「それじゃあ、私飲み物取りに行ってくるね」
「一人じゃ重いだろ。エアリエルも一緒に行ってくれるか?」
「かしこまりました」
「ありがとう。それじゃあ、後でね」
外からヴァルハラ神殿の中へと戻り、ナリはホズと共に彼の部屋へ、ナルとエアリエルは厨房へと向かう。ナル達が厨房に着くと、そこには誰一人としていなかった。
「あれ、珍しい。給仕の人達もいない」
「ここまで来る時にも誰にも会いませんでしたしね。皆、巨人族との会合に集まっているからでしょうか。いつもどこにいっても、神族がうじゃうじゃといるのに今日はいなさすぎて逆に不気味ですね」
誰もいない厨房に入ったエアリエルは早速ポットに水を入れて沸かしていきティーカップの用意も始める。ナルも皿にケーキを盛り付けていき、今回のおやつに合う紅茶を選んでいく。
「今の時間はなんだろう、食事は流石に食べ終わっている頃だろうし……鍛錬場で勝負でも始まってるのかも」
「でしたら、ギャラリーも沢山いるでしょうし。食事会に参加していない神族も皆そこに行っているとなれば、この不気味さの証明になりますね」
「あーあ私もやっぱり参加したかったなぁ」
ナルがため息を吐きながらそう言うと、エアリエルか首を傾げた。
「なぜですか?」
「ちょっとした興味ですよ。巨人族はお父さん以外に会ったことないですし、あまり話も聞かせてくれないし」
「以前、海に行った時もそう言っていましたね。巨人族は私も見たこともないのですが、やはり名前通り大きいのですか?」
「私も最初はそう思ってましたし、お父さんが通常サイズなのは神族になったからだと思ってたんですが、どうやら今は私達と同じぐらいの背丈らしいですよ。時代によって変わっていったらしいです。その代わり彼等の武器である己自身の筋肉はその分強くなっているようで」
「なるほど……あら、お湯がわきましたよナル様」
「ありがとうエアリエルさん。それじゃ、トレーに載せて持っていきましょうか。そうだ、ホズさん用に砂糖を」
「あ〜ら?」
そんな彼女達の前に、ある女が現れた。
「良かった〜、誰かいてくれて〜」
ねっとりとした声を出す彼女は頭の左右上で結った薄紫色の髪を可愛らしく揺らしながら厨房の中へと入り、二人の元へと近づく。
「実は私迷子になっちゃったのよね〜。鍛錬場まで案内してくれないかしら〜?」
「えっ、と貴方は……」
黒い服を身につけた見慣れぬ女の髪と同じ薄紫の瞳に見つめられながら、ナルはたどたどしく彼女にそう問いかけた。
「私? 私は巨人族の……あら、貴方」
「ッ--」
女は突然ナルの顔を両手で掴んだ。ナルは彼女の突然の行動とその顔を見て、体全体に鳥肌が立った。女は口が裂けてしまうんじゃないかと思うほどに笑っていた。
「この銀色の髪と瞳、美しいわね。銀色なんてなかなか持って生まれる色じゃないし……うふふ、コレクションに加えたいわぁ!」
「貴方、一体何をしているんですか!?」
女はナルの眼球を舐め回すかのように見たり、髪をさわったりと容赦なくナルを触りまくっている。女の突飛な行動に唖然としていたエアリエルがその女のその腕を掴む、も。
「ちょっと〜邪魔しないでちょうだい。腕、折っちゃうわよ」
唇を尖らせながら女は逆にエアリエルの腕を掴み、そこへ女性が持つ筋力とは思えない程の圧がエアリエルの手首にかかる。
今こそナルは自分の力を使いここから脱出するべきなのだろうが、彼女のナルの眼球を見る目はだんだんと鋭くなり、その威圧がナルの口を上手く動かせず頭が真っ白になりかける。
ナルは女の目を見ないようにする為に強く目を瞑った。
「もう、瞑らないでよ~。綺麗なんだからもっと見せて」
「おい」
と、女の背後に剣を向けるナリがそこにいた。声がいつもより低く、銀色の瞳は冷たく燃えて女を睨んでいた。
「二人から離れろ」
「あ~ら~、この子とよく似た顔の子。しかもこっちも綺麗」
「聞いてんのか? 離れろって言ってんだよ」
女は「おぉ、怖い怖い」と笑いながらナルとエアリエルから手を離した。女の手が離れると、痛む腕を確認しながら、エアリエルはすぐにナルを自分の方へ抱き寄せた。ナルは抱かれながら、ゆっくりと深呼吸をする。
「ほら、離したから剣を下ろしてちょうだいよ」
「まだだ。アンタ一体何者だ」
「私は巨人族のアングルボザ。ほら、名乗ったし私ここの客人よ? 失礼じゃないかしら?」
ナリは巨人族という事に驚きながら、剣を渋々下ろした。ニマニマと笑みを浮かべるアングルボザはナル達が用意していた紅茶やお菓子を一目見る。
「さっきホズさんって名前が聞こえたけれど、まさかあの盲目の神とお茶を囲むの?」
「アンタに答える義理はないだろ」
