そうして迎えた十二月三十一日、夜。
「とーーーっても似合ってるわよ、二人共!」
夜会が始まる数刻前、兄妹はトールの部屋でシギュンに見守られながら、作ってもらった衣装に袖を通していた。
ナリの衣装は、自身がいつも着ている仕事服より少しだけ豪華な刺繍や飾りが施された物であった。これは他の神族も身に着けており色合いが違うだけでデザインは異世界で見てきた宮廷服という物を参考にしたものらしい。髪はいつも通りだが、髪飾りだけは白百合色のシンプルなリボンで結われている。
ナルの衣装はベルラインと呼ばれるスカート部分がふんわりと広がったドレスであり、腰にリボンと裾にレースがあしらわれて、トールにしてはシンプルなものであった。このドレスにも白百合色が使われている。
兄妹、特にナルは、いつもは着ないような服に目を輝かせて興奮している。
「素敵! トールさん、ありがとうございます!」
「おぉ、なんかビシッと気が締まる感じだな。トールさん、ありがとうございます」
「素敵ね、ほれぼれしちゃうわ。それに私のドレスまで。本当にありがとうございます」
シギュンのドレスはナルのドレスと似たようなもので、少し大人な雰囲気を醸し出させるスレンダーラインの型のものである。
「どういたしまして〜! ……ふわぁ」
兄妹とシギュンの喜ぶ姿を見て笑みを浮かべるトール。だが、その顔はすぐに眠そうな表情へと変わり、口元を抑えながら欠伸をする。
「トールさん眠いんですか?」
「えぇ、ちょ〜っとやる事が出来ちゃったからこの数日は徹夜でね〜」
トールは眠い目をチラリとナリの方を見ながら、彼女にそう答えた。
「さっ、着替えたことだしボールルームに向かいましょうか」
トールは自分のドレスの裾をはためかせながら、兄妹達と共に夜会の会場へと向かう。
◇◆◇
兄妹とトールが華やかな装飾のされたボールルームに着いた頃には、既に多くの神族達が会場に揃っていた。
部屋の奥には舞台のような壇があり、そこには左右にロキとバルドルがおり、そんな二人に挟まれたオーディンは二人と仲良さげに談笑している。ふと、バルドルが会場の方へ目を向けると、兄妹達と目が合った。兄妹達は彼に向かって手を振ると、彼も同じように手を振る。
そんな彼の行動を見たオーディンとロキも会場側に目を向けて兄妹達を見つけて手を振った。ロキがこちらに来ようとするものの、バルドルがそれを止めたたため、兄妹とシギュンは笑ってしまう。
「やぁ。ナリ君、ナルちゃん。その衣装とっても似合ってるね」
そんな彼等の元にある二人が近付く。
ニコニコと微笑むテュールと、いつもより眉間のシワが多く不機嫌なオーラが丸出しの人型フェンリルが現れた。もちろん、テュールもフェンリルも正装をしてだ。ナルはフェンリルの登場に口をポカンと開ける。
「フェンリルさん、なんで」
「コイツに無理矢理な。俺様はこんなかたっくるしい服は大嫌いなんだが」
「でも似合ってますよ。とっても」
「……そうか。貴様も、その……悪くないんじゃないか」
「――っ! あっ、ありがとうございます!」
ナルの素直な言葉にフェンリルの寄っていたシワが少しだけ和らぎ、機嫌が良くなったからか彼は彼女から目を逸らしながら、そんな言葉をかけた。ナルはそれが彼にとっての誉め言葉であるのだと気付き、頬を赤らめながらお礼を言った。
そんな彼等を置いて、テュールは今にもフェンリルに掴みかかりそうなナリの隣へと行く。
「ナリ君、大丈夫? 緊張で踊り方忘れてたりしない?」
「大丈夫ですって。テュールさん、この数日間ありがとうございました」
テュールは「いいっていいって」と笑う。
「ナリ君、そこまで下手くそじゃないし手順だけ覚えてたら大丈夫だから」
「はい……」
「あとはおれが教えた言葉や仕草もちゃんと言うんだよ?」
「……あれ、本気で言ってたんですか?」
「もちろん! だってダンスに誘うのは失敗したんだからココで少しはかっこつけないと!」
テュールの言葉に唸るナリに、彼は「頑張れ」と力強くナリの背中を叩いた。
「さっ、音楽隊も準備しだしたから彼女を見つけておいで」
「はい。行ってきます」
ナリは皆に見送られ、ナリは首を左右に振って広いボールルームを見回す。しかし、会場の隅々にまで神族が居るため彼女を探すのに時間が掛かりそうだとナリは頭をかいた。
「待ち合わせ場所とか決めといたら良かった」
後悔の言葉を漏らしていると、ふと彼の髪が風でなびく。その存在に気付いたナリは、
風が来た方へ顔を向けると。
「エアリエル」
雪が降っていないとはいえ寒くないのか、屋外にある小さなテラスに彼女はいた。
ナリがエアリエルの元へと近づくと、彼女がこちらを振り向く。振り返った表情は無表情に近かったが、こちらに近づく者がナリであると分かるとぱぁっと花が咲いたような笑顔を見せる。そんな彼女の笑顔はボールルームに飾られた黄金の装飾達よりも輝き。眩しい、とナリは感じた。
「ナリ様、その衣装とてもカッコいいですね」
「おっ、おう。ありがとう。……エアリエルも」
