小さくとも懸命にこの夜空を輝かせる星々。そんな星が煌めく空に、大きな翼を羽ばたかせているファフニールとその背中に仰向けで寝ているロキがいた。
ファフニールは先程まで酔っていたため上機嫌であったのに、酔いが覚めてしまったのだろうか先程までの顔の火照りが無くなっている。代わりに、その顔をほんの少し青ざめながらちらちらと背中のロキを見ている。それでも彼に何か話すわけでもなく、ただ心配な眼差しを向けていた。
そんな状態がずっと続き、ようやく前方に島らしきものが見えてきた。
「ロキ、もう着くぞい」
ファフニールがロキへと声をかけるが、返事は無い。ファフニールは眉間に皺を寄せる。
「……おいっ、ロキ。ロキ!」
ファブニールが焦り気味に彼の名を叫んだ。すると、「……うん?」と小さく掠れた声が彼の背中から聞こえる。
「今、寝とったろ」
「ねてない」
「寝とったの。声がぼやけておる。ロキ、お前さんには緊張感はないのか」
「さーねー……」
「まったく。子供や嫁さんがいないからとダラダラとしよって……。ほら、もう降りるぞ!」
先程よりも速度を上げ、ファブニールは煙に包まれた島へと降下し、赤茶色の地面に着く寸前には速度を緩め、そこへと降り立った。
速度を上げ、ファブニールは煙に包まれた島へと降下し、赤茶色の地面に着く寸前には速度を緩め、そこへと降り立った。
ファブニールは「ほれ、着いたぞ。降りな」と、ロキが降りれるように脚を折りたたみながら言う。ロキはその言葉に従い、ゆっくりと彼の身体から降りてはそのままそこで、彼の身体にもたれかかる。
「ロキ。もう少しシャキッとしろ」
「あー……待って」
ロキは深呼吸をし、ここの熱い空気を身体に取り込こんでいく。そして「……よし!」と自分の両頬を叩き、先程よりもシャキッと立つ。
「なんじゃ、ロキ。緊張しとらんと思っておったが、緊張しとるんか?」
「緊張してるさ」
「さっきまで寝てたやつが……普通は緊張してたら寝れんもんなんだが……」
軽口で言うロキの言葉に納得のいかなかったファブニールだが、彼の小さく震える手を見て「まぁ、そういう場合もあるか」と心の中で納得した。
「よし、行くか。場所はどこだ?」
「こっちだ」
そうして、ファブニールは竜の姿のまま、二人揃って歩き出す。歩く度に何処かの地面から炎が噴き出す、岩がゴロゴロとあるだけの殺風景な場所を。
「それにしても久しぶりだなぁ、ここに来るのも。……この暑い感じも、何もかも、変わってねぇ」
ロキは歩きながら、噴き出した炎から散らばった火花が空の星と共に輝く姿を見る。
ユグドラシルは季節に夏は存在するものの、飛躍的に温度が上がることは無い。だがしかし、例外の場所が二つ存在する。
それは死を管理する死の国。女王ヘラが最高神オーディンの命により治めている国だ。そこは一年中寒さを感じる極寒の場所であり、死の国の地上からの入口は氷山が囲っている為、又の名を氷の国と呼ぶ者もいる。
そして此処、炎の魔法を使う巨人族が棲む炎の国。この世界にまだユミルが居た時から、そこに存在していたといわれる炎の王が治めている国だ。
ただこの国だけが、ユミルを殺した最高神オーディンさえも立ち入る事も攻略する事も許されず、煙と炎の壁で囲まれた場所である。炎の国は季節関係なく、国中が暑く蒸されているため、神族であっても此処に長時間居ることは身体に害する。なので此処に居ることが出来るのは、炎の巨人族か炎の王と契りを交わした者のみだ。
「はぁ……。にしても、お前さんを説得するのに時間がかかってしまったわい」
ファブニールは深く溜息を吐きながらロキを睨む。そんな彼にロキは訝しげな顔をする。
「イキナリはないだろイキナリは。今まで帰れなかったのは、ボクだって色々と心の準備がいるしよ」
「帰れなかったというより、帰りたくなかったのだろう?」
「むっ……そんなことねぇし。本当に帰れなかったんだ。気まづさで」
「ほほーん? わいが思うにそれは帰りたくなかったになるんじゃが……」
ファフニールがまた、彼を心配げな目で見る。そんな視線に気づいたのか「んだよ、ファフニール」と、苛立ちを込めた声でロキは、彼の名を呼ぶ。
「さっき飛んでる時もそうだったな。聞きたいことがあるなら言えよ」
ロキにそう言われたファフニールは「ロキがそう言うんなら……」と、おずおずと話し始める。
「さっき。ナルちゃんに――」
『つまらなくても、私達は聞きたいよ? お父さんは、それ以外に何か理由があって話せないの?』
「言われた時。どう思った」
「どう、って」
「お前さん。やはり師匠を……恨んでるのか?」
ファフニールの言葉に、ロキは目を見開き「違う!」と強く否定する。
「恨んでなんかない。逆に、感謝してるさ。この力をくれた事も。生かしてくれた事も、全部」
ロキは自分の拳を強く握りながら話す。
「けど、あの人が嫌いな神族の仲間になったこと。自分が決めた道だから、堂々とすべきなんだろうけど……なかなか、な」
少し申し訳なさそうに、ロキには珍しくしおらしい表情をしている。彼はそのまま「それとナルのは」と話を続ける。
「自分が自分の過去を嫌いだったからさ。あの子達は、ボクの過去を知りたいようだし、そういう好奇心は当然のものだ。強く否定出来ない。家族だから嫌な事も何もかも、そういうのは話すべきかもしれないが……どうも、な」
ロキは彼には似合わない悲しい顔から、いつも通りの太陽のような笑顔をファフニールに向ける。
「まっ。ナリには勝てたら話してやるって言っちまったし。向き合うべきなんだろうな、きっと」
そんな彼にファフニールはどんな言葉をかければ良いのかと考えた。
その時。
「なんだ」
優しい、しかし強く芯のある男性の声が彼等の頭上から聞こえる。その声に二人は肩をビクつかせ、その声のした方へと恐る恐る顔を向ける。
「ようやく帰ってきたか、待ちくたびれたぞ」
周囲の岩の中で一番高いであろう岩に座り込んでいる声の主は、赤色と橙色が入り混じった髪は三つ編みに結ばれ、上半身だけ裸で屈強な筋肉を露わにさせた姿をしている。そんな彼は髪と同じ色をした瞳で彼等を見下ろしていて、二人は緊張が解けずにいた。そこで、ファフニールが一歩前に出て頭を下げる。
「師匠。只今戻りました」
「師匠と呼ぶなと言っているだろファフニール。名前で呼べ」
「しかし、やはり師匠と呼ぶのが一番慣れておりまして。……でしたら、仕切り直させていただきます。只今戻りました、スルト様」
「うむ。……で」
男——スルトはファフニールから目線を逸らし、まだ動かぬロキを見る。
「お前は、何も言ってくれんのか?」
「……」
ロキは強ばった顔をほぐすため、一度深呼吸をしてから一歩前に出てスルトを見つめる。
そして、ややぎこちないもののほんの少しだけその口元に笑みを見せたロキは、彼に向かってこう挨拶をした。
「お久しぶりです……《《父さん》》」