ようこそ、愛しい愛しい子よ
ココが貴方の新しいお家
私達と一緒に歌って踊りましょう
永遠に、そう永遠に
「……ん」
ハープのように美しく高い詩声で目を覚ました少年。彼の開かれた目に最初に映ったのは、艶やかな草の生えた地面と六つの細い足。それはくるくると少年の周りを回っている。
「――っ!?」
「あら、ようやく起きたわ」
少年が起き上がると、その足の持ち主の一人、水色のうねった髪と髪と同色の瞳を持つ女が声を上げる。
「やーっと起きたか! 連れてきたら気絶してたから驚いたぞ!」
メラメラと炎のように燃える赤色の髪と鋭い髪と同色の瞳を持つ女が、男っぽい喋り方で話しかける。
「起きるまで、ずっと、歌って、待ってた」
他二人よりもかなり幼く、肩ほどの黄土色の髪と同色のタレ目を持つ少女がおっとりとした声音で話しかけた。
草っ原に座り込み、いつの間にか三人の見知らぬ女に囲まれていた少年は、目をぐるぐると回してこの突飛な状況に追いつけないでいた。
なぜ自分がこんな所にいるのか、この女達は一体誰なのか。そんな疑問が目と同じようにぐるぐると回る。
しかし一つだけ分かることがある。
それは。
「……空が、虹色」
ここは、彼のいた世界ではないということだけだ。
少年がいるのは森の開けたような場所であり、その頭上に広がる空は彼の知る青空ではなく、虹色の空であったのだ。その色達はユラユラと揺れ、とても幻想的な物だと彼は感じた。
「さっ。貴方が起きたことですし、早速皆の所に行きましょうか」
「っ。アンタ達一体何者なんだ? 行くってどこへ!?」
彼の手を掴もうとする水色の彼女の手を振り払い、少年は彼女等に問いかける。彼に払いのけられた事に女は悲しげな顔をする。
「どうやら彼は私達の存在を知らないようですね」
「えー、そうなのか?」
「なら、自己紹介、しなくちゃ、ね」
少女の意見に二人は賛成し、まず水色の女が口を開く。
「私は水の精霊」
「アタイは火の精霊」
「わたし、は、土の精霊」
「精霊?」
精霊――自然界を構成する地、水、火、風を司る存在の事。至る所に彼等はいるのだが、彼等を視ることが出来るのは、ごく僅かの者だけ。
そして、その精霊達は声を合わせてこう言った。
「「「ようこそ、ランドアールヴァルへ」」」
「ランドアールヴァル?」
「そう。ココは我ら精霊が棲む禁断の場所。許された者しか入ることは出来ない場所」
彼は精霊に関して本で読んだ知識しか無く、この世界に精霊が棲んでいる場所があったことなど初耳であった。そんなまだ混乱している少年に、水色の女が再び声を上げる。
「けれど貴方は我等がこの世界に入るのを許しました。それは貴方が我々を視ることが出来るから、そして私達が貴方と遊びたいから」
「さぁ、他の仲間達もこの森を抜けた先で待ってるぞ!」
「みんなで、遊びましょ?」
「遊ぶって……」
少年は立ち上がり、彼女達から距離を取る。
「そのためだけに、俺を連れてきたのか?」
それでも彼女達はふよふよと浮きながら、彼との距離を縮める。
「えぇ、もちろん。視える者は少なく出会えるのは奇跡に等しい」
「まぁ、最高神に目をつけられてるってのもあって、なかなか探しに行けないけどな」
「私達は、ただ、遊びたい、だけなのに」
最高神、という名に少年は反応する。目をつけられている、という事は関わってはいけない存在なのではないかと少年は疑う。
そして彼はキッパリとこう言った。
「俺は帰る。アンタ達とは遊ばない」
その言葉を聞いた彼女達は、浮いたままその場で固まってしまう。
「なんでだ?」
「なんでもだ」
「ちょっと、だけでも」
