ナリとロキの、決闘前日の昼下がり。
「風が気持ちいいですね」
「ですね〜。この季節はフェンリルさんの毛並みも、一段と心地いですし」
「俺様の毛並みはいつも最高だ」
「はいはい、そうですねぇ」
エアリエルとナル、フェンリルが心地よい風を浴びてくつろいでいる。
「……」
しかし、いつものこの時間なら鍛錬場にいるはずのナリだけは、その三人と違って不機嫌な顔を浮かべていた。そんな彼にナルが苦笑しながら話しかける。
「兄さん、まだ機嫌なおらないの?」
ナルが話しかけると、ナリは不貞腐れた表情のままでいる。
「なおるわけねぇじゃん。エアリエルに『鍛錬はお休みです!』なんて言われて、無理矢理ここに連れてこられてさ!」
そう。彼はここに来る前は、いつも通り明日の試合の為に、鍛錬場へと向かおうとしていたのだが。傍にいたエアリエルにそう言われて、半ば無理矢理連れてこられてしまったのだ。
「父さんとの試合は、明日なんだぜ? 俺、こんなゆっくりしてていいのかな……」
そんなナリの弱々しい言葉に対し、エアリエルは彼の隣で「いいんですよ!」と叫んだ。
「ナリ様は明日の為に頑張ってきました。それは、傍で見守ってきたこの私が保証いたします。だからこそ、大事な日の前日は休むべきだと、考えたのですが……」
エアリエルが心配な目でナリを見つめる中、ナルも彼女の意見に賛同し、「私も今日ぐらいは休むべきだと思うよ」とナリに言った。そんな彼女達の思いを受け止めながらも、ナリは表情を曇らせたままである。
「……俺のことを思ってくれてるのは、よーく分かったよ。ありがとな。ただ、俺は不安なだけで、さ」
そんな彼等の話に、「たった一日ぐらい」とフェンリルが鼻で笑いながら、話に割って入っていく。
「たった一日休んだだけで、貴様の今まで鍛錬した力は失われるのか? あぁ?」
フェンリルのナリを煽る発言に、彼は顔を林檎のように赤く熱らせる。
「なっ! そんなわけねぇだろ! ただここ最近、毎日鍛錬してたから、鍛錬しない日なんて珍しくて、身体が落ち着かなくてよ……」
「ハハッ、随分と鍛錬中毒者みたいな会話してんな」
この場にいないはずの声を聞き、兄妹達が声のした方へ顔を向けると。
「父さん!」
「お父さん、どうして」
父の登場に驚く兄妹に、ロキは手を振りながら彼らのいる場所まで歩いていく。
「いや、まぁ。特に用事があるわけじゃ珍しく鍛錬場にナリの姿が無くて、どこにいるのか気になってな」
ロキはちょうど兄妹の間へと割り込んで座り、兄妹の頭を優しく撫でる。いつも通り、ナルは撫でられてとても嬉しそうに微笑み、ナリも今回の件も合わせて、いつもより一層撫でられたことに不機嫌さを顔に表している。
「ナリ。今回はエアリエルやナルの言うことを聞いてやったらどうだ? ボクも君とは万全の状態で戦いたいからな。最後の最後に怪我でもされちゃ、ボクも嫌だし楽しみにしてた君だって嫌だろ?」
ロキの言葉に口をすぼめるナリ。少し間を開けてから、彼は「……分かったよ」と答える。納得した様子のナリに、ロキは「偉いな」と再び頭をぐしゃぐしゃに撫で始めた。一度ならず二度までも、とナリはロキの腕を掴み「撫でんな!」と頬を赤らめて怒鳴った。
「恥ずかしいから、やめろよなぁ。もう、ガキじゃねぇんだから」
「ボクにとっては、君達はずっと子供だ。前にもそう言ったろ?」
「そうだけど……、俺は。……いや、いい」
ナリはまだ何か言いたげな表情を見せるも、口から出そうになった言葉を引っ込めて勢いよく立ち上がると、ビシッとロキに指をさした。
「明日、俺が勝ったらガキ扱いは無しだ。父さんの過去を受け止められる大人だって認めさせてやる……ナルも、な」
ナリは座ったままのナルに目線を向けて言うと、彼女は小さく微笑みながら頷く。そんな彼等のやりとりを見ていたロキは「本当に仲がいいなぁ、君達は」と呟き、一呼吸置いてから彼への答えを出す。
「あぁ、分かったよ。ボクに勝ったら認めるし、ちゃんと話してやるよ」
ロキの答えにナリは満面の笑みを見せる。
「よーし! そうとなり、鍛錬……は無理だから、精神統一をしよう。ナル、向こうでやり方教えてくれよ」
「うん!」
兄妹はエアリエル達のいる場所から少し離れて、ナルが早朝にしている精神統一の準備や兄に教え始めていた。そんな彼等の様子を父の顔で見守っていたロキ。そんな彼に、隣へと移動してきていたエアリエルが話しかける。
「あの」
「うん?」
「私がした事は、余計なお世話だったんでしょうか。最後は貴方の言葉で納得してくれましたが……」
「……。そんな事ないさ」
ロキは少し落ち込んだ様子のエアリエルを一瞥し、すぐに目線を兄妹に戻して、そう言った。
「君の優しさは、余計なお世話じゃない。今も……あの時も」
あの時。その言葉にエアリエルは肩を跳ね上がらせて、ロキを食い入るように見つめた。
「邪神ロキ、貴方は……あの時のこと、許してくださるのですか?」
エアリエルがおそるおそる話しかけると、ロキはただただ微笑むのみであった。