4篇 海辺のひととき2


「私、それならトールさんとヨルムンガンドさんの話を聞いてみたいです」
 ナルの言葉にトールは「あら、本当に聞きたいの?」と、驚きの声をあげる。それに対し、ナルは強く頷いた。
「はい! 今日お話を聞いて思い出したこともあって、尚更」
「思い出したこと、ですか?」
「えぇ。確か、トールさんとヨルムンガンドさんは何度か戦ったことがあるんですよね? 記録本に書かれているのを読んだ事を思い出したんです」
 ナルの言葉にトールは「あぁ、そういえばそんなこともあったわねぇ」としみじみと言う。
 出会いは、トールがヨルムンガンドを海から釣り上げたことから、彼等の縁は始まるのであった。
「一番奇妙だったのは、あの腕試しですかね」
「あれは、真実を聞かされた時は驚いたわ……!」
 トールが巨人族にしかけられた腕試し。その腕試しに、力自慢であった彼が、全て負けてしまったのだ。それもそのはず、トールが持ち上げようとした猫や力比べをした老婆など、巨人族にみせられていた幻であって、それらは全てヨルムンガンドであったのだ。
「あの時は驚いたわねぇ。まさか、幻を見せられていたとは」
「確か、アングルボザっていう女巨人がそういう幻を見せたんだったかしら? ちなみに、ヨルムンガンド等の怪物兵器を造ったのも、そのアングルボザだって話。はぁ、まったく。忌々しい巨人族がそんな力を持つだなんて、不愉快だわ」
 フレイヤの言葉に対し、トールは彼女の頭に優しく小突く。それに少し不満げな表情をフレイヤは見せるものの、すぐさまトールがなぜそんな事をしたのか自身で理解し、視線をナルへと移す。しかし、彼女はフレイヤの発言をどうとも思っていないのか、それとは違う疑問を放つ。
「私、それがすごく疑問だったんですけど。どうして巨人族であるその方に、そんな事が出来たんでしょうか?」
 フレイヤは安堵の溜息を吐き、彼女にその女巨人について説明を始める。
「アングルボザ。重度の変態女よ。自身も魔法を使いたいからと魔女を拉致して、色々と教わったらしいわ。といっても、やはり巨人族だから魔法の才能なんて皆無だったわけだけれど。だからアイツは、魔女から技術だけを濃く学んだのよ」
 その結果が、トール達に見せた幻術を見せる御香であったり、ヨルムンガンド達怪物兵器を造る腕へと磨かれたのであった。
「話が脱線したわね。ヨルムンガンドとアタシの馴れ初めだけれど……。そうね、あれは確かロキと一緒に女装して盗られたミョルニルを取り戻しに行った後……」
 トールの口から放たれた「女装」と自身の父ロキの名を聞いたナルは、なぜかとても楽しげな表情を見せる。
「それも本で読んだことがあります! お父さんの女装姿、見たかったなぁ」
 昔、トールはミョルニルを巨人族に盗まれてしまう事件があった。条件にフレイヤを嫁に渡すよう提案されるものの、フレイヤは断固拒否。その代わりに、トールがフレイヤの代わりとして侍女役のロキと共に女装をして巨人族に乗り込んだのだ。無事、大暴れの末ミョルニルを奪い返す事が出来たのであった。
「結構、似合ってたわよ。ナルちゃんが可愛くお願いしたら着てくれるでしょ。後、アタシはナリも似合うと考えてるわ」
 トールの兄に対する言葉に、ナルは「兄さん、絶対に嫌がりそう」と苦笑する。
「って! また脱線してますよナル様、トール様!」
「昔話をする時あるあるね」
「原因全部私ですね……ごめんなさい」
 フレイヤの指摘に、ナルは頭を下げる。トールはそんな彼女達を見ながら、咳払いをする。
「とまぁ、アタシはその機会で色々と吹っ切れて、可愛くなろうと色々研究をしようとしてた時……ヨルムンガンドに会ったのよ」
 トールはナリ達と遊ぶヨルムンガンドを見つめる。

***

 ヨルムンガンドが海を守るようにとオーディンに命を授けてから、数ヶ月の事。
「ねぇ」
 海辺で、同類である男の人魚達に色々と教えてもらったりと雑談をしていたトールに、ヨルムンガンドが海から巨大な顔を出し、話しかけてきたのである。
 ヨルムンガンドに未だ恐怖を抱える人魚族は、彼の登場に怯えるものの、トールだけはヨルムンガンドの目を真っ直ぐに見つめていた。彼は人魚達の前に仁王立ちで首を上げ、ヨルムンガンドに話しかける。
「ヨルムンガンド、何のようだ?」
 ヨルムンガンドは「わぁ、僕ちゃんの名前知ってるの?」と目を輝かせる。なぜ、そのような目で見てくるのか、トールは理解できなかったが、そのまま話を進める。
「勿論。お前とは色々と縁があったからな。その時は名を知らなかったが、ようやく敵の名を知れて喜ばしかったよ」
「あはは、僕ちゃんもだよ〜。釣り上げられた時は悔しかったけど、君が僕ちゃんをちょっとしか持ち上げられなかった時とかはとっっても面白かったから!」
 ヨルムンガンドは上機嫌に話す。そんな彼とは真逆に、トールは身体の奥底から込み上げてくる今までの怒りが吹き出してしまいそうになる、が。それは、ヨルムンガンドの放つ言葉により、抑えられる。
「ねぇ、トール。僕ちゃんも……トールとお話ししたいな」
 予想外の言葉であった。彼は小声で「あと、皆とも」と、トールの背後に隠れる人魚族に視線を向ける。
「海は大好きだけど。寂しいのは、嫌いなんだ」

