和やかな朝、神の国にて軽快に三頭の馬が神殿に向かって走っていた。
「うっ、やっぱり今日はやめとくんだった」
そのうちの一頭にはロキが乗っているのだが。昨夜の酒がまだ残っているのだろう、気分の悪そうな顔をして口元を抑えている。
「もーう、お父さん呑みすぎたの?」
「帰りもファフニールさんだったんだろ? その時は大丈夫だったのか?」
そんな二日酔いの父に兄妹は並走し、やれやれといった表情で言葉をかけた。
「ファフニールは乗り慣れてるし、そこまで揺れないから大丈夫なんだが。馬はどうしたって揺れるからな……ふぅ、ようやく着いた」
ロキはなんとか吐かずに神殿まで辿り着いた。馬達を兵士に預け、三人は神殿の中へと入っていく。神殿の中は今日がヴァルプルギスの夜だからと皆は忙しなく動いていた。
しかし、今日の忙しさはその行事のものだけではなかった。
「フリッグ様、ぜひ後程お聞きしたい事が」
「わ、私も!」
「あら、いいわよ。人数が多いなら明日は庭でティータイムにしましょう」
最高神オーディンの妻フリッグの帰還の日でもあった。亜麻色の髪に優しげな瞳はどことなくバルドルに似ている。そんな彼女は女神達に囲まれながら歩いていたが、「あら?」と三人の方へと顔を向けた。
「あの邪神ロキではないですか。我が最愛の夫と息子の為に働いてくれているようでよろしい」
「どうも、フリッグさ・ま」
そんな彼女の言葉にロキはなんの敬意を込めぬ返しをするも、フリッグはそれを無視し彼の前にいる兄妹に目がいく。
「ん? 見知らぬ者がいますね。貴方達は誰ですか?」
フリッグの問いかけに隣にいた女神が何やら耳打ちすれば「まぁ!」と大きな声を上げる。
「貴方達、邪神ロキの子供なのね!」
フリッグは兄妹とロキを交互に見て「まったく似ていないですね」と言えば「どっちも母親に似たんだ」とロキが返す。そして兄妹はフリッグと目が合えば姿勢を正し、自己紹介をする。
「俺はナリです」
「私はナルです」
「あら、ロキと違って礼儀が正しい。ふふ、それでは最高神オーディンの為に頑張ってちょうだいね」
そう言い残してフリッグは、取り巻きの女神達と共にその場を去っていった。
「いつ見ても好きになれないな」
「なんだか、バルドルさんやホズさんにも性格は似てなくて少し驚いちゃった」
「それに、二人はオーディン様とも性格は似てないよな」
「まぁ、二人は色々となぁ」
ロキの意味深な言葉に兄妹はそれ以上二人について話をせず、「それじゃ、俺達もう行くな」「しんどいなら無理しちゃダメだからね」と兄妹は彼に別れの挨拶をして、その場から去って行った。そんな兄妹の背中を見送り、彼も自身の持ち場へと向かう。
その道中、「ロキ」と彼に声をかける者がいた。名前を呼ばれ立ち止まって振り向けば、背後にはバルドルがロキの所へ小走りで向かっていた。
「なんだバルドル。さっき会った時に居なかったが、お母さんの所にいなくていいのか?」
「なんだ会ったのか? 会ったなら見ただろうが、今は女神達がいてくれるから問題ないさ。夜はきっと一緒にいるだろうが」
「おぉ、そうかい。なら今日は、シギュンと一緒にヴァルプルギスの夜は過ごそうかな」
「それもいいだろうな。なんなら、兄妹達と一緒に家族皆で過ごせばいいさ」
「……? どうした」
バルドルは普通に談笑していた筈なのだが、ロキは彼の声が寂しげなものである事に気付く。理由はなんとなく察していたが、あえてそれをロキの口からではなく、彼自身の口から出させる。
バルドルは少し戸惑うも、「いや、ただ羨ましいと思っただけさ」と話し出す。
「私には家族団欒なんてものはないからな。いつか、なんてのも存在しないからね。お父様もお母様もの事、嫌いではないけれど。ホズの事など忘れて、息子は私一人だと言う度、胸が締付ける程に悲しくなる」
ロキに向ける微笑みや声はバルドルらしくない、とても弱々しいものであった。そんな彼に対してロキは「でもよ」とバルドルの肩を強く叩く。
「ホズを生かして、自分だけでも家族でいようと決めたのは君だろ? 弱音を吐くのはいいが、その決めたことだけを君は大切にしてればいいんだよ。な?」
そんなロキの言葉にバルドルはほんの少しだけ、彼らしいあたたかさがこもった笑みを見せる。バルドルの笑顔を見たロキはニカッと笑いながら「よし」と声を出す。
「バルドルに元気をやったっていう大仕事を果たしたから、ボクはもうかえ」
「帰らせるか」
◇◆◇
兄妹がロキと別れて数分のこと。兄妹はまずエアリエルを迎えに外への扉へ向かっていたのだが。
「あっ、テュールさん!」
そこへ辿り着くまでに、目標人物に出会うことが出来た。
「ナリ君、ナルさん。ちょうど良かった」
「テュールさんは、今どちらへ?」
「いやぁ、部屋で二人を待つつもりだったんだけれど、雑用をフギンとムニンに任されちゃってね」
テュールの手には数冊の分厚い本と書類らしき紙の束を持っていた。
「申し訳ないけれど、この本をホズ様の所へ持って行ってくれないか? おれはこの書類をバルドル様へ届けてくるから。それが終わったら、部屋で今日の仕事を割り振るからね」
テュールはナルに本を渡し、すぐに二人から離れていってしまった。
「どうしようか?」
「兄さんはエアリエルさんを迎えに行ってよ。私はホズさんに本を渡しに行くから」
ナルの提案にナリも納得し、それぞれの目的の場所へと歩いていく。
ホズの部屋は神殿の端であったためナル達が居たところからはかなり遠かったが、ナルは重い本を特に苦にも思わず目的地まで辿り着いた。
ノックを数回すれば「どうぞ」と中からホズの声がする。その声に従い、ナルは慎重に片手で重い本を持ちながら扉を開ける。開けた先では、ホズがいつものごとくソファで本を読んでいた。
「ホズさん、おはようございます!」
「! ムニンの音じゃないと思えば、ナルさんが持ってきてくれたのか。重くなかった?」
「全然! 本、机に置いておいたらいいですか?」
「うん、お願い」
ナルは持ってきた本を、ホズがいつも積み本をしている机に置く。
「ん?」
ナルはその机にある手紙がある事に気付く。宛名も何も無い真っ白な封筒。そこに、一枚の便箋が入っていた。もう少しで読めそうな便箋をナルはジッと見つめる。ホズが誰かに宛てた手紙だろうか、と失礼ながらも気になってしまうナル。
「ナルさん」
「はい!」
しかし、ホズに声をかけられたナルは慌てた様子で返事をし、彼の方へと身体を向けた。そんな彼女にホズは何も気にせず話しかけた。
「お母様には会った?」
「は、はい。さっきお会いしましたよ」
「そうか。お母様、元気そうだった?」
「はい。女神の方々に囲まれて、楽しくお話されてました」
ナルが自分で見た彼女の様子をそのまま話せば、ホズは寂しそうにけれどあたたかな笑みを浮かべながら「そっか」と呟いた。