばたき一つでその場から姿を消した。
「消え、た」
 三人はノルンの消えてしまった場所を一点に見つめる。唖然としている中、バルドルがオーディンに「どうされますか?」と声をかける。しかしオーディンの返事は弱々しく「どう、とは?」と彼に聞き返した。そんなオーディンの様子に少し困惑するバルドルは、同じように困惑しているロキと目を合わせる。
「……どうしたんだ、オーディン? さっきの会話といい、もしかしてアイツと面識があったのか?」
 ロキの質問にオーディンは無言で返し、深刻な顔で立ち上がる。
「ロキ、バルドル。今回のことは、誰にも話すでないぞ」
 今までの状況に対してのオーディンから発せられた信じられない言葉に、二人は目を丸くさせる。
「なぜですかお父様! 私自身も世界が終わるなんて到底信じられませんが、皆に情報共有だけでも」
「ならん!」
 部屋にオーディンの怒声が響き渡った。彼の滅多に出さない怒声と混乱に満ちた表情に、ロキとバルドルはどうするべきなのかと立ち尽くすのみである。そんな彼等の表情と自身の出した声自体にも驚いたオーディンは、彼等に背中を見せ「わしは部屋へ戻る。二人共、先程の事は誰にも言わぬように。約束じゃぞ」と、彼は二人を残して出ていってしまった。

◇◆◇

 オーディンが去ってから、ロキとバルドルもその部屋を出て、鬱屈とした表情で廊下を歩いていた。
「一体、何だったんだろうなぁ」
 ロキがそう疑問を溢すと、バルドルも「そうだな」と賛同する。
「……お父様が」
「ん?」
「お父様が、あんなに取り乱す姿を見るのは、初めてだ」
 いつも強気な尊敬する父の姿、そんな父の背中を知っているからこそ、先程の影の感情を曝け出していた姿を見て、傷つくのは当然だろう。そんな彼の言葉にロキも、先程のオーディンの姿を思い出そうとする。初めはそうでもなかったが、彼女と言葉を交わすうちに、だんだんとオーディンの顔が青ざめていくのを、ロキは隣で見ていた。
 そして、あの言葉。

『……まさか……貴方は』

「オーディン、そうだとはアイツの口からは言わなかったけどよ。ノルンとは、きっと知り合いだったんだ」
「私もそのように見えたが……知り合い、と軽く言っていいような間柄ではないようにも見えた」
 バルドルの言う事は、おそらく当たっているだろう。最高神であるオーディンに対し、軽蔑を含ませた声を出していたのだから。
「……はぁ、まったく。面倒ごとがまた増えちまったな」
 ロキは顔をしかめながら、頭を掻く。
「面倒ごと……巨人族か」
 そう、ロキはアングルボザの一件以降、巨人族がなにかを企んでいる事は間違いがないと判断し、エッグセールに頼んで彼等の動きを探っているのだ。
「何か掴めたのか?」
「いや、まだ。バルドルも、何か情報掴んだら教えてくれよ」
 ロキからの頼みにバルドルは頷き、眉をひそめながら「……ロキ、実は話が」と言いかけた、その時。
「ロキ様!」
「ん?」
 自分の名を呼ぶ声に振り向くと、エアリエルが窓から顔を覗かせていた。
「エアリエル! なんて所から顔出してんだ! びっくりした……」
 そう、ここは五階、最上階であるためかなりの高さだ。例え彼女が飛べる種族であると知っていたとしても、人が宙に浮いて窓から顔を出している光景は、誰でも驚いてしまうだろう。
「すみません、ちょうど探しに行こうとした時に、外から見えたものですから」
「それで? ボクに何か用か?」
「はい。ロキ様に伝言を預かってまいりました。『森の奥へ、あの大木で待っている』と」
 エアリエルは最奥に世界樹がある神の国の森を指差す。ロキとバルドルはエアリエルの言葉に対し、肩をこわばらせた。それも、先程の話に出していた巨人族のことやノルンのこともあるからこそ、いくらエアリエルからの伝言とはいえ警戒してしまうのだ。ロキは一つ咳払いをし、「……誰からの伝言だ?」とエアリエルに問いかけると、彼女は首を傾げて「私もよく知らないのです」と答えた。
「わからない?」
「はい。伝言の伝言ですから」
「伝言の、伝言?」
「私は風から伝言を預かりました。そして、風は森から伝言を預かりました。けれど、その森が誰から伝言を預かったかは教えてくれなかったそうです」
 エアリエルの答えにロキが当惑していると、バルドルが前へと出る。
「ロキ、行くな。あまり今は無闇に動かぬ方が」
「いいえバルドル様。これは、行くべきです」
「なに?」
 彼女の言葉に、バルドルは驚きの声を上げる。
「なぜ、そう思うんだい? エアリエルさん」
「正直、私も見知らぬ者の所へ、ナリ様のお父様であるロキ様を行かせるのもどうかと思いましたが……。自然の力を扱う者として、逆らってはいけないものだと感じているからです」
 バルドルはそれを聞いてより一層不安な顔をするも、ロキは「よし!」と彼の肩を強く叩く。
「ボク、行ってくるよ。行かない方が、危ない目に合いそうだし」
 彼の決意に対し、それを否定する事は出来ないと分かったのかバルドルはため息を一つ吐き、「それもそうだな」と納得した。
「ではロキ様、お気をつけて。私はナリ様達の元へと戻ります」
 エアリエルはそう言って優雅に飛び去っていった。
「じゃあバルドル。行ってくる」
「あぁ、気をつけてな」
 ロキはそう言って走り出したが、ふと立ち止まってバルドルの方へ振り向くと、「話、あるんならまた聞くから!」と彼に叫んで、また走り出した。