2篇 生きる繋がり6


 記憶にこびりついているのは。
 赤と橙が混じり合い、灼熱に燃え盛る炎は街を国を、全てを燃やし尽くす景色。
 それは恐怖の記憶。
 けれど、それだけではなかった。
「すまなかった」
 炎のような瞳に渦巻く哀しみの記憶だ。

◇◆◇

「……」
 ロキは洞窟の中でまだ気だるげな顔をしながらも、目をこすり大きく伸びをする。
「夢、か」
 彼は頭を抱えながら首を大きく振る。
「呑みすぎたな、頭いった。……まったく、久しぶりだからって容赦がねぇんだから」
 洞窟の入口には、ほんの少しだけ朱色に染まる光が差し込んでいる。それを見つめた彼は起き上がり、その入口へと歩いていく。
 洞窟の外へと出ると暗闇から逃れ、炎の渦に囲まれた空が彼の目覚めを迎える。
「あら。もう起きたの?」
 ロキの傍に炎でかたどられた女性が現われる。
「シンモラ」
「もう少し寝てたらどうだい? スルト様に散々飲まされただろう。ファフニールの方はまだいびきをかいて寝ているぞ」
「いいんだよ。どうせすぐ出ていくから。それよりも、ファフニールは起こしておいてくれ。帰る準備をしてもらわないと」
「なんだもう帰るのか。もう少しいてもいいではないか。そうじゃないと、またスルト様が拗ねるぞ」
 シンモラの最後の発言に、ロキは眉をひそめる。
「なぁ、シンモラ。父さんってそんな性格だったか?」
「さぁねぇ。アンタが帰ってこないから、スルト様はどんどん性格がねじ曲がってくよ」
「ボクのせいなのかそれは」
「だから、さ。もう少しいてやってくれないかい?」
 シンモラは主であるスルトを思って、ロキにそう願うものの。彼は「そうもいかないんだよ」と苦笑する。そんな彼の答えに、シンモラは溜息を吐く。
「神族というのは大変だねぇ。めんどくさがり屋のアンタによく務まるよ」
「正直ボクはなにもしてねぇんだけど。今日はヴァルプルギスの夜だ。行かないとうるさい奴がいるんだよ」
 シンモラは「へぇ、そうかい」と言い残し、どこかへと飛んでいってしまう。先程のロキの頼みをきいてくれることを信じ、彼は歩みを進める。
 ロキが向かう先に、彼はいつもの如く堂々と座っていた。彼はファフニールが持ってきた酒樽を、逆さに高くかかげて最後の一滴まで飲み干した。
「そんなに気に入ったんなら、また持ってこさせるよ」
 ロキの声掛けに、スルトは酒樽を置いてそちらへ振り向く。
「ロキ。なんだ、もう帰るのか」
「あぁ。ファフニールが起きたらすぐな」
「もう少しゆっくりしていけば良いだろう。神族なんぞの仕事など、放っておけ」
「行かなきゃうるさい奴がいるんだよ。って、シンモラにも言ったんだけどな。それに、子供達やシギュンには朝には帰るって言っちまったしな」
 そうロキが言えば、スルトはムッと表情を曇らせる。
「お前の嫁に子供、か。わしの元を離れている間に、随分と貴様の周りは変わっていったのだな。五百年間何も連絡も無く、そして相談もせずにあのオーディンが治める神族の仲間になっておったり、嫁や子供を作ったり……まったく、一体誰が育ててやったと」
 スルトはその体格からは思いも寄らないほどに、ブツブツとロキに対して文句を呟いた。
「あー……父さん。それは酒呑んでる時に何度も謝っただろ?」
 そんな彼にロキは呆れ顔を見せる。昨晩、スルトに挨拶を交わして間もなく、スルトに酒を飲まされながら、延々とそれに対して説教をされていたのだ。そのこびりついて離れない新しい記憶をロキは、首を横に振りながら払い除け、もう一度その時の言葉を彼に言い渡す。
「神族の仲間になったのは、そっちについた方が面白そうだと思ったから。で、妻や子供の事を報告しなかったのは。その、本当に……悪かった」
 ロキは肩を落としながら話すと、スルトは「あぁ、悪い。悪すぎるな」とまたも悪態を吐く。
「やはり、わしの事を話すのは嫌なのか? わしが、お前の」
「父さん」
 ロキがスルトの言葉を遮る。
「その話をしたら、もう来ないぞ」
 彼の声には怒りと哀しみが含まれていた。
「別に父さんの事を、父さんがやった事を恨んでなんかない。それはボクがガキの頃にも話しただろ。そうじゃなきゃ……アンタに炎の魔法を教えてくれなんて、言わないさ」
 そんな彼の言葉にスルトは「それもそうだが」と納得したくない様子であった。
「では、なぜだ?」
 スルトの最もな疑問に、ロキは頭をかきながらファフニールに話した内容をそのまま話した。
「これは……ボク自身の問題さ。ボクがボクの過去を嫌いなだけだ。特に、巨人族の時はな」
 ロキがそう話しても、スルトは納得したくない様子ではあったがこれ以上話しても意味が無いと分かったのか、それ以降は口を閉ざした。
「随分と面倒な奴だ」
「父さんもな。あまり、ファフニールを困らせるな」
「お前がちゃんと会いに来るならな」
「あー、ハイハイ分かったよ。約束する」
 ロキは降参だと両手を上にあげ、やれやれといった顔をする。
「やれやれはこちらの台詞だぞ」
 ロキとスルトに突風が叩きつけられたかと思えば、彼等の頭上にはファフニールが翼をはためかせていた。
「ロキ。寝起きの飛行で快適かは保証しないが、帰る支度は出来たぞ」
 どうやら、シンモラはロキの頼みを叶えてくれたようだ。彼女は、いつの間にか姿を現しスルトの傍へと寄り添う。
「あぁ、ありがとうファフニール。とりあえず家まで頼む」
 ロキはファフニールの背に乗り、スルトとシンモラの方へと顔を向ける。
「じゃあな。また来るよ」
 ロキからの別れの挨拶に、スルトは手をあげるだけであった。

