それからも、ナリとエアリエルの距離は以前のものには戻らず普通のまま、忙しなく彼等にはユールに向けた仕事が与えられ、暦は十一月から十二月へと変わっていった。
ユールの前日、十二月二十一日。ユールは二十二日〜二十五日の四日間行われることとなっており、民達は冬至である祭が始まるまでに全ての支度を終わらせなければいけないのだ。
その支度とは、ヒイラギ・キヅタ・イチイ・ヤドリギなどの木の枝を採ったり、リースを作る。そしてこれが、一番民達が楽しみにしているのが、最高神オーディンをおもてなしする支度に、皆時間をかけていた。
オーディンは二十四日の晩に、九つの世界のうち五つの国を自慢の愛馬であるスレイプニルに乗って回るのが、ユールの決まりだ。
「はい、この袋全部が小人の国の分の枝達な。確か、ヒイラギが……」
ナリとテュールは馬車を引き連れて、小人の国にやってきていた。
ヒイラギ・キヅタ・イチイ・ヤドリギは、一部の地域では採れない植物だ。そのため、冬至の準備が満足に出来ない国――小人の国、人魚の国、狼の国の三つの国へと届けに行くのが、兄妹とテュールの今回のユールでの仕事である。
「ありがとな~、ナリの坊ちゃん、テュール様」
「いーえ。これが俺達の仕事だしな」
「よっし。それじゃ、馬達はもう預けてナルちゃんの帰りを待とうか」
テュールは小人達に馬を預け、そう言った。人魚の国と狼の国への分は一袋だけであったため、ナルは珍しく着いてきたフェンリルの背に乗って残りの二つの国へと向かっているのだ。
「はい。確か、今日はここで泊まるんでしたっけ?」
「そっ。もう時刻は夕方だし、もうそこから帰るとなると朝に着くことになるから」
「そういえばそう言ってまし、ふわぁ……うぅ、ねむっ」
彼が言うように、空は夕暮れ時のくすんだ橙色となっており今の時期だとこの色もすぐに消えて、夜の藍色へと変わるだろう。そんな空の下で寒い中移動するのは辛いものだ。ならば、どこかで朝を迎えるまで休めばいい、とのことでこのような結果となったのだ。
ナリは国の入り口にあったベンチに座ると、大きく開いた欠伸を隠しもせずにする。
「やっぱりもう眠い?」
「流石に朝の六時ぐらいから、十時間ぐらいですかね? 馬車に揺られたり運転したりって、かなり身体に堪えましたよ」
「それもそうだね、ありがとう。本来ならファフニールさんに連れてきてもらえたら楽だったのだけれどね。別の用があったらしくて頼めなかったから。本当に今回はお疲れ様だ。ひとまずはおれ達の仕事も、明日から始まる祭の見回りだけだし比較的楽なはずだよ」
「そうであってほしいです」
「……そう、話はかなり変わってしまうのだけど」
「……?」
クタクタな怠けた声を出すナリに、テュールは微笑みを浮かべながらこう切り出した。
「ナリ君はエアリエルさんを誘わないの? ダンスに」
「……またそれですか」
テュールの言うダンスというのは、三十一日に神の国で行われる神族だけの夜会パーティーの演目の一つ。そこでは特定のペアを組んで踊る時間が設けられているのだ。
ナリはテュールに対しとてつもなく嫌そうな顔をすると、それを見たテュールは「えぇ~」と苦笑いを見せる。
「またってなにさ。まだこの話題は出していなかったはずだけど」
「そうじゃなくて、エアリエル関連の話でってことですよ。先月ぶりですけど」
「そう。あの時は恋してるだのなんだのって話になっちゃったやつ」
「なっちゃったというかならされたというか。で、ダンスの相手にエアリエルをでしたっけ? 誘ってませんよ、アイツは」
「じゃあ、他に誰か?」
「いや、それもないです。まず俺あんまりダンスは」
「それじゃあ、誘おう! そういう雰囲気の時に色々と話すと、リラックスして話せるらしいから」
「えぇっ!? というか、話すって何を?」
テュールはウキウキとしたなぜだか楽し気な表情をしながら、ナリにそう提案した。
ナリは彼が何を考えているのか、なぜそこまで楽しそうなのかが分からず、怪訝な顔をしながらそう聞いた。すると彼はにっこりと微笑む。
「ナリ君がおれ達に話したこと全部。どうして自分が過去の事を聞きたいのか、それはただの好奇心なんじゃなくエアリエルさん自身と向き合うためであること。きっと、ここまで話せないとなると一部は濁されてしまう可能性はあるけれど、君の知りたいって気持ちをちゃんと話せば、彼女は君の為に、少しでも話してくれるんじゃないかな」
「……だと、いいっすね」
テュールは澄んだ声でそう言いながら、優しげな微笑みを彼に向けた。ナリはそんな彼と目が合うも、何も言わずに目を逸らし、国の門の方へと顔を向けてしまう。テュールはナリのそんな態度に何も言わずに、太陽が地平線の彼方に沈んでいく姿を眺めるのであった。
