8篇 神の影1


【神は光だ】

「やぁ、今年もよく来てくれたのう」

【皆、神を敬い、愛し、存在を畏れる】

「なにを仰いますかオーディン殿。余は毎年これを楽しみにしているのです」
 新しい年が明けての一月二日。ある客人がヴァルハラ神殿にやってきた。

【神の言うことは全てが正しい、神の行うことは全てが正しい】

 初老の男が先頭に立つ。その背後には複数の付き人達がおり、皆神族の白い服とは真逆の黒い服を身にまとっている。
 ニコニコと客人に笑いかけているオーディンの背後にも多くの神族達がおり、バルドルやロキは特に表情を出していないのだが、背後にいる彼等は最高神の感情とは真逆で客人達を冷ややかな目で見ていた。

【だから誰も逆らわない、逆らえない、逆らう意志を持たせない】

 その目線を浴びせられている客人達も、そっくりそのまま冷たい目を神族達に向ける。そんな背後で構えている者達が目線だけで冷たい戦闘を繰り広げているというのに、その中心に立つ主達は穏やかな雰囲気であった。
「喜ばしい言葉をありがとう。改めて歓迎しよう。ウードガルザ殿。そして巨人族の者達よ」

【神は秩序そのものだ】

 ◇◆◇

 空から降る白い雪は止まることを知らないのか、いつまでも地面を白銀に染めていく。肌に針を刺したかのような寒さが続く中、いつもの森では硬いもの同士のぶつかり合う音が森中に響き渡っている。
 その音を生み出している正体は森の奥に居た。大木の傍でナリと人型のフェンリルが一戦交えているのだ。ナリはエアリエルが宿った剣でフェンリルは氷で造られた剣で戦っていた。
 そんな二人をナルとホズが幹の傍で応援し、見守っていた。
「兄さんもフェンリルさんも頑張れー!」
「まったく、こんな寒い中よく動けるよね」
「寒いからこそ動くのが一番ですよ、ホズさん」
「その動くっていう行動選択がなかなか出来なくて困るよ。――あっ」
 ホズとナルが話している間もずっと鳴り響いてたぶつかりあう音が、とうとう鳴り止んだ。二人の方へ顔を向けると、フェンリルが悔しそうに顔をゆがませるナリの首元に氷の剣の切っ先を向けている姿であった。
「はい、そこまで。フェンリルさん、兄さん、エアリエルさんお疲れ様です」
「どっちが勝ったの?」
「俺様だ、当然だろ」
 ナルの言葉にフェンリルは氷の剣の存在をなくし、ナリの首元を自由にする。勝負がついたからとエアリエルは元の姿へと戻る。
「ふん、もっと頑張れ小僧」
 フェンリルはナリにそう言って、人型から本来の狼の姿へと瞬時に変える。
「くっそー!」
「ナリ様お疲れ様です」
「おう。エアリエルもお疲れ。あー、くそ、次は絶対負けないからな!」
「はいはい頑張れよ」
 悔しさからか、ナリはその場で大の字に雪で出来た絨毯に寝そべる。
「フェンリルさん、ありがとうございました。兄さんに付き合ってくれて」
「構わねぇよ。いつも稽古してる奴等が今日は一日中忙しいんだろ?」
 そう、今日は神族にとって大忙しな日。兄妹は参加できないのだが、今日は巨人族が神の国にやってくる毎年恒例の行事の日なのだ。
「今やってる神族と巨人族の会合みたいなのってどういう内容なんですか?」
「ただ一緒に食事をして、その後は殺し無しの勝負をするのさ」
「……殺しが無しは当然なんじゃないか、って思うのは私だけかな兄さん」
「大丈夫、俺もそう思ったから」
 ホズの言った言葉に少しだけゾクッと身体を震わせたナルに、いつの間にか起き上がって隣に来ていたナリが同意の言葉をかける。
「ふーん。……前から思ってたんだけど。ホズさんはさ、そういう集まりには出席しなくていいの?」
「……。うん、兄様の方がしっかりしているからね、それで大丈夫なのさ」
「ふーん、そんなもんなのか」
「そういえば」
 と、エアリエルがナリの肩から顔を出す。
「巨人族は神族を嫌っていると聞いていましたけれど、こうやって毎年集まるのなら今はそうでも無いのでしょうか? そもそも、なぜ彼等は神族を嫌っているのですか?」
 彼女がそんな疑問を投げかけると、ナリは彼女を無理矢理自身から剥がしながら答える。
「昔の話でさ。巨人族が神族の事を嫌う理由は、ユミルを殺したからだって聞くぜ」

