1篇 まぶしい日常2


「バルドルー。遊びに来た、ぞ!?」
 ロキがのんびりとした声でバルドルの部屋の扉を開けると、その部屋の主は書斎机に突っ伏していた。
 そんな彼の元へと小走りで行き「生きてるかー?」とロキは声をかける。すると、「ロキ」とくぐもった声を出しながらバルドルは顔を上げた。その顔はげっそりと疲れが顕になっている。
「うわ、酷い顔。光の神っていう二つ名が泣くなこりゃ」
 時期は四月。末に行われる行事ヴァルプルギスの夜が始まる。オーディンの次に皆の上に立つバルドルは、それら全てを管理し指示を出しているため、神族の中では彼が一番大忙しなのである。
「うるさいぞ」
「わりぃわりぃ。バルドル。君、先週にヴァルプルギスの夜の書類とかは、一通り終わったって言ってなかったか?」
 バルドルが目を擦りながら、「実は……」と話し始める。
「お母様が帰ってくるんだ」
 バルドルの出した相手の名に、ロキは「げっ」と声を漏らす。その発現にバルドルは「人の母親に【げっ】はないだろ」といった思いが詰まれた目でロキを睨む。そんな彼に「悪い」と小さくロキは謝った。
 バルドルの母親は、オーディンの次にバルドルを溺愛しており、旅が大好きでよく異世界の扉が開く度に数十年程、異世界へと旅行に行っているのだ。
「とうとう帰ってくるのか。君のお母さん」
「ようやく、だ。異世界一周してきたらしいからな。帰ってくるのがヴァルプルギスの夜の前日。その後は、きっとお母様に付きっきりだろうから、今のうちにミッドサマーイヴの書類も終わらせておこうと思ってな」
「わぁ、大変だな」
「棒読みで言うな。まぁ、あとは……」
「ん? あとは?」
 バルドルが何か話しかけたものの、思いとどまったのか「いや、なんでもない」と話をやめてしまった。
「そう。毎度言ってるように、貴方も手伝ってくれ」
 バルドルは話を切り替えて、まだ散らばっている書類をトントンと叩く。それに対し、ロキは鼻で笑った。
「ボクも毎度言ってるように。書類作業は似合わねぇって。ボクが手伝えるのは……」
 ロキは手に持っていた籠を揺らし、バルドルに見せつける。
「君の休憩を一緒にすることだ」
 ロキが微笑みながら誘うと、疲れ切っていた顔であったバルドルの顔にもほのかに笑みがこぼれる。バルドルは「分かったよ」と渋々、けれど嬉しそうな声で言いながら立ち上がる。
「けれどロキ。君こそ、こんな所でサボってていいのか? ナリ君と戦うことになってただろ」
 バルドルがその話を持ちかけると、ロキはニヤニヤと笑みを浮かべる。
「別にサボってるわけじゃねーよ。ボクだって、万全の状態で望むようにしてるさ」
「それはよかった。彼はとても楽しみにしていたからね。もちろん、今まで彼を教えていた師としても、当日が楽しみだよ」
 バルドルはそのままソファへと移動しようとしたが、ロキに腕を掴まれ動きを止められてしまう。彼の突然の行動にバルドルは首をかしげる。
「バルドル。久しぶりにあそこに行こう」
「あそこ……あぁ、あそこか」

◇◆◇

 ロキとバルドルがやってきたのは、天井から太陽のあたたかな光が降り注ぐ中庭であった。この中庭は、主に戦乙女達と豊穣の兄妹が管理し、季節毎に多くの花が咲く場所だ。
 今はチューリップが満開だが、薔薇の蕾もそろそろ開こうとしているものが、ちらちらと見受けられる。中庭の中央には、オーディンの趣味で噴水も置かれ、神族達の憩いの場となっている。
「今年も綺麗に咲いているな」
「中庭はこのあたりの時期が一番だな。気候も良し、花も良し。ってな」
 ロキは中庭を囲う塀へ飛び乗って座り、籠を置くと被せていた布を取る。バルドルも同じように塀へ座り、籠の中を覗いた。
 籠には冷たい紅茶が入った瓶、木の実がゴロゴロと入ったスコーン、苺のジャムが二人分入っていた。
 ロキは木のコップにその紅茶を注いでバルドルに渡す。自分の分も注ぎ、バルドルと面を合わせる。
「そんじゃ!」
「乾杯」
 コンッとコップとコップが当たって軽い音が鳴る。互いに一口飲み、「はぁ……」と紅茶の余韻をもらす。
「やはりトールの作る紅茶は美味だな」
「そうだなぁ。落ち着くというか、なんというか。でも、ボク的にここへ来たら酒を飲みたい気分になる」
「自分で連れ出してきて言う台詞か?」
「今日は天気がいいからと思ったから! だって、ここではさ……」
 ロキが中庭に、優しげな目を向ける。そんな彼の表情に対する思いに、バルドルはハッと気付く。
「……君がまだ神の国で暮らしてた時は、ここで一緒にお酒をよく飲んだな」
 バルドルは中庭へ懐かしげな目を向ける。自分とロキが出会った日のことが、バルドルの目から中庭の風景に映し出される。

