8篇 愛が死んだ日1


 フギン達が、ホズがどこかへと消えてしまったことを知った時。
 そして、そのホズがロキの所に向かっていた時。
 運命は、またも違う所で動き出そうとしていた。

 ナリとナルは、神殿の片隅の部屋にいた。ナリは寝具で横になり、天井を一点に見つめ。ナルはソファで両足を丸めて、うずくまっている。互いに何も発さず、目も合わせず、重暗い空気の中で、今までの彼等では考えられない程に、静かであった。
 そんな彼等の部屋の扉から、ノック音が聞こえる。その音と共に、「入るぞ」と男の声が聞こえ、そのまま扉が開かれる。そこにはフレイとフレイヤを先頭に、男神二名が豊穣の兄妹の背後に付いて現れる。
 彼等の登場に驚きながらも、邪神の兄妹は彼等に対し何も発さず、じっと見つめている。豊穣の兄妹も彼等と同じようにじっと見つめるだけだったものの、背後に居た男神達に何やら耳打ちされ、彼等は強く頷き、フレイとフレイヤは互いに目を合わせ。
「「ぐあっ」」
 彼等の背後にいる男神達が、床から現れた太い枝に絡められ、そのまま床へと叩きつけられた。
 そんな突拍子もない光景に、邪神の兄妹は口をぽかんと開けている。そんな彼等に、豊穣の兄妹は手を強く差し出す。
「「ナリ、ナル。一緒に逃げて/よう」」
 豊穣の兄妹は、それぞれナリとナルの手を掴み、部屋の外へと連れ出す。
「ちょっ、ちょっと待ってくれよ!」
 部屋から連れ出した豊穣の兄妹は、彼等に何を言われても無言で、ただひたすらに走っている。四人は神殿から外へと進み、神殿の管理下にあたる草原で、彼等はようやく立ち止まった。
 邪神の兄妹は息を整え、ようやく話を聞くようになった豊穣の兄妹に話しかける。
「おいっ! どういうことか説明しろ!」
「逃げるって、何からなんですか?」
 邪神の兄妹の疑問に、豊穣の兄妹は口を揃えて言う。
「「ニョルズからよ/だ」」
 豊穣の兄妹の口から出たのは、彼等の父親の名であった。なぜ、彼等の父親から逃げなくてはいけないのか。そんな疑問を口から出す前に、フレイが話し始める。
「余達は、お前達に話さなければいけないことが、謝らなければいけないことがある。そのために、ここまで連れ出し、ニョルズから逃げてきたんだ。この……お前達と友達になった此処で」
 邪神の兄妹は、フレイの言葉に記憶を掘り起こしていく。初めて神族見習いとしてここにやってきた時、勝負を申し出してきたフレイとフレイヤ。その勝負をこの草原で行い、そして勝利と共に邪神の兄妹は豊穣の兄妹と、友達になったのだ。
「けれど妾達は……貴方達と、友達だと呼び合える資格は、もう無い。いや、既に無くなっていたのよ。貴方達に、相談したあの日から」
 相談、という言葉に再び彼等は記憶を遡っていく。それは最近の記憶。豊穣の兄妹の様子がいつもと違っておかしいと感じたあの日。
『もし自分の大切な人が何かをしようとしていたら。それが、正しいことなのか、間違っていることなのか分からなかった時。……どうする?』
 その答えに対し、兄妹は『傍にいるよ』と、答えたのだ。
 それでも邪神の兄妹は、なぜその日から自分達は友達では無くなってしまったのかという理由を掴めずにいる。そんな彼等を放って、フレイは話を続ける。
「ナリ、ナル。今から話すことは全てが真実だ。その話を全て聞いてから」
 フレイはナリの前に、一振りの剣を投げ渡す。
「我等を殺してくれ」
 フレイの言葉に、兄妹は目を丸くさせる。
「なっ!? 何言ってんだよ、フレイ! そんなことする理由がっ」
「我等を殺す権利を、貴方達は持ってるのよ!」
「……その、これから話してくださる話って?」
 ナルが豊穣の兄妹を不可解な面持ちで聞くと、彼等はそれに対し頷く。
「貴方達の父親ロキを陥れたのは、我等の父親であったニョルズなんだ」

