9篇 秩序の覚悟、混沌の魔の手6


 黒一色の人のような形をした使者が、ゆっくりと死の国を徘徊しながら、動く者を見つければ異様な速さで相手を襲う。

《イラ・ウェンティー》
《ハガラズ》

 鋭い爆風で使者は吹っ飛び、その風によって切り刻まれる。ナルのお呪いにより彼女の持つ杖の宝玉が輝き、そこから透明な玉が現れ、使者達に向かって放っていく。玉が当たった瞬間、その当たった部分のみが消えてなくなる。フェンリルは使者に噛みついていき、どんどんと息の根を止めていく。
切り刻まれ、噛みつかれ、戦闘不能となった使者達は最後、跡形もなく消えていった。
 岩陰に隠れていた死者達はその様子に拍手を送る。
「いいぞいいぞ! やっちまえ!」
「かっこいいわよ、あんた達!」
「そりゃどうも!」
 先程まで戦ってくれていた死者達はここから離れるべきだというのに、兄妹達の活躍を岩陰から覗いて観戦している。ガルムは先程フェンリルに言われたように神族の元へと向かい、ニーズヘッグはココとは少し離れた場所で使者と戦っていた。
 使者と対面し戦闘が開始されてからかなりの時間が経過していた。ナリは数十体ほど使者を倒し、息を整えてからナルとフェンリルの傍に寄る。
「なぁ、やっぱりこんなとこで使者を倒してても意味ねぇんじゃね!? やっぱりこいつらを作ってるヘラを倒したほうが」
「言っておくが。ヘラは巨人族の兵器だったんだぞ? まさか、それを忘れたとは言わせん」
 ナリの提案にフェンリルは呆れた様子を見せる。
「貴様等が修行で強くなったとはいえ、ヘラとの相手はすすめない。しかも、もし彼女が狂化(フロル)のかかった状態であるなら尚更だ。ならば、戦闘に慣れている他の神族が来るのを待つほうが貴様等も怪我せずに」
「狂化? フェンリルさん、もしかして今の状況の原因を分かっているんですか?」
ナルがそう聞くと、フェンリルは「しまった」といった少し後悔したような顔をする。
フェンリルはため息と共に口から青い炎を出し、近付いてきていた使者数十体を一気に氷漬けにさせる。
「確かかどうか分からないが、これはもしかしたら巨人族が絡んでいるかもしれん」
「巨人族が!?」
 兄妹達は使者達との戦闘に集中しながらも、フェンリルの話に耳を傾ける。
「なんでまたそいつらの名前が出てくるんだよ。だってアンタ等は」
「そうだ。俺様達は巨人族との接触を禁止されている。けれど、彼女は今、巨人族で兵器としていた時と同じような事になっているかもしれない。あの子は兵器として生まれたが兵器にしては心が優しすぎた。だから俺様達を作ったアイツは、アングルボダは、ヘラの優しい感情を殺す薬を作ったんだ」
「それがさっき言っていた狂化ってわけか」
「あぁ、そうだ。それを飲まされてヘラは神族と戦う兵器となった」
「けれど、もしそうだとしたら巨人族はどうやって彼女に飲ませたのでしょうか。ここは私達のような異例がない限り死者としてしか入ることはできない死の国だというのに」
「まず理由だろ? こんなことして何か意味があるってのか?」
「さぁな。今の俺様達には情報が少なくて巨人族の考えなど分からん! いいや、分かりたくもないな」
 それらを聞いていたナルは、使者を一体倒してから「もし」と話し出す。
