陽が傾き始め、月が登るまで数時間となった。
全ての仕事を終え、残すはヴァルプルギスの夜を見守るのみとなった兄妹達は、担当していた人間の国の住人達から温かなハーブティーを貰い、森の中にある会場内で一息ついていた。
「今年も無事に準備が出来て良かったね」
貰ったハーブティーをニコニコと飲みながら話すナル。そんな彼女の意見にエアリエルとナリも「そうですねー」「そうだなー」と緩んだ顔で賛同した。
「貴様等、まだ終わっていないのに緩すぎるぞ」
しかし、人型フェンリルだけはそんな彼等を叱咤する。
「別にいいだろー。ていうか! フェンリルはいつもは手伝わねーのに、なーんでこのヴァルプルギスの夜だけはちゃんと手伝うんだよ」
ナリの言う通り、フェンリルはいつもは行事の手伝いをナルがお願いしてもやらないというのに、ヴァルプルギスの夜に限っては自ら仕事を貰いに来る程の働き者へと変貌する。
「妹さん、ヘラさんが好きな行事ですもんね」
「あー、なるほど」
「勝手に解釈するな、納得するな」
「では、なぜ張り切るのか理由を聞いても?」
エアリエルが悪戯な顔でフェンリルに尋ねるも、彼はそっぽを向くだけで答えなかった。それが彼の答えなのだろう。三人共「あぁ、図星なんだな」と心の中で苦笑する。
そんな彼をあたたかい目で見守るも、そんな兄妹とエアリエルにフェンリルは苛立ちを見せた、が。細い目をなお細めて、彼は苛立ちをかき消して自身の背後を睨んだ。
そんな彼の様子にナルは「フェンリルさん?」と名を呼ぶ。しかし彼はナルの声を無視し、カップを無言で渡して立ち上がった。
「ロキはどこだ?」
「父さん? 父さんならまだ神の国じゃねーかな。でも今回は人間の国で母さんと見るって言ってたし、待ってたらこっち来ると思うぜ」
それを聞いたフェンリルは「そうか」とだけ言ったまま、何かを考え始める。ナルは彼が睨んだ方を見るも、何も無いように思えた。意を決してフェンリルに「あの」と声をかけるも、それは彼の手によって封じられる。
「貴様等には関係のない事だ。気にするな。ちゃんと兄貴といろよ、女」
そう言ってフェンリルはどこかへと行ってしまった。
「なんだアイツ」
「……」
ナリはフェンリルの態度に苛立ちの目を向けるが、ナルは彼の背中をジッと見つめていた。
◇◆◇
黄金に輝く満月の夜。
各国で青き炎が舞い上がり、儚き命を悼む祭ヴァルプルギスの夜が始まった。
兄妹が担当する人間の国でも青き炎から黒い使者がどんどんと現れ、ユグドラシルの民達は彼等へ大切に持っていた一輪のウェールを渡していく。
異世界からの来訪者や兄妹、そんな彼等から少し離れた所にシギュンとロキもそんな幻想的な光景に見とれていた。
「……」
「っ。ロキ、どうかしたの?」
しかし、ロキは少しソワソワしている様子であった。そんな彼の様子に気付いたシギュンの声掛けに、ロキは戸惑いを見せながら「あぁ、ちょっとな」と背後の茂みに目線を泳がしながら、話をはぐらかせようとする。そんな彼に心配な眼差しを向けるシギュン。
彼女の視線にロキは微笑みながらシギュンの頭を撫でてやり「悪い、少し行ってくる」と言って、彼女の傍から離れ茂みの奥へと姿を消した。
◇◆◇
ロキは周囲に誰もいないことを確認し、大声である名を呼んだ。
「アングルボザ。居るんだろ? 何をまた企んでるか知らないが、さっさと出てこい」
そう彼が苛立ちを込めた声で話せば、「あ〜ら〜心外だわ〜」とねっとりとした声がロキの頭上から聞こえた。
彼が頭上を見上げながら一歩後ろへ下がれば、先程ロキがいた場所にストンとアングルボザが落ちてくる。
「なんにも企んでなんかないわよ〜。ただ〜幻想的で美しいヴァルプルギスの夜を鑑賞してただけじゃないの〜。それぐらい、嫌われてる巨人族でも許されるでしょん?」
「たくっ、どうやって入ってきたんだか……で? 本当の目的は?」
「んもう、ロキったら! 本当だってば! ひっどいな〜」
「君等がそういう性格だからだろ」