◇◆◇

 そうして、ファフニールは無事にロキを家へと送り届けた。ロキはファフニールの背から降り、彼の顔を撫でる。
「ありがとな、ファフニール」
「師匠とは話がついたか?」
「話がつくつかないの問題じゃないさコレは」
 ロキが苦笑すると、ファフニールも困り顔を見せる。
「向き合うと、決めたんだろ?」
「決めたというか、そうしないと駄目なんだろうなとは思っただけさ」
「まぁ、わいは見守る事しか出来んがな。ゆっくりでいいさ、ゆっくりでな」
 そう言い残し、ファフニールは空高く飛んでいってしまった。そんな彼の姿を最後まで見送ったロキは、一度深呼吸をしてから家へと入る。
「ただいま〜」
 ロキがそう声を出すも、返事はなかった。彼が首をかしげていると階段から「おかえりなさい、ロキ」とシギュンが小声で顔を出す。そんな彼女の元へとロキは微笑みながら向かう。
「シギュン。ただいま、そしておはよう」
 そう挨拶をするも、シギュンは人差し指を口にあて「静かに」と合図をする。そんな彼女の行動に首を傾げるロキだが、シギュンの指すナリの部屋へと移動してみれば彼女の行動の意味がようやく分かった。
「ははっ、なんともまぁ可愛いことを」
 それは、ナリとナルが仲良く同じ寝台で仲良く眠っている可愛らしい姿であった。そんな彼等の傍へ座ったシギュンはナルの頭を撫でながら「どうだった?」と話を切り出した。
「スルト様の所、行ってきたんでしょう?」
「あぁ。ボクが全然帰らなかったから拗ねてたよ」
「あら。貴方から話に聞いてるよりは、随分と可愛らしいのね」
「ボクも父さんのそんな姿は初めて知ったよ」
 二人でスルトのそんな一面に大笑いし、ロキは「あのな」と話を続ける。
「ナリにさ、今度の勝負に勝てたらボクの事を話すって言ったんだ」
「えぇ、聞いたわ」
「それでさ。父さんにも会わせてやろうと思うんだ。君も一緒に」
 ロキの提案にシギュンは目を丸くした。
「スルト様に?」
「あぁ。何も言わないでシギュンと夫婦になった事や子供をつくったことを根にもたれてるからさ。この機会にどうかなって」
「ふふっ、ならナリは責任重大ね」
「あぁ、そうだな。でも、手加減はしてやらねぇ」
「そんなことしたら怒られちゃうわよ」
「それもそうだ」
 まだスヤスヤと眠る兄妹を見守りながら、二人は微笑んでいた。