***

「彼等、ヨルムンガンドや他兄妹は怪物兵器として造られた。けれど、産まれたこと自体に罪は無い。命は等しく尊いものでなければいけないからね。ようは、付き合い方なのよ。そう造られたとしても、彼等を怪物兵器なんてものではなく、一つの命として、共に生きる者として接する事が」
 トールの言葉に、ナルは目線を背後にある森に移しながら、すぐにそれをトールへと戻す。
「あの子は愛が欲しかっただけなのよ。畏怖とされるよりも、共に親しく愛し合う事を。特に、母の愛ね。だからアタシの中では、ヨルムンガンドは子供のような立ち位置なのよ」
「ハニーとかダーリンって呼び合ってるのに?」
「フフッ、他世界へ視察に行った時に、面白い言葉だなと思って使ってるのよ。特別感があって、あの子も気に入ってるし」
 トールの話がとうとう終わり、今度はマリアがフレイヤに話を振る。
「フレイヤ様は恋バナが多そうですよね」
「……そうね! 妾は男性から引く手あまただもの。そういう恋バナは尽きないわ」
「あら? もう一人に絞ったんじゃなかったかしら? 確か名前はオッ――」
 そう名前を呟こうとしたトールであった、が。
 フレイヤの「名前を出したら……ね?」という黒笑いを見せられて口を噤んだ。
「そういうマリアはどうなのかしら?」
「わっ、わたしですか? わたしは……」
 聞かれたマリアは急にモジモジとして顔を赤らめるという、なんとも分かりやすい表情をしだす。そんな彼女を見てフレイヤとトールはニヤリと口角を上げる。
「あらあら、その表情。誰かお相手がいるって顔じゃなーい」
「誰誰? どんな子なのかしら? お姉さん達に教えてちょうだいよ」
「えっ、えっと……」
 マリアはまだモジモジしながら話し出す。
「その方はわたしより年上で……とても、優しくて。きっとわたしのことなんてただの妹とでしか思っていないとは思うんですが……なかなかあの方への恋心を消せなくって」
「あっら〜。ものすごく乙女ねマリアちゃん。このトール、何かあれば全力で応援するから言ってちょうだいね!」
「は、はい!」
 マリアの話を聞いたトールは彼女の肩を掴み、涙を流しながら彼女の恋を応援することを約束する。
「……で? ナルは?」
「え。私ですか?」
 そこでフレイヤは先程から全く話に入ってこないナルに話題をふる。
「勿論。貴女は無いの? 恋バナってやつ」
「……えっと、こんな事言うとあれなんですが」
「何よ。妾達友達でしょ? 遠慮せず言いなさいよ」
 フレイヤに肘でつつかれたナルは「うーん」と唸りながらも口を動かした。
「実は私……恋、ってものをした事がなくて」
「「……え?」」
 ナルの言葉に、フレイヤとマリアは目を丸くさせていた。トールだけが、ナルをあたたかい目で見守っている。
「した事ないというか、まず恋というものが分からなくって……」
 ナルの疑問にフレイヤは「そうねぇ」と顎に手をかける。
「どんなもの……って考えたこともなかった」
「わたしは!」
 悩むフレイヤと真逆でマリアが顔を真っ赤にさせたまま大きな声で興奮した様子で話す。
「その方と一緒にいるとすごく胸がドキドキして、お別れの時間になるとすごく寂しくて……早く明日になってその方に会いたいって気持ちがずっとあって……」
「会いたい、気持ち」
 ナルはマリアの言った言葉に反応し、少し目を伏せる。
「あら? もしかして誰か心当たりでも?」
「……えっと」
「「ナル/フレイヤの方が可愛い!」」
「「「「???」」」」
 ナルが話そうとした瞬間、海の方――ヨルムンガンド達のいる方からそんな大声と衝撃音が聞こえてきた。皆一斉にそちらを見ると、ヨルムンガンドの身体の上でナリとフレイがそれぞれの力を使って喧嘩をしている姿であった。
「ああもう何やってるのよ!?」
 そんな彼等の喧嘩を止めるためにまずにトール、フレイヤ、マリアが向かう。そんな彼女達を追わず、ナルはその場に残り背後にそびえ立つ森へと体の向きを変える。
刺々しい、まるで針かのように鋭い森を見ながら、ある者の事を思い出す。

『友達になりましょう』

さよならも言えずにいなくなってしまった彼の事を。
「……会いたいです。フェンリルさん」