「断る」
火と土の精霊はしつこく彼に「遊ぼう!」と懇願するも、それを彼は冷たくあしらう。
そんな彼に水の精霊が問いかける。
「では、どうやって帰ると?」
「……帰り方を教えてくれって言っても無理なんだろうな」
ナリの言葉に彼女は「もちろん」と笑顔で答える。彼は彼女の返しを予想していたものの、その答えに眉をひそめた。
彼自身、ここまでどうやって来たのか記憶が全く無い。彼女達が言うように気絶していたのだから当然だろう。けれど、彼が元の場所へ、ここではない場所へ帰るには連れてきたら彼女達に頼るしか方法が無い。
「頼むから帰してくれ。皆に心配かけたくないんだ。特に――」
そこで、言葉が詰まる。
「心配とは、誰が?」
「えっと、だから、俺の…………あれ?」
言葉が出なかった。
彼の頭の中は、真っ白だ。
「あぁ、そういえば貴方の名前を聞いていなかったわね。ねぇ、貴方の名前はなぁに?」
「俺の、名前は」
彼は思い出そうとした。心配をかけさせてしまっている人は誰なのかを。
自分の名はなんであるのかを。
自分は誰であるのかを。
「俺は、誰だ?」
彼の答えに、彼女達は高笑いをし、再びあの詩を歌う。
ようこそ、愛しい愛しい子よ
ココが貴方の新しいお家
私達と一緒に歌って踊りましょう
永遠に、そう永遠に
水の精霊が彼に手を伸ばす。
何もかも忘れた、忘れてしまった、忘れさせられてしまった彼は、その手をとろうとした。
風が、彼の銀色の髪をなびかせる。
「ナリ様っ!」
◇◆◇
「兄さんっ!」
「……あ、あれ?」
ナリの目に映るのは、不安げな顔をするナルとシオンやスターチス、子供達の姿であった。皆ナリを取り囲むかのように集まっており、ナリが起きると安堵の表情を見せる。
「皆、どうしたんだ?」
「どうしたんだって。それはこっちの台詞! 兄さんこそいきなり消えたから皆驚いたんだからね」
「消えた? 俺が?」
「消えたといってもほんの一瞬といいますか……。気付いたら消えていて、気付いたらこの近くの茂みで倒れていたんですよ」
「へっ、へぇ?」
自分が消えた事に何の実感も湧かないナリは、「一体何があったのか」などと質問するナルを他所に、森の奥をジッと眺めた。
なぜ、自分がその彼等が感じた一瞬に消え、一瞬で現れたのか。その一瞬、自分は何をしていたのか。
「俺も、分かんねぇや」
◇◆◇
皆が寝静まる真夜中。
兄妹は大木の幹で作られたお客様用の家の広間で、両親に渡す花冠を熱心に作っていた。本来は家に帰るはずだったのだが、明日も早いためこのままこちらで泊まって花冠を完成させたいとテュールにお願いをしたところ、こころよくこの場所を兄妹に貸してくれたのだ。
「あとはこの花を入れたら……」
二人は最後に、青と黄のヒヤシンスを加え――。
「「出来た!」」
両親に渡す花冠がようやく完成した。
シロツメクサが円形を作り、主役の青と黄のヒヤシンスをより一層強調させている。ボリュームには欠けるが、兄妹達の想いはとても強く込められている。
「はぁ〜、ようやく完成した」
「良かった……もう、日付まわっちゃったね」
ナリが花冠をテュールから貰った箱へと慎重に入れ、ナルが時間を確認すると、二人揃って大きな欠伸をした。
「それじゃあ、おやすみ兄さん」
「おう、おやすみ」
そして互いの用意された部屋へと入る。おやすみと言ったものの、ナリは寝ようとはせずにベッドの上に寝転がったものので天井を眺めながら考え事をしていた。
あの、自分がいなくなった時の記憶の事である。
「自分が花を取りに行ったことまでは覚えてる。でもその後は? 俺は……あぁ、もう! 全然思い出せねぇ」
