5篇 悪戯が呼んだ目醒め2


「じゃ、そろそろバルドルさんとの稽古の時間だし行くな」
「うん。じゃあ、図書館のいつもの所にいるから」
 テュールとの仕事が終わり、部屋を出た三人。
 時刻は十五時すぎ。ナリはいつも夕刻にバルドルに稽古をつけてもらっているため、ほんの数時間兄妹は別行動をするのだ。
 ナリはナルに手を振り、エアリエルと共に鍛錬場へと向かって走っていった。
「――兄さんっ!」
「っ! なんだ?」
 突然大声を出して兄を呼ぶナルの声に驚くナリ。彼を呼び止めたナルは、伸ばした手を引っ込めて「いや……頑張ってね」と応援の言葉だけを言った。そんな彼女の様子や行動に違和感を覚えたナリだが、約束の時間も迫っていたため特に深く探ろうとはせずに「おう!」と元気良く返事をしてまた走っていった。
 ナルは彼の後ろ姿が見えなくなるまで見届けてから、大きく深い溜息を吐いた。
「あっら〜。すごい溜息ね」
「知ってた? 溜息って幸せを全部吐き出しちゃうのよ?」
「きゃあ!?」
 突如、自分の後ろから声がしたためナルは肩を飛びあがらせながら悲鳴をあげてしまう。声からして誰かなどとは明確なのだが、最終確認の為に後ろを振り向く。
「……いつのまにそこにいたんですか。トールさん、フレイヤさん」
「やっほ〜、ナルちゃん」
「ついさっきよ、ナル。気付かなかった?」
「全然」
「それもそうね。貴方、なんだか悩んでいるようだし。ねぇ、今からトールとお茶会するのだけれど、貴方もどうかしら?」
 そう誘われたナルは、ふとフレイヤの足元を見る。そこにはフレイヤが従えている白猫達がお茶会セットと甘い匂いを漂わせる籠を持って、立っていた。
「その猫、立つんですね」
「だって妾の猫だもの」
「いやそれなんの説明にもなってないですよね」
「もう。うちの猫達は、今はいいでしょう。で、どうするの?」
「……はい。ぜひご一緒させてください」
 ナルはほんの少しだけ笑みを浮かべながら、そう返事した。

