まだ少し春の香りを残しながらも、季節が夏へと移り変わろうとしている五月十五日。その日、鍛錬場の多くの兵士達と神族達が集まっていた。ここへやってきた理由は皆同じ、中央で互いを見つめ合っている、ナリとロキの試合を見届ける為である。
オーディンとバルドルは、いつもと同じく専用観覧席におり、その近くにシギュンとナルが座っている。ナルは両手をギュッと握りしめながら二人を見つめているが、その真逆で、シギュンは満面の笑みで彼等に大きく手を振っている。そんな母の態度にナルはため息を一つ。
「お母さんは呑気だね」
「あら? 急にどうしたの?」
シギュンは娘の言葉に首を傾げる。
「ナルは心配しすぎなんじゃないかしら。別に《殺し合い》をしろだなんて言ってないんだから。二人の勇姿をあたたかく見守るのは、家族の務めだと、お母さんは思うわ」
シギュンはナルの強く握りしめられた両手に自分の手を置いて、「ね?」と優しく微笑んだ。そんな母の言葉と手の温もりに、ナルはだんだんと固かった表情も緩み、口元に笑みを浮かべた。
そんな彼女達の様子に笑みを浮かべたロキは、視線を彼女達から自分の目の前で仁王立ちをしている彼等へと戻す。
「まさか、ナリとの戦いでこんなにも見物客がいるとは思わなかった」
「ほとんどの兵士達が、ナリ様の鍛錬に付き合ってくれてた方々ですね」
「皆、俺が父さんをボッコボコにする姿を楽しみにしてんだよ!」
ニカッと自信満々な笑みを見せるナリの姿に、ロキは「ほぅ」と目を細めてニヤリと口元を歪める。そして羽織っていた上着を場外へと脱ぎ捨て、肩や首を回したり、腕を伸ばしたりと準備運動を始める。
「なぁ、ナリ。そ〜んなに自信あるのか? ボクに、勝てると?」
ロキからの煽りにナリは眉をひくつかせ、自分も彼と同じように上着を場外へと脱ぎ捨てる。
「もちろんさ! だから父さん。……いや、ロキ!」
「……」
ナリは彼を父とは呼ばずに、彼の名を呼びながら指をさす。
「本気で俺と勝負しろ!」
ロキは彼の瞳の中で燃える闘志をまっすぐと見つめ、「あぁ、そうだな」と言って目を瞑った。
そんな彼等の話が区切られるのを待っていたかのように、両者の間にフギンが降り立ち、「それでは!」と鍛錬場全域に聞こえるように声をあげる。
「これより、ロキ対ナリの試合を始める! 武器を構えよ!」
フギンの声と共に、ナリは剣を抜く。
「エアリエル、頼むぞ」
「はい、ナリ様。頑張りましょうね」
ナリが剣を構えると、彼の右手に宿る紋章が煌めき、エアリエルが紋章と同じ輝きを放ちながら、その剣の一部である宝石へとなる。ロキは深呼吸をしてから右手を前へと突き出すと、そこからチリチリと火花が弾け、炎が生まれ、それは剣の形へと象られていく。
「《レーヴァテイン・イミタム》。お父さんの剣」
「あら、ロキったら。初めからあの剣を出したのね」
ナルとシギュンの後ろの席に、遅れてトール、テュール、フレイ、フレイヤ達がやってきた。
「トールさん、お父さんがあの剣を最初に出す意味って」
ナルの問いかけに、トールは「そんなの、わざわざ確認しなくても、ナルちゃんは分かってるでしょ?」と答えをはぐらかされたものの、彼女にとってはそれが答えとなったのか、大きく頷き、兄と父のいる方へと意識を戻す。
ナリは、父の出した剣を見て、笑っていた。
両者の武器が出揃うと、フギンの片翼が天へと上げられる。
「それでは……はじめ!」
初めに動き出したのはナリ。雄叫びをあげながら、風を纏った剣を強く握りしめ、ロキへと向かっていく。ロキはそのままの姿勢でナリを待ち構え。
炎と風の剣がぶつかり合った。
それぞれの剣が自身の強さを示すかのように、大きく揺らめいている。
互いの動きを見定めているのか、それからもナリは風の如く疾い剣さばきを、ロキは炎の如く重い一振りをぶつけ合っていく。
一撃が混じり合い、互いにその衝撃に合わせて後方へと飛んでいく。ナリは軽やかに着地し、すぐさま剣を後ろに引いて力を込める。
《ラピオ・ウェンティー》
宝石が光ると同時に剣を横に振りかぶり、風の衝撃波を出す。それは真っ直ぐロキへと向かうも、詠唱無しにロキの手から出された火の玉によって破壊されてしまう。
その反動で、あたり一面に黒い煙が充満し、互いの姿が見えなくなってしまう。ロキは自分の炎の剣が居場所の目印にならぬように、一度消してから、いつどこからやってきても避けられるようにいかなる音も聞き逃さぬよう、耳の感覚に集中する。
しかし。
「邪魔」
「……っ!」
煙はまばたき数回で、ロキの視界から消えてなくなり、瞳に仁王立ちしているナリを映し出す。周囲には、煙の代わりにそれを吹き飛ばしている風がロキの顔を髪を揺らしてこそばせる。
「どうして、消したんだ?」
ロキの問いかけに、ナリは首を傾げる。
「消したって、煙のこと? だって、邪魔だろ? 俺は父さんと真剣勝負がしてぇんだから」
ナリの答えに、ロキは一時彼を見つめ、最後に盛大に吹き出した。ナリはロキの突然の笑いについていけずにいる。「なっ、なんだよ!?」と、自分は何か恥ずかしいことでも言ったのか、と顔をほんのり赤面させる。そんな彼に対し、ロキは「だってよー」と笑いを抑えながら話を再開させる。
「煙は別に邪魔なんかじゃないさ。ああいうのをうまく使っての戦法だってある。そういうスリルがある方がおもしれぇのに……! まぁ、君らしいっちゃ。君らしいがな。……いや、それとも。ボクに上手く使われて、背後を取られたくなかったか?」
ロキからの挑発に、図星だったのか、ナリは顔からでも読み取れるほどに不機嫌な顔のまま、足に力を込める。
「うる、せぇ!」
ナリは足元に風を起こし、それを飛び台にしてロキの元へと突っ込んでいく。予想外な攻撃の仕方にロキは驚きながらも、炎の剣を瞬時に生み出し、彼の上空から降ってきた重い衝撃をすんでのところを受け止め、腕と両足にかなりの重さがのしかかったものの、顔色を一つも変えず、いや、口角を吊り上げ、耐えた。
「なんだ、図星か? 君は本当にまっすぐだな〜。いや、ただの馬鹿か?」
「はぁ!? 馬鹿じゃねーし!」