自分の吐く息も、空から降る小さな小さな星玉も、足を踏み出す地面も。全てが白く彩られた、銀世界。
ユグドラシルに、初雪がやってきた。
「ちべたっ」
ナリの鼻に一粒の雪が舞い降り少しばかり大袈裟ではあるものの、その雪の冷たさに驚く。そこはいつもの、エアリエルが棲む森の中。ナリは鼻をすすりながらも、石の上に座り少し遠くの所でフェンリルとナルが修行をしている姿を眺めている。
修行とはいっても、毎朝この森で魔力を共有することとなったフェンリルと共に目を瞑って精神を研ぎ澄ませる、精神統一のようなものをしているのだ。その方がフェンリルの魔力とも触れながら、自身の奥底にあるであろう魔力を強くさせられるかもしれない、というエッグセールからの言葉だ。その修行の為にフェンリルもこの森で棲むこととなった。
そう言われてから今日で一週間。ナルは休まずきちんと、今日の様に雪が降っていても彼と共に一時間ちゃんと精神統一をやりきろうとしている。
兄であるナリはそんな妹を邪魔せぬように、静かに毎朝傍で見守っているのだ。
「ナリ様、ちゃんとコートのフードを被ってくださいまし。森の中とはいえ、雪は木々の葉の隙間から落ちてきますからね」
「……おーう」
ナリに後ろから抱きついていたエアリエルが、彼の脱げていたフードを頭に被せる。
そしてまた、ぎゅっと密着する。そんな彼女をナリはしかめ顔をしながら見る。
「……なぁ、エアリエル」
「はい、なんでしょう」
「……離れてくんね?」
「なぜです?」
「なぜって……」
ナリの顔を覗きながら問いかけるエアリエル。そんな彼女と目を合わさぬよう、彼は目を逸らしながら少し顔を赤らめながら、その問いに対しての答えを出す。
「やっぱり、その、……恥ずかしいんだよ」
「恥ずかしい? なぜ恥ずかしがることがあるのですか? 今だって別にナル様とフェンリル様しかいませんし、彼等はこちらを見ていません。恥ずかしがることなどないのでは?」
「今はそうでも、神殿の中だとか……前からちょくちょく言ってたはずだけどさ、エアリエル。アンタ、俺に引っ付きすぎなんだよ。すぐに抱きついてくるし……ちょっと、俺には色々刺激が強いっていうか。うん、これ何度も言った」
ナリの言う通り、彼女はよく彼に抱きついている。見習いの仕事中はほとんど密着した状態で、彼女が抱きつくたびにナリは「離れろ」と注意するのだが、エアリエルは一切それを聞こうとはせずにいた。仕事に関しての支障は彼の精神の頑張りによるため、今の今まで踏ん張ってこれていたナリなのだが。
「だからエアリエル」
ナリはサッと立ち上がり、エアリエルにこう言い放った。
「今日から俺に抱きつくの禁止!」
「…………………えっ」
◇◆◇
「酷いと思いませんか皆様!」
その日、恒例となった週一のお茶会にて、エアリエルは初参加の中で今朝の出来事をフレイヤ、トールに話していた。
「今の今まで許してくださっていたのに! 今更禁止だなんて言われて!」
エアリエルはしくしくと涙を流しながら彼女達に訴えるのだが、フレイヤは目を細めながらつまらなそうな顔をしている。
「とてつもなくどうでもいい話」
「フレイさんとフレイヤさんが『兄妹キャラが被ってるから』の話と同等と思いますよ」
「ナル、貴方言うようになったわね」
「そこのお二人さん、かなり失礼なこと言ってません? 悩んでる本人目の前にしてよく言えますね」
「「だって本心だもの」」
「そこは濁していただきたかったものです!」
二人の冷めた反応にエアリエルは悲痛の叫びをあげる。そんな中、トールだけが真剣に「うーむ」と考え込んでいた。
「まぁ、少しは気を使ってあげた方がいいんじゃないかしらん?」
と、トールは彼女の胸に目をやりながらそう話した。エアリエルの胸は俗にいう、巨乳だ。だからこそ、お年頃であるナリには少し、いやかなり刺激があるに違いないとトールは考えたのだ。
「まぁ、今更とは思うだろうけどエアリエルさんがナリくんに抱きついてる時はほんっとうに幸せそうなオーラが出てたから……だからナリくんもきつく言えなかったんじゃないかしら? でも、今日それが満タンになっちゃって。よく我慢したものよ、うんうん」
「バカね。なにに感心してるのよ」
「あの、ずっと気になってたことがあるんですけど。エアリエルさんは、なぜ兄さんの事を? なんだか契約関係以上に兄さんとエアリエルさんの間に何かあるような気がするんですが」
ナルがそう問うとエアリエルは「あら、よくお気づきで」と苦笑する。
「そうですね。これに関してはまだ最高神から許可を頂いていないため、ナリ様にはご内密に。……私はナリ様と幼き頃に出会っています」
「っ。でも兄さんは何も」
「それもそうです。精霊である私はこの世界に生きる彼と交わってはいけない存在。だからこそ私は、最高神の命により彼の記憶を消しました。だから覚えていないのも当然」
「……でも、また会った」
「お恥ずかしい話です。私はナリ様の事を忘れる事が出来ませんでした。彼は私にとって特別な存在になったのです。また一緒に居たい、傍に居たいとずっと願っていました。だからこそあの時再び出会え、そして今、ナリ様の傍に居れる事が嬉しくて……つい。でも、ナリ様にとっては迷惑だったのかもしれませんね」
エアリエルは寂しげな笑顔を浮かべながらそう話した。全てを聞いたトールとフレイヤも彼女の感情が移ってしまったのか、少し寂しげな表情を見せる。ナルは少し考える素振りを見せると「もう一つ、質問いいですか?」と彼女に聞いた。
「エアリエルさんは、兄さんを愛しているんですか?」
ナルの直球な質問に、三人は目を丸くさせる。質問を受けたエアリエルはそこから「あははは」と笑い出す。
「これを愛と呼ぶのなら、敬愛でしょう。私は彼を契約主として、愛し、守ります」
優しく微笑むエアリエル。そんな彼女を見てナルは、マリアの話を思い出す。
『その方と一緒にいるとすごく胸がドキドキして、お別れの時間になるとすごく寂しくて……早く明日になってその方に会いたいって気持ちがずっとあって……』
彼女はこう言ってはいるが、もしかしたら……とナルは考えたものも。それ以上は考えるのをやめた。自分自身でさえも、まだ分からない領域であるから。両親や兄以外の誰かを愛していると自覚出来ていないから。
その次の日から、エアリエルはナリの言う通りに彼に抱きつくことはなくなり、一定の距離感というものを取っていた。そんな状態が普通の筈なのだが、周りの彼等の事を知る者達は「何かあったのでは?」と噂が流れていた。