6篇 傍にいること2


 二匹の灰色狼は軽やかにナル達の存在を無視して道のない所を走っていく。それを見失わぬように追いかける兄妹とエアリエル。そこでナリは走りながらもナルにある質問をする。
「なぁ、ナル。さっき言ってたフェンリルってあのフェンリルだよな? テュールさんの右腕を喰った巨人族の怪物兵器」
 巨人族の三大怪物兵器のうちの一つ、冷徹な氷の狼フェンリル。
 フェンリルは追放先の狼の国で過ごしていたものの、身体が神族の想像した以上に大きくなり過ぎた為に、再度神の国の牢獄に繋がれていたのだ。その牢獄へ繋ぐ為に、テュールは右腕を犠牲にしたのである。
「うん、そうだよ」
「なんでソイツに会いたいんだ? というか、いつの間にそんな奴と知り合いに?」
「兄さん、去年月に数回バルドルさんと稽古してたでしょ? それについて行った時に神の国を探検してて……そこでフェンリルさんに会ったの。暗い地下牢獄で」
「ナル様、よくそんな所に入れましたね」
「確か誰も見張りとかいなかった気がします。それで、その時は名前も何も知らなくて、ただ気になるなってだけ思ってて。それで友達になりましょうって私言ったの」
「知らなかったとはいえ相手はくそ大きい狼だろ? 友達になりたいだなんてすげぇな」
「だって……」
 そう言ってナルは顔を俯かせながら胸をギュッと握る。そんな仕草にナリとエアリエルは何か壮大な理由があるのかと、唾をゴクリと飲む。
 が。
「だって毛並みとかすごくモフモフそうで、仲良くなれたら触れたりしないかなって!」
「ごめん、さっきの発言は撤回する」
 妹の怖がらない姿に兄ながら尊敬の眼差しを向けたものの、それはすぐに目をキラキラさせて話す彼女の、ちょっとした欲望の発言により撤回された。
「それで。お友達にはなれたのですか?」
「いいえ。ちゃんとした返事は貰えず無視されました。でも、何度も行くうちに私の話に耳を傾けてくれるようになって……」
「あぁ、なんかいつも来る度ソワソワしてたのはそいつに会えるからか」
 兄の言葉に「そんなソワソワしてたかな、私……」とナルは額に皺を寄せる。
「でも去年の……この時期だったかな。いきなりフェンリルさんは何処かに行っちゃって、トールさんに聞いたらエッグセールさんがフェンリルさんを引き取って、狼の国に棲んでるって。その時にやっとフェンリルさんの名前を聞いて驚いたけど、お別れの言葉も言えずに行っちゃったから、なんだか寂しくて。だから会いたかった、あっ」
 ナルがフェンリルの事について話している間に彼等の視界に広場らしき場所が見えてきた。その中へと狼が走っていったため、ナル達もその中へと入った。
「「「おぉ……!」」」
 辿り着いた広場には多くの狼達がそれぞれ好きなようにくつろいでいた。どうやらここは、狼達の憩いの場であるようで、狼の家族らしき者達が何組も見える。それを見ていたナリとエアリエルを他所に、ナルはその周辺をくまなく目や首を動かし、探す。
「……いない。どっちも」
「いないって誰がだ?」
「「「っ!?」」」
 兄妹とエアリエルが背後を振り向くと、ナルの探していたあの男がいた。
「女、今日は一体何しに来た。礼などいらんと言ったはずだが?」
「礼は私からじゃなくて、ジャック・オ・ランタン夫妻。あの子供の親御さんからのです」
 ナルはクッキーの詰まった袋を男の顔に押し付け、受け取らないという拒否の選択肢は受け入れられない状態であった。そんな彼女の様子を見た男はとうとう折れて「分かった。受け取ればいいんだろ」と、クッキーをようやく受け取った。
「ちゃんと食べてくださいね」
「そんなに甘過ぎなかったらな。で、その隣が……貴様の兄か?」