ロキが溜息混じりに肩をすくめれば、「えー。ロキだって巨人族でしょ〜?」とアングルボザは不満気に頬をふくらませながら話した。
「ボクは元だ。それに、正確に言えば血は炎の巨人族だ」
「もー頑固! そんなに霜の巨人族がそんなに嫌い?」
「ボクは初めから君達のことは気に食わなかったよ。父さんの事も馬鹿にするしな」
ロキが父の事を話すとアングルボザは怪訝な顔をする。
「ほんと、ロキはスルトのことが好きよね。ねぇ? なーんで実の家族を焼き殺されたのに、そんなにスルトを好きでいられるの? 普通は憎むでしょ」
「……」
アングルボザからの問いかけにロキはだんまりであった。話せないのか、それとも話したくないのか。そんな彼の態度にアングルボザは足踏みをして苛立ちを表現する。
「もーう! ロキはいつもそうね! いい加減教えてくれてもいいじゃない!」
「じゃあ、君も吐いたらどうだ? 何を企んでる?」
「だーから。何も企んでないわよ!」
アングルボザはまたも頬をふくらませて、不貞腐れるものの「まっ。今でもいっか」と呟いた。そんな彼女の言葉にロキは身構えれば、アングルボザは彼に向かって言い放った。
「ロキ。巨人族へ戻ってきなさい。我々、霜の巨人族に」
彼女の言葉に、ロキはまばたきを忘れ、ずっと目を見開いてアングルボザを見た。「なんて冗談を話すのだろうか」とロキは彼女を馬鹿にしようと口を開きかけた。
しかし、アングルボザの目は先程まで頬をふくらませたり、騒いだりしていた女ではなく、真剣な巨人族の誇りを眼に宿した、そんな彼女の眼を見たロキは、言葉を選びながら話す。
「答えはノーだ。けれど、理由を聞きたい。なぜだ? なぜそんなことを? ボクを使って悪巧みか?」
ロキの問いかけにアングルボザは「なぜって、そんなの」と悪戯な笑みを見せながら腕を広げ、ロキの身体へと近付くき腕を背中へと回そうとする。そんな彼女の行動に気付いたロキは即座に彼女から数十歩離れた。
「そこまで離れなくてもいいじゃない!」
「離れるに決まってるだろ! というか、ボクは理由を話せと言ったんだけど?」
「だーかーら。これが理由よ」
アングルボザは腕を大きく広げて主張するが、ロキには彼女の意図が理解出来なかった。そんな彼を見て「仕方ないなー」とアングルボザは肩をすくめる。
「だからね、ロキ。貴方が欲しいのよ」
ニタリと笑う彼女に、ぞくりと冷や汗がロキの背中に流れた。
「それは巨人族で、か?」
「いいえ。コレは私個人の願い。まぁ、巨人族の事にも繋がるかもだけどね」
彼女の話を聞き、口を閉ざすロキ。そんな彼を見て「んー。今日はもういっか」とアングルボザは彼に背中を向ける。
「今日はもう帰るわ! また会いましょう、ロキ」
「来るな。会いたくない」
「酷い!」
アングルボザは背を向けたまま「じゃーねー」と手を振り、森の奥へと歩いていった。
そんな彼女の背を見送るロキは「人間の国を出るまででいい。行け」と声を出せば、彼の背後にある茂みから二つの影が現れアングルボザの後を追う。
その様子を見守ったロキは「ふぅ」と一息つくと、ガサッと物音がした。音のした方へ振り向けば、そこには眉を下げ悲しげな眼差しでロキを見つめるシギュンの姿があった。
「シギュン」
「ごめんなさい、ヴァルプルギスの夜も終わったから、探しに来たのだけど」
彼女の表情から察するに、話を聞いてしまったのだろう。ロキは彼女の傍へと近づき、無言で抱き寄せた。シギュンも彼の腰へ自分の腕を回しギュッと強く抱き締め、「大丈夫よね?」と怯えながら小声で聞く。
彼女の問いかけに答える寸前、再び物音がしたかと思えば、アングルボザを追っていたスコルとハティが出てきた。どうやらアングルボザは何もせず人間の国から出ていったようだ。彼等を見て安心したロキは微笑みながらシギュンの頭を撫でる。
「大丈夫、大丈夫さ。アイツ等に何にもさせやしない。もし何かあっても、ボクが絶対に兄妹も君も、守ってみせるから」