『私は、貴方を認めないからな』
『へーへー、どーぞご勝手に! 別に神族になりたいなんて思ってねーから安心しろよ。それに、あんま怒ると皆に愛されてる顔が台無しだぜ? 光の神さん』
『っ。貴方のような方は、嫌いだ』
『おぉ、そりゃあ良かった。ボクも君みたいな奴は大っ嫌いだよ』

「……ふふっ」
「ん? なんだよ、いきなり笑いだして。気持ち悪い」
「気持ち悪いとは失礼な。……君と初めてここで言葉を交わした事を思い出したんだ」
 バルドルがそう言うとロキは「あー、そういやここだったか?」と苦笑いを見せる。
「随分とまぁ懐かしい」
「あぁ、とても懐かしいよ。それから君が神族の仲間となって、こうやって」
 バルドルは再びロキのコップに自分のコップを当てる。
「君と友達に……親友になれた。傍から見たら不思議だし、私自身も不思議だけれど……。君とそうなれて、とても嬉しいよ」
 バルドルがあたたかな笑みをロキに見せる。ロキはそんな彼の言葉と笑みに、ほんの少しこそばゆく感じたのか、頬をかきながら「なんだよ改まって……恥ずかしい奴」と小さく呟く。
「ボクも……うん。君と親友になれて良かったと思うよ。ありがとう」
 ロキもまたバルドルのコップに自分のコップを当て、ニカッと太陽に負けない眩しい笑顔を見せる。
 そんな笑顔に釣られ、バルドルも滅多にしない歯を見せた笑顔をほころばせた。
「バルドル様!」
 二人が互いに笑い合っていると、頭上からフギンが慌てて飛んでくる。
「フギン。どうしたんだい?」
 フギンは当然かのようにロキの肩へとまり、バルドルに会釈する。
「実は先程からフェンリルが、獣姿で神殿の外を走り回っているとの情報が……」
「神殿の外なら問題なくないか? アイツも狼なんだし、本能的に走り回りたい時だってあるだろ」
「フェンリルだから問題になるのさ。人型ならば特に問題は無いが、獣姿だと兵士等が怯えてしまうからな。色々と約束事を決めておいたんだが……。まだ被害は?」
「被害はありません。あてもなくさ迷っているのではなく、どこかへ向かっているように思えたと、目撃者からは聞いております」
「そういやナルは? ナルの言う事ならフェンリルは言うこと聞くしな」
「ナル様を探している最中に御二方を見かけましたので、先に現状報告をっ!?」
 フギンが話していると、彼は突然空を見上げ始めた。「何かあるのか?」とバルドルとロキも同じように空を見上げる、と。
 太陽の光が遮られ。
「あっははは!」
 青い巨体が空を飛んでいた。
 彼は中庭の頭上に広がる空全てをおおってから、着地などせずそのまま飛んでいってしまい、少ししてドスンと大きな音が鳴る。
 フギン達はその一瞬の出来事を理解出来ぬまま、まだ空を見上げている。
「さっきのって……フェンリル、だよな?」
「あっ、あぁ。恐らく。あと、誰かの笑い声がしたような」
 バルドルとロキが互いに先程の状況を確かめあっていると、フギンが自身の翼を大きく力強く広げる。
「まぁぁぁぁちなさあああい! フェンリル!」
 フギンは彼の名を叫びながら羽ばたき、「お二方、お邪魔しました!」と言い残して、全速力でフェンリルが行った方向へと飛んでいってしまった。
 そんな彼女の行動にも驚いてしまったロキとバルドル。今度はお互いの顔を見合わせ。
「「……ぷっ。あっはははははは!」」
 中庭に響く程に、大きく。とても楽しげな表情で笑った。