「……ナリだ。妹が、世話になりました」
「……あぁ」
 突然不機嫌になったナリと睨み合う男。そんな彼等を見てナルはエアリエルに小声で問いかける。
「エアリエルさん。なんで兄さんは、急に不機嫌になったんでしょうか」
「ううん、これはそうですねぇ……兄としての妹を守る為の反応でしょうか」
「?」
 エアリエルの言葉を理解出来ないナルであったが、「そうだ」と声を上げ男に問いかける。
「あの、此処にフェンリルさんはいますか?」
 ナルかニッコリとした笑顔を見せてそう答えると、男は目を通常でも細く吊り上がっているというのに、それをより一層細くしてナルを見つめて、こんな質問をする。
「どうして奴に会いたい?」
 その問に、ナルは先程兄やエアリエルに話した事を再度彼にも話していく。
「フェンリルさんがこの狼の国へ行くってなった時、ちゃんとしたお別れの挨拶もしていなかったので……寂しくて。なのでこれを機に会えたらなと思ったんです。やっと暗い牢獄じゃない、太陽の下の明るく広い森の中で、どう過ごしているのかなって」
「……」
「それで、フェンリルさんは――?」
 ナルがまた男に問いかけようとすると、彼女の足元にナル達を連れてきたスコルとハティがじゃれついてきた。
「ど、どうしたの? 貴方達がフェンリルさんの所に連れて行ってくれるの?」
 ナルは狼達と同じ目線となり聞くも、彼等は唸ったりナルの服をある方向に引っ張ったりするだけであった。この状況を打破するべく、ナルは男に声をかける。
「この子達、私に何を伝えたいんでしょうか?」
 男は「ハァ……」と深い溜息を吐き、狼達をナルから引き剥がしながら。
「俺様がフェンリルだ」
「……………………はい?」
「だから、貴様の会いたがってるフェンリルはこの俺様だ」
 さらっ、と。彼は言った。
 ナルはその言葉を理解出来ずにいるのか、ただ目をパチクリとさせ、固まっている。そんな彼女に呼び掛けるナリ。そんな彼女の代わりに、エアリエルが男に話しかける。
「あの。一つよろしいですか? 話ではフェンリルは狼の姿であると聞きましたが」
「これはエッグセールが俺様にかけた魔法さ。収穫祭だの人が居る場所で、狼の姿は騒ぎになりかねんからってな」
 男はナルから一歩離れ、ゆっくりと大きく深呼吸をする。すると、彼の立つ地面から複雑な紫の光を放つ魔法陣が現れるとそれは紫の炎を生み出し、彼を包み込む。瞬く間に彼の姿は人型ではなく獣の姿へと変わっていき、ナルの背丈をも超えるほどに大きくなっていった。
 ちょうどナルが見上げる姿勢となった辺りで炎の動きが止まり、小さく弾け散る。その弾け散った中で彼は前足に忌々しい鎖を巻かれながらも、凛々しく佇む、青い毛並みとアンバーの鋭い瞳を持った狼の姿――フェンリルとなっていた。
「……っ!」
「うっ――」
「あ、ナル!?」
 ナルはすぐさまフェンリルの頭めがけて抱きつきにいった為、フェンリルは衝撃に備えられずよろめき、ナリが妹の突拍子もない行動に驚きの声を上げる。そんな男二人の慌てようなど知らず、ナルは幸せそうな顔をしてフェンリルの頭に頬を擦りつけていた。
「おい。俺様の了承も無く抱きつくな、離れろ」
「ナル、何やってんだよ……ほら、離れろ」
「だ、だって。一年ぶりに会えて。だから……だから、嬉しくて。でも、そうですよね。何も言わずに抱きつくのは失礼でした。すみません」
 ナリに剥がされたナルは照れ笑いを見せながら自分の想いを告げる。
そんなナルに今度はフェンリルがナルの傍へと寄る。
「女。俺様も――」
「はい、そこまで」
「っ。お父さん」