 むかしむかし。
 この世界が、まだ世界樹と火の国と死の国しか存在しなかった時代。
 そこに、ある命が創られた。
 その名をユミルという。
 最初にユミルは巨人族を創った。それからして岩から人間というモノを三日で生み出し、その人間と巨人が交わると、神という三人の存在が産まれた。ユミルはだんだんと仲間が増えていく事に幸せを感じていた。
が、彼は後々に後悔するだろう。神という彼等を産ませてしまったことに。
 神という存在として産まれたオーディン、ヴィリ、ヴェーは自分達が強大な力を持っており、この世界では自分達が強いのだという確信があった。
 それを証明するために、ユミルを殺した。
 この世界で最初に創られた存在を。この世界で一番強いといわれていた存在を彼等は殺してしまったのだ。
「それが最初の戦いで、生きる者の死であった」
「そりゃ、自分達を創った親みたいな存在を殺されたら嫌いにもなるよな」
「その時いた巨人族はどうしたのですか?   やはりそこで神に戦いを」
 この世界の歴史を知らないエアリエルがさらに彼等に質問をする。
「いいや。彼等はユミルから流れた血が世界に溢れた時に、それに飲み込まれてしまったんだ。殆どの巨人族はその血により溺死したらしい。怒りと悲しみを抱えたまま、ね」
「ユミルの死は悲しいことかもしれないけど、そのユミルの死によって今私達が暮らしている世界が出来たんですよね」
 神々は死んだユミルの屍体で大地を創り、彼の血液で海・川・湖を、骨で石・脳で雲を、そして頭蓋骨で天空をそれぞれ創りだした。更に火の国の火花は、舞い上がり星となった。こうして神々は新たに住む種族を巨人族以外で創っていき、長男であったオーディンがこの世界の王となった。
「未だに現役で最高神、この世界の王だなんてすごいよな」
「金の林檎の存在があるからね。有り得ないだろうけど、金の林檎が無くなるまでお父様はいつまでも現役さ」
「あの。先程巨人族は死んだと言ってましたけれど。それでは今生きている巨人族は一体」
「聞いた話によると、男女の巨人が一組運よく血の海の中で生き残っていたようでね。その一組から今の巨人の国を作り上げたんだって。お父様……神族に復讐をするために」
だからこそ巨人族にとって神族は、永遠の殺すべき敵なのである。
「その復讐心が燃え尽きることは無く、巨人族はずっと神族に戦いを申し込んで殺し合いの毎日さ」
「でも、今はそんな戦いもないしあんな会合みたいなことしてさ、もう赦したのか?」
「いいや。君達が生まれるものすごく前に……うん、百年程前かな。巨人族の王ウードガルザが突然『戦いは終わりにしよう』と言い出した。ユミルを殺したことを赦したわけではないけれど、これからは同じ世界に生きる者として少しずつでも仲良くなるべきだ、ってさ」
 ホズが話してくれた内容に兄妹は訝しげな顔をしながら声を揃えて「「……なんか裏がありそう」」と言った。そんな二人の疑惑の篭った声を聴いて、ホズは少しだけ笑う。
「そっ。ありありだよね。それは神族の皆も何か企んでるんじゃないかって考えた。お父様以外は。お父様は、戦いは好きだけれど巨人族とは仲良くありたいと思っていたようでね」
「で、毎年恒例の会合が行われてるってわけか」
「そっ。今でもオーディン様が決めたことだから逆らえないとはいえ、神族の中ではこの時期になると皆不満を吐くようで、兄様も大変らしい」
「まぁ、その不満もその後にある勝負で解消すればいいってわけかな?」
「そうだね。巨人族も神族も皆戦うのは好きだから。はぁ……そろそろ中に入らない?   小腹空いちゃった」
 ホズは自分の冷たくなった手に息を吹きかけ、兄妹にそう提案した。
「それなら、お母さんから貰ってきたルーネベリタルトがありますよ。皆で食べてって」
 ナルは自分の傍に置いていた籠を二人の方に向けて、上に被さっていた布を取って見せる。そこには美味しそうな匂いを漂わせる台形型のケーキがいくつも入っていた。
 ルーネベリタルトとは、ユールで沢山作るスパイスクッキーが残ってしまった時にそれを砕いて作るしっとりとした食感が特徴的なバターケーキの類のお菓子だ。
 その匂いにナリもホズも顔をほころばせる。
「いい匂いだ。食べるのが楽しみだね」
「よし、そんじゃ行くか」
ナリがホズの手を取って森の外に向かって皆歩き出したというのに、フェンリルは大木の傍で丸まって動く気配が無かった。
「フェンリルさん、行かないんですか?」
「俺様はいい。巨人族の奴等と鉢合わせたくないからな」
「人型になればいいのでは?」
「一日に何度もは疲れんだよ。いいから行け」
「分かりました。じゃあまた後で持ってきますね。あったかい飲み物も一緒に。何がいいとかありますか?」
「……別に。貴様のおすすめでいい」
「はい、じゃあまた後で」