4篇 家族の愛4


「着いたぞ」
 フェンリルが立ち止まり、俯いたままであったナルが顔を上げると、そこは岸辺であった。岸辺には、三つの長くて大きな石で出来た門が設置されていた。その石付近には、真新しい花やパン等がいくつも添えられている。
 三つの石で作られて空いた空間には、ほんのりと頭だけ出した太陽が見えた。ナルは太陽の眩い光に目を細めると、空間がぐにゃり、と歪む。
「っ!」
「安心しろ。迎えだ」
 ぐにゃりと歪んだ空間から、青い炎が現れる。その青い炎から、黒い使者が数人出てきた。ある者は置かれているパンや花を回収し、ある者は石の掃除をし始める。残る一人が、フェンリルとナルに近付き、一礼。それに合わせて、ナルもその者に対し頭を下げた。
「我が名はフェンリル。貴様らの主人に用がある。使者の道を使わせてくれ」
 フェンリルがそう言うと黒い使者はコクンと頷き、フェンリルの胴に手を置き、もう片方の手をナルに伸ばしてきた。使者の行動に理解が追いついていないナルに、フェンリルが解説をする。
「貴様も手を出せ。そいつの手を握るんだ」
 フェンリルに言われるがままナルは使者の手へと近付き、優しく握った。感触は、布を触っているかのような実体のない、柔いものであった。
 使者は数秒経つと、彼等から離れて他の使者達を集め始めた。ナルは使者に触れられた手を見ると、手の甲には小さなウェールの刻印がされていた。
「死の国へ入る事を許した証だ」
「証……そう、ですよね。本来、生者が死の国へ入るなんて、出来ないですもんね」
「あぁ、そうだ。俺様はヘラと兄妹関係にあるからこそ出来ることだ。特例でない限り、生者は死者に会えない。それが薄まっていったら加護が無くなって、死者として数えられてしまうから、気付いたら言えよ?」
「えぇ!?」
 ナルの震撼し震えた声音に対し、フェンリルはクハッと笑いながら「冗談だよ、馬鹿」と吐き捨て歩き出す。そんな彼に対し、ナルは頬を膨らませる。
 二人がそんな事をしている間に、使者達は既に炎の前で待機していた。二人が来ると、一礼して順番に一人づつ炎の中へと飛び込んでいく。最後に、証をくれた使者が「先に入って」と言うかのように二人を見ながら、炎の入り口を指差す。
 それに応えて、フェンリルが脚を動かしていく。ナルはフェンリルの毛をキュッと痛くない程度に握り、目を瞑った。
 ナルの身体に、冷たい風が触れるような感覚が伝わる。
 瞑っていた目を開けると、既に青い炎を潜り抜けきっていた。背後を振り替えると、朝日に輝く草っ原がユラユラと揺れているのが見えたが、再び景色がぐにゃりと歪んで、空間は閉ざされてしまった。
 ナルの目に映るのは、闇のみ。
「っ!」
 しかし、斜めから青白い光がぼぅと彼女を照らす。光の方へと顔を向けると、使者が青い炎を入れたランタンを彼女に突き出していた。
「女、持て。道を照らしてくれねぇと、落っこちまうからな」
「落ちるって……っ!」
 ナルがランタンの光を使って自身の周辺を照らそうとすると、そこは深くて暗い大穴だった。灯りを左側に動かすと自分達が立つ道、いや、階段が螺旋状に下へ下へと続いている。
「そっか。死の国って地下にある世界だった……」
「そうだぞ。落ちたらひとたまりもないってのに、数年前に落ちた時は大怪我してなくて驚いた」
「あはは、そうですよね。きっと、連れてきた使者が守ってくれたのかも」
「そうかもしれんな。さっ、行くぞ」
 そうして、フェンリルとナルは使者と共に死の国への階段を降りていった。

◇◆◇

 地下の奥深くに存在し、季節などなく、寒さしか感じない、死者の国。
 ナルとフェンリルは、黒い使者と共に国へと繋がっている延々と続く階段を降りていると、ようやくナルの持つ青い炎と同じ光がてんてんと見えてくる。どんどんとそこに近づくに連れて、光は強さを増していき、その姿を現す。
「……わぁ!」
 階段が終わり、辿り着いた広い空間には、地面全てを埋め尽くすウェールがあった。ウェールはヴァルプルギスの夜に渡したものの筈だが、それらはこの国に入る事のない優しい月の光の如く、眩く輝いていた。
 ナルはフェンリルから降りて、その花へと近付く。
「光ってるの不思議……綺麗」
「ありがとう。花もきっと、喜んでるでしょう」
 背後からか細く可愛らしい声に振り向くと、そこには黒いドレスに身を包み、顔も口元を残して黒いベールに包まれている。そんな不思議な雰囲気を放つ女の子。その女の子の登場に身を硬らせるその隣には黒い番犬ガルムが居た。
「いらっしゃいませ、フェンリル殿。そして、ナル殿」
 ガルムが彼と付き添いで来た彼女の名を呼ぶと、隣にいた女の子が「ナル?」と彼女の名を繰り返し呼んだ。すると、なぜか女の子は「まぁ、あの方が」と笑みを浮かべて、ナルの元へと足早に向かってくる。
 女の子はナルの傍へと辿り着き手を彼女に差し出そうとしたものの、何かを思い出したのか、慌てて自身のポケットから黒いシルクの手袋をつけ、改めてナルに手を差し出した。
「はじめまして。邪神ロキの娘、ナルさん。私はヘラ。この国の女王です」
 ナルは少女の名に驚きながら彼女の手を見て、フェンリルに目線を向ける。彼女の目線に気付いたフェンリルは、黙って頷いた。その頷きに彼女も頷きで返し、改めてヘラに顔を向けてその手を握る。
「はじめまして、死の国の女王ヘラ様。……あの、一つお聞きしても?」
「えぇ」
「なぜ、私の名を」
「あぁ、それは。いつもフェン兄様が」
「ヘラ!」
 彼女の言葉を遮り、フェンリルがナルとヘラの前に出る。
「無駄話をするな。俺様は貴様に話したい事が」
「あら、無駄話なんて酷い。私があの時協力してくださった方々に会いたがってたのをよく知ってるくせに」
「ぐぅ」
 ヘラの言葉にしかめっ面を見せるフェンリル。その後ろでナルは、彼女の言葉が気になり「あの」と話しかける。
「あの時、って。もしかして数年前の」
 ナルが言葉を続けようとしたが、それで合っていたのかヘラがベールの下から微笑んだ。
「えぇ。私、ずっと貴方達にお礼が言いたくて……あら、そういえばお兄さんの方は? いつも一緒にいると聞いていたのだけれど」
 ヘラが首を左右に動かして、ナリの存在を探し始める。そんな彼女にナルが話そうとするも、それもフェンリルによって遮られる。
「今回は俺様の監視として、コイツが偶然選ばれたのだ」
 フェンリルの話に、ヘラは「そうですか……」と、とても残念そうに首を横にふった。そんな彼女の傍にナルが近づき、「兄には、私からヘラ様のことを話しておきますね」と約束すると、彼女は「えぇ、よろしくお願いしますね」と、また彼女に微笑みを見せた。
 そんな彼女達の様子を見ながら、フェンリルは小声で「まぁ、アイツは好かん小僧だから、礼なんてせんでもいい」と言った。それを隣で聞いてしまったガルムは「性格悪いんだから、本当にもう」と心の中で苦笑するのであった。