◇◆◇
兄妹とテュールの寝床として用意されたのは、今は留守のファブニールの家であった。
食事や風呂を済ませると速攻で兄妹は寝床へと飛び込み、そのまま深い眠りへと入る。
それから少し経ち。ナリは自分の頭を撫でる大きな手の存在に気付き、目を覚ます。
部屋は暗く、この手が誰のものであるかは彼の目で見ることは出来なかった。それでも、彼にはちょっとした確信があった。大きく少しゴツゴツとした手だというのに、壊れぬように優しく包むかのように撫でる、そんな撫で方の感触に彼は覚えがあったのだ。
その確信を確証へと変えるため、彼はまだ頭にいた手の首元を鷲掴みする。掴んだ瞬間「うおっ!?」と変な声が頭上から聞こえた。その声でもう、誰かという答えは出る。
「なーに寝てる子供の頭撫でてんだよ、父さん。あと、煩い。ナルが起きる」
「いやそりゃないだろナリ……。いきなり掴まれたら誰でも声出るぞ」
そこに居たのは突然手首を掴まれたからか、口をひきつらせた笑みを見せる彼の父、ロキであった。
◇◆◇
「たくっ、この一週間どこ行ってたんだよ。珍しく俺達や母さんにも場所を言わずにさ」
「悪い悪い」
場所は移り、居間でそれぞれ温かいホットミルクを飲みながら、周りの者が起きぬように小声で話す。ロキは特に反省しているような様子は無く、へらへらと笑っている。それが気に食わないのか、ナリは目を細めて父親を睨む。
「……どうせ、教えてくれって頼んでも無理なんだろ? 俺がまだ子供だからって理由でさ」
「だって子供だろ? ボクとシギュンの大切な愛しい子供だ」
ロキは特に顔色を変えることなく大真面目な顔でさらっとそう言い切った。
「あぁ、もう恥ずかしい事言うな! ……そりゃ俺はずっと父さんの子供だ。でも、俺が言いたいのは子供と大人の壁だ」
子供と大人。話せる事と話せない事。
話せない事が積み重なって壁になり、相手の傍にいるのに触れることが出来ない。力になりたいのに、それは全て拒絶される。
子供だからと、そんなふざけた言葉だけで収められる。
「隠す事に俺が子供って事以外に色々とあるのかもしんないけど、俺はその壁をぶっ壊すことや受け入れる覚悟はとっくの昔に出来てるんだ。だから——」
自分の気持ちをさらけ出したナリ。彼の目を離さず真っ直ぐに見ていた。しかし、それでもロキは寂しげな笑みを浮かべるだけであった。
「気持ちは分かった。話してくれて。ありがとう。そしてごめん。今話せない事、これからも君達には知られたくない事をボクは沢山あるって事を、どうか分かってほしい」
ナリは父の返答に「父さんもエアリエルも頑固すぎるだろ」とぼやいた。
「そういや、エアリエルは居ないんだな。確かこっちの地域の空気は合わないんだっけか」
ロキは話を変える為か、そうナリに話を振った。
「うん、そうらしい。……なぁ、父さん」
「ん?」
「父さんはなんで母さんに恋したんだ?」
「んん? さっきと関連性が全く無いんだけど、なんでまた?」
飲みかけていたホットミルクを寸止めし、そんな突拍子も無い質問に首を傾げる。質問に質問を返されたナリは「別に……ただ、気になっただけだし」とロキから目を逸らしながら言った。そんな彼の様子にロキは目を細めニヤニヤしながら「へぇ〜」とナリの顔を覗き込む。
「なんだナリ。恋でもしたか?」
「ちがっ! そうじゃねー!」
「はいはい、これ以上理由聞き出したらうるさそうだからやめとくな」
ロキは天井を指しながら、口に人差し指を持っていき「静かに」という動きを見せる。それを見たナリはすぐさま口を塞いだ。
「で、ナリの質問だけど……改めて言うとなると恥ずかしいな」
「いつもイチャついてるくせによく言うよ」
「そうか?」
「そうだよ」
「うーん……。彼女は」
ロキは言葉一つ一つを丁寧に紡いでいく。煌びやかで優しい想い出を語るために。
「彼女は不思議な存在だった。死にかけだったボクなんかを助けた事への驚きと共に、珍しい銀色の髪と瞳に最初は惹かれた。そこから彼女の世界を見る目に惹かれた。全てが純粋で愛らしい彼女に」
「……」
「ナリ。本当に恋をしているかどうかは置いておいて。これはボクの話でしかないってのは分かっておけよ? こういう感情論の話に答えなんてないんだからさ、君は君らしく接せればいいんだ」
「俺らしく?」
「そっ。ナリらしく」
「そう、だよな……うん、ありがとう父さん」
「どう役に立ったのか分からねぇけど……まぁ、頑張れよ」
「おう」
そんな父の言葉にナリは腑に落ちたようなスッキリとした表情を見せ、笑顔を浮かべながら礼を言った。