***

 運命は、彼等が呼び出された時から始まっていた。
「ヴァン神族を復活させる」
 それが、ニョルズが子供たちを呼び出した理由だった。
 アース神族に敗れ、存在しないものとなったヴァン神族の復活。自分達の誇りが復活出来ることを喜ぶ豊穣の兄妹ではあった、が。そのための計画に、喜びは何処かへと消え去ってしまう。
「オーディンを殺すのだ」
 最高神オーディンが死ねば、神族は再構築される。光の神バルドルが次期最高神になるのは確定とされているものの、それを機にヴァン神族を復活させるのだ。
 その計画に、豊穣の兄妹はニョルズに反発するものの、彼の耳には子供たちの声は聞こえないでいた。
 従うべきか否か、それを悩んでいた時に邪神の兄妹に相談したことにより、彼等は父に従うことにしたのである。
 そうして、夏至祭の日に計画は実行された。誰かが毒を塗った矢をオーディンに放つ。単純に、それだけの作戦だった。これは成功する、ヴァン神族の誰もがそう信じていた。
 光の神が邪魔さえしなければ。
 バルドルがオーディンの代わりに死んでしまったことで、計画は失敗に終わった。そうだと多くの元ヴァン神族達が思い、光の神殺しとしてあげられてしまうのではないかと恐れていた。
 しかし、ニョルズは。
「邪神ロキに罪を押し付けるのだ」
 嫌われ者であり、醜い巨人族の血を持つ彼ならば、きっと皆納得するだろう、と。ニョルズは議会で彼の名を出し、邪神ロキを地下牢へと追いやった。トールが真犯人を見つけることがない限り、邪神ロキの死刑は確定だろう。
 邪神ロキが犯人に仕立て上げられたことにより、元ヴァン神族達は浮かれていた。
 最高神オーディンも弱っている今なら改めて奴を殺す作戦も出来るだろう、光の神バルドルもいない今なら次期最高神は我等のニョルズ様だろう、などと騒いでいた。
 そんな彼等に嫌気を差していたフレイとフレイヤの耳に、ある話が流れ込んでくる。
「なぁ、あの邪神の子供達は今はどうなってるんだ?」
「あぁ、あの子達か。今は部屋でじっとしてるようだな。特に何らかの罰は与えられていなようだ」
「ほぅ、随分と優しいものだな。彼等は邪神ロキと違って仲が良い者が多いようだしな。そのおかげだろう」
 そんな会話をする数人のうち一人が、「それじゃあ」とある事を提案する。
「我等が奴等に罰を与えないか?」
 フレイとフレイヤの全身が震え上がった。
「奴等は父親を救おうと、あの最高神の命令を無視したんだ。やはり、それなりの罰は必要だろう」
 そんな一人の提案に、その場で話していた者や周辺に居た者達も集まって、その提案に賛同し始める。
「我等ヴァン神族以外にも、アース神族の中ではその子供達も死刑にするべきだと言う考えを持つ者達は多く居るからな」
「奴等も、醜き巨人族の血を引いておるし。殺してしまっても、何も問題はないだろう」
 あぁ、これは。間違ってしまっている、と。
 だから彼等は。
「その遊び、余達も混ぜてもらおうか」
「我等も彼等には心底うんざりしていましたから」

***

「友達の父親を陥れて、友達を殺してまで。ヴァン神族を復活させるなど、我々は望んでいない! そんなものに誇りなど……持つ事など出来ない。今までよりも一層、醜いものにしかならん」
「だからこそ我々は! 恨まれてもいい、殺されてもいい、その権利が貴方達にはあるから、その覚悟が我々にはあるから。だから……!」
 フレイヤは瞳に涙を浮かべ、そのまま膝をついて涙を流していく。
 二人の話を聞き終えた兄妹。ナルは彼等から隣にいる兄に目線を移す、と。ナリの瞳は豊穣の兄妹を睨み、その拳は震えていた。
 そんな兄の手を、妹は自身の両手でぎゅと握ってやる。その温もりに気付いたナリは、心配げに見つめる妹に「ありがとう」と微笑みを向ける。そこからナリは「よーし。フレイ!」と彼の名を呼ぶ。
「一発殴らせろ!」
 あの優しげな笑みはなんだったのか。途端にナリの目はギラギラと光らせながら、指を鳴らしながら殴る準備を始めている。
「兄さん! なんで?」
 慌てる妹に「まぁまぁ、ナル。にいちゃんに任せろ」とそんな彼女を、なぜか兄の方がなだめていた。そして、ナリは妹から豊穣の兄妹達へと視線を戻す。
「悪りぃのはアンタ達の父親だしさ。苛々を、アンタ達にぶつけるのもどうかと思うけど。自分達の気が晴れねぇって言うんなら、この拳を受け入れろよ」
 ナリの言葉を聞いたフレイは、考える事無く「あぁ、分かった!」と歯を食いしばり、彼の前に立つ。
「思いっきり来いっ!」
「言われなくて……もっ!」
 フレイの言葉にニッと口角を上げたナリは、腕を後ろに引き、思いっきり前へ、フレイの右頬に容赦なく拳をぶつける。フレイはナリの拳を受け止めると、一歩後ろへとよろめく。彼の右頬は赤くじんじんと腫れてしまっている。
 普段のフレイならば、自身の顔が傷つくことに怒りを持つはずなのだが。今の彼は、なぜか清々しい表情をしていた。
 そんな兄の決意を見届けた妹フレイヤは拳をギュッと握り、「私も!」と声をあげる。
「ナル、妾を殴って!」
 フレイヤの申し出に、まさか自分にも向けられると思わなかったナル。
 しかし、フレイヤのまっすぐな眼差しに彼女は戸惑いを消せずにいるものの、唇をギュッと結び、フレイヤの目の前へと立つ。そして、「いきますよ!」とフレイヤの頬に両手を近付け、目を瞑り、頬肉をひとつねり持つ。
「いっ!」
 そのつまんだものを、ナルは強く引っ張った。
「たぁーいっ!」
 その痛みに耐えられず、フレイヤは涙を浮かべながら悲鳴をあげる。ナルが彼女の頬から手を離すと、フレイヤは涙目のままつねられた頬を優しく撫でる。
 ナリとナルは互いに目を合わせ、口元に笑みを浮かべて頷き合う。
「「これで、また友達だ」」
 ナリとナル、二人の言葉と微笑みに、フレイとフレイヤはぽかんと口を開けているものの、彼等も薄暗かった顔に痛そうな赤い色が染められながら、その口元を緩めていった。
「「ありがとう」」