6篇 傍にいること1


 収穫祭が終わってから二日後。十一月となり風が痛く冷たい本格的な冬の季節となったユグドラシル。
 新品の白いロングコートを羽織った兄妹とそこが定位置かのようにナリに抱きついているエアリエルは、神の国にある草原で父ロキが指笛を空に向かって吹いている姿を眺めていた。
「父さん。まだ?」
「ん〜、もうちょっと。多分」
「多分って……」
「だってボクにも分からねぇんだもん。この時間帯に呼べば来るってだけで、遠くに居たらそんなすぐに」
『来たぞ』
 大きな羽ばたく音と強風、地面に重たい何かが降り立った鈍い音が兄妹やロキの背後で鳴る。それぞれその背後へ顔を向けるとロキはニヤリと笑い、兄妹は驚きで後ずさりながらそれを見る。ゴツゴツとした赤い肌、睨まれれば一歩も動けないであろう青緑の瞳、全てを切り裂く鋭い爪と牙、そしてこの空を飛び回るための大きな翼。
 そこには、紅き竜がいた。
「「「竜だ!」」」
『おぉ、竜だぞ〜』
「やっと来たか。待ちくたびれたぜ、ファフニール」
『すまんすまん。ちとゆっくり飛びすぎた。ほんじゃま、すぐに出発! と言いたいとこではあるが、少し休ませとくれ』
「あぁ、別にいいぜ。こっちは頼んでる側なんだ、拒否する権利はねーよ」
『それはよかった。んでは、失礼して』
 ファフニールと呼ばれた竜は深く息を吸うと、尻尾や足先爪先から赤い炎が彼の身体をグルグルと巻き込んでいく。すると身体のシルエットが竜から人型へと変わっていき、ようやく炎が消えるとそこには髭を生やした小さな老人がちょこんと座っていた。
 竜が一瞬にして小さな老人になってしまったことに開いた口が塞がらない三人。そんな彼等の顔を見てロキは大笑いをする。
「あれっ、君等ファフニールの姿見たことなかったっけ?」
「ねぇよ! 何もかも初めてだ」
「もし会ってるのなら小さな子供の頃で覚えていないかだと思うよ、お父さん」
「そうだなぁ。記憶ん中にあるのは兄妹が赤ちゃんの時やったからの。そりゃ覚えとらんわ」
「なぁ、なぁ。なんでファフニールさんはそんな身体なんだ?」
 ナリがファフニールへと近付き、そう前のめりになりながら質問する。それに対し、ファフニールは唸った。
「なんで、か。それを話すとなるとかなり長くなってしまうし、面白くないかもしらん……強いて言うならば、これは罰じゃ」
 ファフニールは顔を暗くさせながらそう言うも、ナリはなぜ彼がそう言うのか分からず首を傾げる。
「罰?」
「そう罰。今はこんな風に力と共存しとるが、最初は竜となる自分が嫌いじゃった。自業自得なんだけれどもな」
 ファフニールがそう話すと、ナリはその先を聞いていいものか否かと微妙な顔をする。そんな彼の様子を察知し、ファフニールは「ふぁふぁふぁ」と笑いだした。
「さて、少し休めたことだしそろそろ行くかいな。空は寒いが準備は大丈夫か?」
「「もちろん」」
 兄妹はしたり顔をしながら、自身の着ているロングコートをファフニールに見せた。
 白いロングコートには腕の部分と裾の部分には細かい金の刺繍が縫われている。
「これ凄いよな。薄いし軽いのに着たらあったかいんだよ」
「確か小人族の方々が作ってくださってるんですよね」
「そうさ。小人族は神族の武器や衣服を作る仕事をしとるからな。昔から世話になっとる。お前さんらの耳に付けてるのも、ワイが作った」
「「へぇ……!」」
 それを聞いた兄妹は、自分の耳にピッタリとくっついている耳飾りを触る。
「これ、俺達すげぇ気に入ってんだ!」
「だから、作ってくれてありがとうございます」
「例には及ばんさ! ワイらはそうやって気に入ってくれるだけで嬉しいんじゃから」
 ファフニールは「よっこいせ」と身体を起こし、うんと身体を伸ばす。そして、すんと顔を無表情にさせるとまたも彼の足先や手先から赤い炎が現れ彼の身体を覆う。炎のシルエットは人型から竜のシルエットへと変わる。渦の中から再び現れた鋭い爪がそれを切り裂き、全ての炎を消し去った。
『さぁ、行こうか。狼の国へ』