 そして、他の猫がナルの分の食器やカップを取りに行っている間に、三人と猫二匹はトールの部屋へと向かった。
「さっ、ナルはソファに座ってなさい」
「えっ。私も何か手伝いを」
「いらないわよ。ほらほら大人しく座ってなさい」
 ナルは強制的にソファへ座らされ、トールが籠に入っていたシフォンケーキを三切れ均等に切る。フレイヤがポットを覗くと、その中身から多くの果物の匂いが部屋中に漂う。
 ようやく猫が帰ってくると、皿にはケーキをカップには紅茶を注ぎ、テーブルに置かれていく。猫達は役目が終わり床へと寝そべり、トールとフレイヤもソファへと座る。
「さて。妾が作ったホットフルーツティーと」
「アタシが愛情込めて作ったかぼちゃのシフォンケーキ」
「「どうぞ召し上がれ」」
 前から打ち合わせでもしていたかのように動きをつけながら声を合わせて、自信満々な笑みを浮かべるフレイヤとトール。そんな彼女達の様子に少しついていけていないナルであったが、ちゃんと手を合わせて「いただきます」と言う。
 初めにフレイヤの入れた紅茶に口をつける。飲んだナルの口の中には、その紅茶に染み込まれた果物の持つ香りが広がっていく。次はトールの作ったかぼちゃのシフォンケーキケーキ。フォークを刺すと生地がとてもふわふわしているのが分かり、それを口に入れれば生地のふわふわさと共にかぼちゃの甘みが溢れだしていく。
「……美味しい」
 ナルは幸せそうな笑みを見せると、フレイヤとトールは「当然」と言った顔をする。
「で? 一体何があったの?」
「お姉さん達に教えてくれないかしら?」
 二人にそう問われてナルは少し躊躇うも、先程の出来事――収穫祭でお互い神の国と人間の国とで別の場所で仕事をする事。そこで兄が、自分がもし何かに巻き込まれてもどうする事も出来ないから心配だ、と言われた事を話した。
「兄さんには大丈夫だよって言いたかったんですけど、戦う力も武器も無い私は何も言えなかったんです」
「まぁ、フレイヤや戦乙女は例外として。女性、うちだと女神は祈る者として存在する。誰かが自分達のことを想ってくれているのだと思えば、戦いでいつも以上に力を発揮できる。守るものがあるからこその力。だからナルちゃんが戦う力も武器も無いことを、そこまで悲観する事ないのよ? 貴方もそちら側で祈ってさえくれればナリ君やロキも頑張れるはずよ」
「……」
「そうも落ち込むってことは……ナル、貴方も戦う側になりたいの?」
 フレイヤの問いかけにナルは顎に手をかけ、考える素振りを見せる。
「……誰かを傷つける事に理由があったとしても、私は嫌です。でも大切な人が傷ついてしまうなら、私は大切な人を守りたい。傍で助け合いたいんです。大層な力はいらないから」
 ナルの答えにフレイヤは「なるほどね……」と少し悩ましげな顔をする。
「まぁ、反対はしないわ。妾だってフレイ兄様の役に立ちたいと思ったからこちら側に来た。でも、貴方は……」
 フレイヤが言葉に詰まる。
「ナル。今から言うことは、決して貴方を貶してるわけじゃないとだけ言っておくわよ。……今貴方が話した事は、夢に過ぎないわ。夢を語るなら誰でも出来る。でもそれを実現するには力が必要。でも貴方にはその力が無い。前にも同じ事言ったわよね」
「……」
「ごめんなさいね。貴方の思いは応援したいのだけれど、現実を考えたらって話で」
「分かってます。これが机上の空論なんだって」
「あら、難しい言葉知ってるのね」
「図書館の本にそういう言葉が集まった本があったので覚えてるんです」
「勉強熱心ね〜」
「トール。話を逸らさないで」
「あら、ごめんなさい。……アタシが思うにはね、ナルちゃんにもナリくんの視える目みたいな秘められた力ってのがあるかもしれない、な〜んてっ!?」
 トールがそんな確証もない事を話しだしたため、フレイヤがその首根っこを掴んでは「なに変に期待させるような事言ってんのー!」と小声で怒鳴る。そんな彼女に対してトールは泣きそうな目をして「ごめんなさ〜い!」と謝った。
 そんな彼女達の様子にナルは「ふふっ」と笑う。
「ありがとうございます。トールさん、フレイヤさん。こうやって話せて、少しスッキリしました」
「……そう。ならいいのよ」
「ナルちゃんがよければ、またこうやってお茶会をしましょ! ナルちゃんの好きなお菓子を聞いておきたいわ」
「紅茶も。好きな茶葉があるなら聞いてあげなくもないわよ?」
「……はい」

◇◆◇

「そう、フレイヤさんとトールさんが」
 その夜。ナリとロキが寝てしまった頃。
 ナルは母親シギュンにホットミルクを飲みながら今日の事を話した。
「いいお友達が出来て良かったわね」
「うん」
「……ナル」
「ん?」
「ごめんなさい」
「えっ?」
 シギュンが突然悲しげな顔をしてナルに謝った。ナルは母親がなぜ自分に謝っているのか分からず、首を傾げる。
 そんな彼女に、シギュンは「覚えてないかしら?」と昔話を持ち出す。
 昔、神族内で力自慢大会なるものがあったらしくそれを遠目で見ている際に兄妹が「自分達もあんな風に戦えるのか?」とシギュンに聞いたらしい。しかし、彼等が生まれ持って魔法が使えないと分かっていたためシギュンは言葉を濁すことなく「出来ない」と言ってしまったのだ。それに対し、ナルが泣き出してしまったのだという。
「え、私泣いたの? なんで?」
「力がないことに泣いてたわよ」
「えぇ……記憶に無いよ……」
「ふふっ。まぁ、そこでね私無責任に『ナル、貴方にもきっと持つことが出来るわ』って言っちゃったのよね。お呪いと一緒に」
「おまじない?」
「えぇ、お呪い。もう一度教えてあげよっか」
 シギュンは立ち上がり、ナルの頭を優しく撫でる。
「大切な人を守りたいなら【エイワズ】、その人の光となりたいなら【ウンジョー】、その人を止めたいのなら【ナウシズ】、その人を癒したいのなら【イサ】。これだけでも覚えていてちょうだい」
 そう言って、彼女の額にキスをし。
「さぁ、もう寝ましょう。明日から忙しいでしょ」
「うん。おやすみなさい、お母さん」
「おやすみなさい、私の愛しい娘」