「もし、グラムさんが入り口を閉じるのが間に合わなかったら、使者がもしその入り口を通っていたら……今日はどの国でも神族の数は少なかった。だから」
「……っ! そのもしもの話の前に、自分の身の事を考えるべきだぞ」
「えっ」
 フェンリルがナルの話を遮り、ある方向へ戦闘態勢を取りながら睨んでいた。皆もそちらの方向へ顔を向ける。それを見た瞬間に、体全体が強ばった。
「まさか、あれって」
「そう、そのまさかだ」
 彼等の見る方向にいるのは、禍々しき雰囲気を纏って現れた半身が腐ってしまっているこの国の女王、狂ってしまった悲しき女王が。
『……アハッ』
 こちらを見て、嗤っていた。
 いつの間にか使者達は女王の登場により、動きを停止し、身体を女王の方へと向けている。
 女王の嗤う姿とその彼女の纏う禍々しいものに圧されて、ナルは鳥肌が立ち一歩後づさる。死者達もいつもと違う女王の姿に怯えていた。
「な、なんだぁ? 女王はどうしちまったんだ?」
「あんな顔、初めて見た……一体あの方に何が」
 ナリや外に出ていたエアリエルは圧されそうになるのを堪えながら、女王を睨む。
「フェンリル。あれが狂化されたヘラ女王か?」
「あぁ、間違いない。あの時、兵器として戦いに駆り出されていた時と同じだ。あぁ、嫌な予感など当たってほしくなかった」
 フェンリルが苦し気な声を上げていると、ナリが彼の前へと出て女王へと近づく。
「おいっ。まさか戦う気じゃないだろうな」
「さっきは俺達の方から行こうとしたけれど、わざわざ向こうから来てくれたんだ。なら、歓迎するしかないだろ」
「しなくていい。まともに戦える相手じゃない。さっきも話したろう!? 他の神族が来るのを待て。それまで逃げ延びるんだ」
「そんなのいつ来るか分かんねぇのに逃げ続けるのかよ! まず、逃げている間にアイツを止めておく役がいるだろう」
「そんな役なら俺様が買ってやる。兄として俺様が。おい貴様もなんとか言ったらどうだ」
 フェンリルはなかなか折れないナリに呆れ、その主に仕えるエアリエルに応援を頼もうとする。しかし、エアリエルの楽しそうな顔を見るに今から彼がする事に対して彼女自身反対していないようだ。
『私はナリ様の強さを信じていますよ。危なくなれば必ず私がお守りしますし』
「貴様なぁ。そういう問題でもないんだぞ」
「なんだよフェンリル。いつもに比べて弱気じゃねーか。アンタの妹だろ?」
「妹だから、いままでずっと傍にいたから言うんだよ――っ!?」
 フェンリルとナリが言い争っている間に、彼等の立つ地面に向かって何かが放たれる。瞬時にその場から飛んで回避した彼等。元居た場所は深く削られていた。放たれた方向を見ると、そこには案の定ヘラがおり、彼女の頭上に無数の紫の玉が生み出されていた。いつの間にか周囲には、あんなにいた使者が一人もおらずヘラのみがそこに居た。
「使者は彼女自身の力を具現化した物だ。きっと全部自分の身体の中に戻したんだろう」
「ようするに今は全力の状態ってわけか」
「ナリ。さっきの話だが」
『お話はそこまでにして。また来ますよ』
 エアリエルにそう言われたフェンリルとナリ。彼女の言う通り、ヘラは頭上に生み出していた紫の玉をこちらに向かって打ち始めた。