思い出そう、思い出そうと必死になっても彼の頭からその記憶は出てこない。自分の事だというのにだ。
ナリは頭を掻きながら、重たくなってきた瞼を閉じる。
その瞬間。
『ナリ様ッ!』
彼の脳裏に、声だけが響く。
「今の声っ……えっ?」
「あっ」
ナリが目を開けると、そこには誰かがいた。彼が横になっている寝台の傍で、誰かが彼を見ていた。ナリと目が合ったその誰かは、声を上げてすぐにその場を離れようとした。が――。
「まっ、待って!」
ナリはすぐに起き上がって、か細い腕を掴んだ。
『ようこそ、愛しい愛しい子よ』
『ココが貴方の新しいお家』
『私達と一緒に歌って踊りましょう』
『永遠に、そう永遠に』
ナリの頭に、そんな詩と記憶が流れる。
赤と青と黄と。
『ナリ様っ!』
緑と。
かくれんぼしていた月が、雲から顔を出し、その月明かりが部屋の窓から差し込み、二人を照らす。ナリが掴んでいた人物は、女であった。
黄緑の長い艶やかな髪は高く結い上げ、ペリドットのような瞳は月明かりによって輝いているように見えた。
無音の時間に、銀色の瞳と黄緑の瞳が混じり合う。
最初に、ナリが口を開いた。
「俺の事、あの三人から助けてくれたよな。アンタ、誰?」
「――ッ。……話せません」
「じゃあ、なんで俺の部屋に居るんだ? どうやって入ってきた」
「話せません」
「……」
ナリの問いかけに、彼女は口を噤んで目を逸らした。どうやら彼女は自分の事を話したくないらしい。
「じゃあ、聞き方を変える」
ナリは頭をかきながら、彼女にこう言った。
「なんでアンタは俺の質問に答えたくないんだ?」
その問にだけ、彼女はもう一度ナリの方へ顔を向け、悲しげにこう答えた。
「私は……貴方に会ってはいけないから」
「? 質問に答えてないだろ、それ。というか、それってどういう――」
「きゃあああああああ!!」
ナリの言葉は外からの悲鳴と何かを破壊する音によって止められてしまう。
そこで、部屋の扉がいきおいよく開けられて「兄さん!」とナルが入ってくる。ナリはそれに驚き、女の腕を離してしまった。
「ナル! 外で何が」
「私もまだ分からないの。音は近くだったし、一度外に出てみよう」
「……あっ、あぁ」
腕を離したからか、今までそこにいた女はいつのまにか何処かへと消えていた。女の行方も気になるナリだが、ナルに急かされながら外に出る。
外の景色は、悲惨なものであった。
一部の家が何らかの攻撃を受けたかのように破壊されており、明日のミッドサマーイヴの為に用意していた備品もその衝撃で壊されてしまっている。
そんな中、皆同じように空を見上げていた。皆が見上げる大きな満月と紺色の空では、青と赤と黄と緑の火花が散っているという異常な光景に妖精族は怯えている。
目に見えないモノがそこにいる。
いいや、一人だけソレが見えていた。
「なんでアイツ等――」
ナリの目に映る空には、四人の女が戦っている姿であった。その一人に先程ナリの部屋にやってきた女の姿があり、どうやらその女は他の三人と敵対している様子であった。
一対三。圧倒的に、その女の方が不利だ。
「ナリ君、ナルさん!」
暗がりからテュールが二人の元へとやってくる。
「テュールさん、一体何が」
「今神族の方で調べてる所なんだ。ひとまず君達は妖精族を避難させて」
「あ、一つ落ちるぞ!」
その声で、皆が空へと目を向ける。その言葉通りに、緑の火花が森へと落っこちていく。
「――ッ。テュールさん、剣貸して」
「えっ、ナリ君!?」
「兄さん、どこ行くの!?」
ナリはテュールの持つ剣を抜き、暗闇の広がる森へと姿を消してしまった。