「あらいいじゃな〜い。ちょっとした世間話よ。ねぇ、貴方達はどうして盲目の神とお茶をするの? そういう役割なの?」
「役割って……俺達がやりたいからやってる」
「ん? 仕事じゃないの? 盲目の神とそういう付き合いをする役割とか」
「「違う/違います」」
そこで兄妹が声を合わせて強く否定する。
「ホズさんとは友達だから」
「だから自分達の持ってきた菓子や美味い紅茶を囲んで楽しむ。それが俺達の関係だ」
アングルボザは二人の言葉に口をポカンと開ける。しかし、すぐにそれは再び三日月型となり耳に鋭く突き刺さる甲高い声で笑いだした。
そんな女の様子に兄妹達はギョッとする。
「嘘でしょ、友達? 命令でとかじゃなく、同情からでなく、本当に心から友達だと?」
「何がおかしいんだ」
「だって、友達になってなんのメリットがあるの? あの、存在を消された哀れな神に」
アングルボザの言葉に兄妹達は耳を疑った。特に最後の言葉は。兄妹達の様子を見て女は「あぁ、知らないのね」と笑いを抑えつつ話し出す。
「盲目の神ホズ。彼は生まれつき目が見えない。だからオーディンは存在を消した。目の見えない不完全な者など、完全なる最高神である彼の息子ではないから。だから彼は実の息子をいないものとして扱う事にした」
アングルボザの話を嘘だと思いたかった兄妹だが、ホズにオーディンの前では自分の話はしないで欲しいとお願いされた事を思い出す。
これで、彼のそうお願いされた意味を理由を、彼等は知ってしまった。
「神族は皆知ってる事だと思っていたけれど、貴方達は知らなかったのね? 同情なんてされたくなかったのかしら。それもそっか。今や神族全員が同情の目で彼を見ているものね。何も知らない子が欲しかった……あぁ、なんて可哀想な--」
「アングルボザ」
今度は厨房の外から、そんな声が聞こえてきた。
皆一斉にそちらを振り向くと、そこには不機嫌な表情を見せるロキと二人の兵士がいた。
「と」
「ローーーキーーーちゃぁぁぁぁぁん!!」
「「「!?」」」
アングルボザと呼ばれた女は目に見えぬ速さでナリの前を通り過ぎて、ロキの元へと飛んで行ってしまった。
「ロキちゃん! 迎えに来てくれたの? うっれし〜! あぁ、やっぱり近くで見ると貴方のその瞳は本当に魅力的ね。舐めたらどんな味するのかしら!」
「うるさい、黙れ。たくっ、もうすぐ君の番だってのに帰ってこないからな。仕方なくだ。じゃあ、後は頼む」
アングルボザに冷めた態度をとるロキは、後ろに控えていた兵士にそう言ってアングルボザから離れ、兄妹の方へ一歩進める。
「え〜、ロキちゃんは一緒に来ないの〜?」
「うっさい。さっさと行け」
アングルボザは最後まで不満たらたらにぶつくさと言いながらも、最後に「じゃ〜ね〜、銀色の兄妹達。ロキは早く来てよね〜」と別れの言葉を告げ、兵士に連れられて厨房を去っていった。ロキはやっとうるさいのが居なくなったからか安堵のため息を零す。
「……父さん」
兄妹が見るからに気分が沈んでいるのを見て、ロキは「どうした、どうした」と笑顔を見せながら、兄妹の頭をぐしゃぐしゃになるまで撫でまくった。この時ばかりはナリも素直にそれを受け入れた。
「お父さん。さっきあの人が話してた、その……ホズさんがオーディン様から」
ナルが全部言い終わる前に、彼は目を細め、「……本当だ。ボクも最初聞いた時は驚いたさ」と、か細い声で言う。
そんな彼に、ナリは詰め寄る。
「なんで、なんで父さんもバルドルさんもホズさんも。なんでそれを最初に言ってくれなかったんだよ!」
「ホズが言わなかったんだろ? なら、ボクもバルドルも言わない。それがアイツへの礼儀みたいなもんだ」
ロキは詰め寄ってきたナリの頭を鷲掴みにし、またも彼の頭をぐしゃぐしゃに撫でながら「君等は稀に見る純粋さで優しいしなー。シギュンの血だな」と呟く。
「ナリ、ナル。ホズの為にも、まだ知らないふりをしていてくれ。そして、絶対に同情なんてするな。それがアイツの望んでることだから」
まだ隠されていた事に納得のいかない兄妹ではあったが、「……分かった」と言った。
それを聞いたロキは彼等の背後へと回って背中を押す。
「それじゃ行くか。あーでも湯が冷めたんじゃね?」
「うん、温め直さなきゃ」
「じゃ、その間に一つ菓子もーらい」
「「あー!」」
「えー、なんで!?」
そうして、ロキはここから反対側の端っこにある鍛錬場まで戻り、兄妹達はホズの元へと向かった。
ホズの部屋に着いて、兄妹はゆっくりと深呼吸をしてから部屋へと入る。
「「ホズさん、お待たせしました」」
笑顔で、知らぬ振りをして、今まで通りに事情を知らない友達となる。同情で付き合わない友達となる。
部屋で待っていたホズは。
「おかえり」
なぜか楽しい事があったかのように笑っていた。