 ◇◆◇

 竜の背中に乗って優雅な空の旅――。
「「……………………うっ」」
 と、いうわけにはいかなかったみたいだ。
 ファフニールから降りるやいなやすぐに地面に倒れ込みながら呻く兄妹。
「ナリ様、ナル様大丈夫ですか? どうぞ、用意しておいたお水です」
「流石エアリエル!」
「ありがとうございます……」
 兄妹がエアリエルから受け取った水を、一週間も水を飲んでいないかのように一気に飲み干していく。
「……ファフニール」
「すまん。ちとハメを外しすぎた」
 そんな兄妹の気持ち悪そうな様子を見て、ジト目でファフニールの名を低い声で呼ぶロキ。そんな彼に対しファフニールは反省しているのか、頭を垂れながら謝った。
 何故こんな事になってしまったのかというと、簡潔的に言えばファフニールの速度が少々速かったらしく、慣れない兄妹は酔ってしまったのだ。
「はぁ……まぁ初めてだってのもあるだろうけど。ナリ、ナル、もう大丈夫そうか?」
 兄妹はロキに対して大きく手を挙げ「大丈夫!」と言い切った。
「よし元気だな。それじゃ、ボク達はこのまま森へ入るけど……」
「わいはこの辺をグルグル飛んどるよ。帰る時にまた呼んでくれればいい。ではな」
 ファフニールは翼を大きくはためかせ、再び空高く飛んでいってしまった。そんな彼を見送った後、ロキが「行くぞー」と皆に声をかけ、共に森の中へと入ってく。
 針のように鋭い森のある、狼の国の中へ。
 森の中は昼だというのに夜のように暗く、冷たい空気を纏っている。そんな森の中を黙々と進んでいく四人であったが、ナリがその空気に耐えられなかったのか、口を開く。
「ナルはさ、ジャック・オ・ランタン夫妻の子供の捜索を手伝ってくれた、魔女エッグセールと名前の知らない男にその菓子を渡すんだよな」
 ナルは兄の言葉に頷くと、ジャック・オ・ランタン夫妻から頂いたお菓子の入った布鞄を撫でる。この狼の国へ来たのも、そのお礼のお菓子を渡すのが第一の目的である。
「で、父さんは? ただの俺達の付き添いならテュールさんでもよかったのに」
「なんだー? ボクと家以外で一緒にいるのは嫌か?」
「そういう意味で言ってねーよ。付き添い以外に何か目的あるのかなって」
「特に目的って訳じゃないが、エッグセール直々に指名が入ったんだ。だからこうやって連れ添ってる訳」
「そうさ。婆さんのちょっとした世間話に付き合ってもらおうとね」
「「「「うわっ!」」」」
 ロキ達の目の前にあのエッグセールと小さな灰色狼が二匹居た。
「エッグセールさん。驚かせないでくださいよ」
「すまんすまん。二日ぶりだねお嬢ちゃん。ん? なんだいそれは?」
 ナルは早速エッグセールに、ジャック・オ・ランタン夫妻から貰ったお菓子を手渡す。
「捕まえた子の親御さんから頂いたお礼です」
「なるほどなるほど。おやつの時間に大事に食べさせてもらうよ。んで、その隣に居るのは」
「ナルの兄、ナリです。先日は妹がお世話になりました」
 ナリは一歩前に出てエッグセールに頭を下げる。
「行儀がいいのう。ロキの子供とは思えん」
「皆それ言うよなぁ。まぁ、そこらへんはシギュンが大事にしてるからそうなのかも」
「いい嫁さんじゃな。そんでナリくん。あたいはなんもしとらん。一番お嬢ちゃんを手伝ったのはアイツだから」
「……エッグセールさん、その、あの男の方にも渡したいんです。あと……」
 ナルは少し言葉に詰まりながらも、意を決っしてあの者の名を出す。
「ここに居るフェンリルさんに会いたいんですが」
 フェンリルという名に背後に居たナリとロキやエアリエルは目を見開く。しかし、エッグセールはそんな様子を見せず「いいよ~」と緩い口調で承諾する。
「それなら。スコル、ハティ。このお嬢ちゃん達を連れて行ってやんな」
 エッグセールが灰色狼の二匹にそう命令すると、理解したという合図か一回吠えてからナル達に「こっちに来い」と言いたげな目をして森の道ではない道を行く。ナルは慌ててその狼を追いかけ、ナリやエアリエルもその後をついて行った。
 そんな彼等に手を振るロキをエッグセールはジッと見ていた。彼女の視線に気付いたロキは「……なんだよ」と問いかける。
「いんや、別になんも無い。……そうそうロキ、オーディンに伝言をしてくれ。巨人族が何やら企んでいるようだと、ね」
「巨人族が――っ!?」
「その何かまでは分からぬが、何やら妙な動きをしてるのを見かけてね。用心しといた方がいい。特に年始とか。毎年あるんだろ? 巨人族と神族の会合」
 巨人族という単語にロキは驚き、顎に手を乗せて何やら考える素振りを見せる。
「ロキ」
 そんな彼に、エッグセールはこう忠告した。
「大切なもんが出来たんなら、ちゃ〜んと守んな」
「……そんなの、言われなくても分かってる」
 ロキは重みのある言葉を、兄妹が歩いていった道へ顔を向けて言った。