エアリエルの衣装は動きやすさを重視したのか、スカートの広がりは小さく丈も少し短めで、綺麗な緑色の宝石が一つ付いた靴を履き彼女の足元を飾る。全体的な色は彼女の髪と瞳の色と同じものだ。
「エアリエルも、その、綺麗だな」
「ナリ様。お褒めの言葉が頂けて私とても嬉しいのですが、ちゃあんと私の目を見て言っていただけませんか?」
「うっ」
彼女は悪戯な笑みを浮かべながら、顔をほんのりと赤らめるナリに言った。ナリは渋々目線をエアリエルの方へと向けると、緩やかで上品な弦楽器の音楽が奏でられ始める。
ダンスがそろそろ始まるのだ。
ナリは大きく深呼吸を一つ。そして彼女に向かって手を差し出す。
「お嬢さん。どうか俺と、一緒に踊っていただけませんか?」
エアリエルは彼の突然の行動に唖然としていたが、「はい、よろこんで」と少し笑いを堪えながらその手を取った。
少しギクシャクとした動きをしているが、ようやく二人のダンスが始まる。
「……そんなにおかしいか?」
くるりとエアリエルが回ると、スカートもひらりと揺れる。
「ナリ様には似合わない言葉かと」
「そうかよ」
「拗ねないでください。それで、一体誰の入れ知恵ですか?」
「テュールさんだよ。女性から誘われたんだから、ダンスが始まる時ぐらいカッコつけてみなってさ。よく分からなかったけど」
「よく分からなくても実行するとは……本当に素直な方」
「……なぁ、エアリエル」
「はい?」
「何度も聞いて悪いけど……。アンタと初めて会った時の記憶を……俺は知りたい、思い出したいんだ」
「……ナリ様、それは」
「分かってる。どうせ、オーディン様とかに言うなとか命令されてたり、自分で言わないって決めてるのかもしれないけど……これだけは伝えておきたい。俺がその過去を知りたいのはただの好奇心とかじゃなく……嫌なんだ。アンタとちゃんと向き合えていないような気がして」
踊りながらではあるが、ナリは言葉一つ一つ噛み締めながら自分の気持ちを彼女に伝える。
踊りの中で彼と彼女の手が離れ、くるりと周りお辞儀をしてから、再び手を伸ばす。
「アンタがミッドサマーイヴで俺を助けてくれたり守ってくれたりした理由、こうやって今は俺の力になってくれた理由。俺はそれをちゃんと知らない。それが全部消えた記憶があるなら、俺は思い出したい。アンタとの想い出を」
エアリエルはまだ、その手を取らない。
「ナリ様。ナリ様の想い、よく分かりました。けれど、やはりお話しできません。まだ今は」
「……じゃあ、いつかは話してくれるのか?」
「そう、ですね。ただ一つだけ。この想い出はナリ様が思うような素敵なものではありません。それだけは心の片隅にでも覚えていてください」
「……分かった」
ナリがそう返事をすると彼女は寂しげな笑みを見せ、ようやく彼の差し出されていた手に自分の手を重ねる。
「もう一つだけ、その事について話せるのは……私が貴方を愛しているということ」
「――っ」
ナリは彼女の唐突な言葉に身体が熱くなるのを感じる。
「私は今まで大切なものを作ったことはありません。けれど貴方に出会って、私は大切なものがある事の素晴らしさを知った。私の世界が変わった。貴方がどんどん輝いて見えた。自分にとってかけがえのないものになった。だから私は――貴方と離れなければいけなくなった」
「……それは」
エアリエルは重ねていた彼の右手の手袋を脱がす。自分との契約の証である紋章を露わにさせると、そこへあの時のように口づけをする。
「全てを話せないことをどうかお許しを。けれど、私もこれだけは伝えさせてください」
エアリエルはナリの目を見て、ハッキリと。
「私は貴方を主とし、敬愛し、守り、いつまでもお傍にいます」
ナリは彼女の言葉に「そっか」と全て聞けなかったというのに、なぜか穏やかな笑みを浮かべる。そして彼女に立つようにと促す。エアリエルが立ち上がりちゃんと自分と目が合ったのを確認する。
「ありがとうエアリエル。少しでも話してくれて。それで……俺と出会ってくれて」
「え? なぜそんなことを?」
ナリは頬を掻きながら、目を逸らし話す。
「だって俺とアンタが出会ってなくちゃランドアールヴァルに連れていかれてたかもしれない、こうやって呑気に夜会なんて来れていない、俺は一生力なんて持てなかった。でもアンタがいたから、アンタと俺が出会ってたから今がある。だから、ありがとうだ!」
エアリエルはナリの話に優しげな微笑みを浮かべながら、思いっきり。
「ナリ様!」
「んぎゃ」
彼に真正面から抱きついた。
「ちょ、エアリエル! 俺まだ抱きつくの禁止出してるんだけど!?」
「そんなの知りません! 私が今抱きつきたいと思ったから抱きつくのです! まず、抱きつくぐらいいいではありませんか、減るものじゃあるまいし」
「減るわ! 俺の心臓がもたないの! たくっ、アンタ大人っぽい見た目な癖に中身子供じゃねーか」
「いいですよ子供で!」
ナリが無理矢理彼女を引き剥がそうとしても、彼女は幸せそうな顔をして決して彼から離れなかった。
そして。
零時を告げる鐘の音が、あたりに澄みわたる。
新しい年の始まりだ。