 ナルの肩を強く掴んでフェンリルから離れさせたのは、いつの間にかやってきていたロキであった。よく周りを見れば、エッグセールがフェンリルの隣で「甘いねぇ〜、フェンリル」と弄られていた。
「……フェンリル」
 ロキは少し怒気を含ませた低い声で、彼の名を呼ぶ。
「あ?」
「ナルはやらないからな」
「何の話だ、何の!」
「はいはいはい、ひとまず落ち着きなって。お嬢ちゃんに話す事があるんだから」
 いつ互いに飛びかかり合うかも分からない状況をエッグセールが鎮めさせる。
「あのエッグセールさん。私に話すことって」
「それは、あんたが使った不思議な力についてさ。ロキから聞いたが、あれから何にも出来てないんだって?」
「……はい」
 ナルはその事実に顔を暗くさせる。
 収穫祭が終わった次の日に、家族に自分の身に起こったことを話した。あの力の事も。しかし、あの時のようにお呪いを口にしても何も起こらなかった。お呪いを教えたシギュンでさえも、なぜそのような事が起こったのか分からないらしく、彼女は悩んでいた。
「あれはお母さんが子供の時に創った言葉らしくて、本当によく分からなくて」
「あー、落ち込まなくていいんだよ。こっからが本題なんだけども……お嬢ちゃん、あたいの弟子にならないかな?」
「弟子? なんのですか?」
「そんなの魔女の弟子に決まってるでしょうに」
「「ええっ!?」」
 エッグセールからの誘いに当人であるナルと何故かナリが驚く。
「エッグセールからナルのその力の憶測でしかないが話は聞いた。お呪いの言葉が分かるのなら、足りないのは魔力とそれを維持する精神力や体力。それがきっとナルには足りないんだと。折角そんな力があるんだ、手放すのも勿体ないだろ」
「精神力や体力はこれから身につけるとして、一番重要な魔力だけれど……まずは嬢ちゃんの魔力を安定せねばいかんな」
 エッグセールはナルの身体を上から下まで隅々と見ながら言う。
「安定、ですか?」
「そう。今の嬢ちゃんの魔力はまだ目醒めたばかりで不安定すぎる。な、の、で。魔力の強い者の魔力に触れ合ってもらう。強い魔力に触れる事によって、嬢ちゃんの魔力にも何かしら影響が起こるはずだからね。そこが安定への第一歩」
「な、なるほど。では、その手助けをしてくれるのはエッグセールさんですか?」
「それは……」
 エッグセールがフェンリルの背中を叩く。
「フェンリルだ」
 自分の名前が出たことにより、フェンリルは不機嫌な顔をする。
「エッグセール、俺様抜きで話を進めるな」
「あっはは、いいじゃないかー! 減るもんじゃないし。子狼の子守りの人版だと思えばいい。簡単じゃろ?」
「……はぁ」
 ニマニマと笑うエッグセールをジト目で見るフェンリル。そこから視線を変え、彼はしかめっ面のままナルを見る。
「貴様はいいのか?」
「いい、とは」
「だから。俺様なんかでいいのかって聞いているんだ。どうなんだ?」
 ナルは彼の鋭い目を真っ直ぐに逸らさずに、一歩前に出て、フェンリルの目を見ながら意思の籠った声で強く。
「……はい。私、この力を使えるようになりたい。それで兄さんやお父さんの役に立ちたい」
 突然自分の名前を出されたナリとロキが彼女の背後で互いに照れているのをエッグセールは微笑ましげに見ていた。そんな彼等をフェンリルも見て「そうか」と納得した表情を見せた彼はナルに対して顔を近づける。
「貴様の魔力が安定するまで、これからよろしく頼む」
 ナルは満面な笑みを浮かべながら、彼の顔に手を添えて自分の顔をくっつける。
「はい、フェンリルさん。こちらこそよろしくお願いします。改めて、友達として」
「それは断る」
「えー! なんでですかっ!?」
そんな彼女に、フェンリルは少し意地悪気な笑みを見せ、とても嬉しそうな顔をした。