《アルジズ》

 その言葉が詠まれた瞬間、彼等の地面に白い魔法陣が現れ、その魔法陣が生み出した白い膜が彼等を包み込む。
 その白い膜によって、女王からの攻撃を防いだ。
「ナルっ」
 これを出したナルは後ろの方で彼等と同様にその白い膜の中に死者達と共にいた。
「私達は大丈夫!」
「……よしっ!」
 ナリは一歩前に出て、ヘラに向かって剣を突きつけた。それを見たフェンリルは呆れながらも、彼の隣に立つ。
「もう何も言わねーの?」
「言わん。あの人数と共に逃げるのは難しいからな。ここで撃つしかないだろ」
 そんなフェンリルの言葉に「ヘヘッ」とナリは笑う。
「じゃあ、いっちょやるか!」
「怪我するなよ小僧。女が泣く」
「言われなくても、しねぇってのっ!」
 宝石の中へとエアリエルが戻るのを確認したナリはフェンリルと共に、ヘラの元へと走り出す。ヘラはこちらに向かってくる彼等の道に使者を生み出していく。壁となった使者を、ナリとフェンリルは物ともせず倒して行く。しかし、倒しても倒してもヘラは使者を生み出すばかりでなかなか彼女の傍に近付けないでいた。
 ナリは使者を相手にしながらフェンリルに問いかける。
「なぁ、狂化って元に戻せたりしないか!?」
「狂化はアイツ自身が戦意喪失するまでか、アイツ自身がこれをやめたいという意識を出させないと元には戻らない」
「うわっ、戻し方色々とめんどくせーな。でも、わーったよ!」
 そうしてナリは一体の使者の身体を使って、大きく上へと飛んだ。飛んで行く手を邪魔する使者から逃れ、そのままヘラの元へと一直線に走る。

《ウェルテックス・ウェンティー》

 剣を握る手に力を込め、剣身に力を溜める。そうして剣身に緑色の渦が出来、それをヘラに向かって投げる。ヘラは顔色を一つも変えずにそれを手で簡単に受け止め、揉み消す。
「くっ」
「ヘラ!」
 フェンリルが彼女の名前を叫びながら、彼女に向かって青い炎をぶつける。青い炎は彼女の首から下の部分に当たり、そこだけが凍って身動きが取れなくなる。彼女は動けなくなってしまったというのに、懸命に身体を左右に動かし、氷漬けから脱出しようとする。
「ヘラ。俺様だ。フェンリルだ。いい加減目を覚ませ!」
 フェンリルは彼女の心の中へと語りかける。しかし、彼女はフェンリルなど眼中にないようであった。フェンリルはそれでも彼女に話しかけるものの、ヘラは彼の言葉から何も感じる事無く。
『――』
 彼女は無表情のまま小さな声で、何かを呟いた。
 それと同時に背後から地面が揺れるほどの雄叫びが響いた。咄嗟にナリやフェンリルは耳を塞ぎながら、その雄叫びが鳴る方へと顔を向ける。
「あっ!?」
 そこには、ニーズヘッグがナルと死者を守る白い膜を襲っている光景があった。ニーズヘッグにはなぜか女王ヘラと同じような禍々しい物を纏っている。
「なんでニーズヘッグが! さっきまで仲間だったじゃねーか!」
「ヘラだ。ニーズヘッグはヘラの飼い竜だしな。さっきアイツが小さく口を動かしたのはアイツを操るための」
『お二方、背後から攻撃が来ます! 避けて!』
 エアリエルの言葉通りに、その場から退避すると紫の玉が再び地面を抉っていた。その放たれた方向を見れば、ヘラが氷漬けされた身体から解放されていた。
「うわっ、まじかよ」
「ヘラは俺に任せて、貴様はニーズヘッグを!」
「おう、って。もうお出ましかよ」
 ナリがニーズヘッグの元へと向かおうとしたものの、無数の使者が彼の行く手を遮る。

《ウェルテックス・ウェンティー》

 先程よりも大きな渦を作り上げ、使者達に向かってぶつける。渦の中へと飲み込まれ消えていく使者達。ようやく道が開いたと走り出すナリだが、またも彼の目の前から新しい使者が地面から出てくる。
「くっそっ。一掃してもこんなんじゃキリがねぇ!」
 そう彼が嘆いている間に、パリンッ。と何かが壊れる音が響いた。
 とうとう、ナリの守りが破られてしまったのだ。守りを撃破したことに再度雄叫びを上げるニーズヘッグ。それに怯える死者達と、彼等の前で杖を構えニーズヘッグを睨むナル。
 しかし、彼女に何の策もなかった。魔力もとうとう底をつきかけている。フェンリルやナリ
からの応援は望めない。
「……もう」
もう駄目だ。
そう、諦めかけた時。

《テネブーランス・トラーイキエース》

 視界全てが光に包まれた。