兄妹はヴァルハラ神殿の前へと立ち、ゆっくりと深呼吸をしてから、その扉を兄妹一緒に開ける。
扉を開けると、最初に目に入るのは真ん中に二階へと繋がる純白の大きな階段がある大広間だ。そこでは翼を持った戦乙女や兄妹と同じ軍服を着た神族達が世間話であったり、仕事の話か何やら書類を眺めながら難しい顔をしている。
兄妹が扉を閉めると、その音に気付いた大広間にいた者達が、そちらへと少しだけ目をやり、その目をすぐに目玉が飛び出そうな程に大きくさせる。
兄妹の存在に気付いたからだ。
兄妹を見た者達は、初日の兄妹達に声をかけるなんて事もせずに、ただただ彼等を見てヒソヒソと仲間内で話すだけであった。
その空気は先程までとはうって違い、兄妹を凍らせてしまうほどに冷たいものであった。
それを見た兄妹はその視線と何を話しているか分からない……いや、兄妹は内容に関してはだいたい予想はついていた。それを考えないようにそんなヒソヒソ声に耐えながら真ん中を通り、二階へと登って彼等の視線が無くなる角を曲がる。兄妹が見えなくなると、その場はまた彼等の憩いの場として温もりが蘇る。
兄妹をそうやって冷たい目でしか見ていなかった中に、ただ一組だけは兄妹を好奇の目で見ていた。
「「アレが……邪神の子供」」
◇◆◇
「「つ、疲れた」」
曲がり角に入った瞬間、兄妹は重い空気を肩に担がされたかのように勢いよくドサッと床へ座り込んだ。その顔は、とても青白くなっている。
「昨日はバルドルさん達が気を使ってくれてか誰も神族が居なかったから良かったけど……やっぱり心の準備しといて良かったな」
兄妹は自分達がどういう目で神族達に見られるかは重々承知であった。なぜなら、自分達は、神族に嫌われている元巨人族である邪神ロキの子供であるからだ。
「うん。……でも、これが毎日と考えたら」
兄妹は先程曲がった先を目線だけ寄越して、すぐに逸らし、大きく溜息を吐いた。
「お父さん、辛くないのかな。お父さんはずっとあんな冷たい目で見られて……出ていこうって考えなかったのかな」
「前にバルドルさんに聞いただろ。『鬱陶しいけど、どうでもいい』。あの時は力を見せつけたらいいだろって思ってた。でも、今聞くとさ。父さんは慣れたというより諦めたって感じだな。だってあんなの、力見せつけたって話をしようたって、無理だよ。あの感じじゃ、向こうが歩み寄ってくれなさそうだ」
「嫌われてる理由が、元巨人族であるから。あとは……皆が崇め尊み愛する最高神オーディンの傍にいること。多分、後者は嫉妬だね。なんで醜い巨人族がオーディン様の隣に居るんだ、ってね」
「それこそ、オーディン様の隣は私が相応しい! って言って父さんに勝負すればいいんだ。そんで無様に負ければいい」
「あはは、私も同意見」
先程よりも少しだけ表情が明るくなってきた兄妹は揃って立ち上がり大きく伸びをする。
「よし、そろそろ行くか。流石に初日に遅刻は駄目だもんな」
「そうだね。えっと、確かこのまま真っ直ぐ進んで四番目の部屋に私達の世話係って方がいるって」
「世話係、なぁ。さっきの奴らみたく冷たい目で見てこないといいな」
「そうじゃない事を祈ろう」
そうして兄妹は足並みを揃えて、その世話係の待つ部屋へと緊張な面持ちのまま向かう。
そして、その部屋の前に辿り着く。
兄妹は互いに顔を見合わせ、先程の神殿の扉を開ける時のように深呼吸してから、部屋の扉をノックする。
ノックした扉の先から「どうぞ」と優しげな声がした。それを聞いた兄妹は、今までの緊張を少しだけ解き、「失礼します」と言ってから扉を開ける。
「やぁ。君達がナリ君とナルさんだね」
入ってきた兄妹にあたたかく笑いかけたのは、さらさらな黒髪に優し気な青緑色の瞳をした右腕の無い男性であった。男性は左手に持っていた書類を机へと置いてから、改めて兄妹の前に立つ。
「はじめまして、おれは貴方達の世話係になる勝利の神テュール」
兄妹は互いにテュールに対し挨拶をすると、ナルがふと思い出したかのように話し出す。
「テュール……確か、元々は兵士である事がきっかけで神族へと迎え入れられたっていう。その失った右腕とも関係が」
「その通り。まっ。おれの事は今はいいさ。これから仲良くやっていこう」
テュールはその優しい笑みのまま、兄妹に握手を求めた。
その求められた手を、兄妹はまじまじと見つめる。そんな行動をする兄妹を見て、テュールは首を傾げながら兄妹に尋ねた。
「えっと……どうかした? もしかして握手は嫌? 潔癖症だったりするの二人共」
「いや違います! ……その、ちょっと驚いたというか」
「温度差にやられてしまったというか……」
テュールは首を傾げたままであったが、ふと何か思い出したのか「あぁ、そういう事」と納得した表情を見せる。
「もしかして、ここに来るまでに他の神族達にいじめられちゃった?」
「いえ。直接何かされたという訳ではなくて、ただ冷たい目で見られただけで」
「だから俺達また冷たい感じで接せられるのかなって思ってて……すみません」
兄妹は一緒に頭を下げてから、それぞれテュールに向けて手を出した。
「「こちらこそ、よろしくお願いします。テュールさん」」
「……」
今度はテュールが兄妹を見る番であり、彼の手は兄妹の手……ではなく頭へと持っていき、思いっきり兄妹の頭を撫でまわす。
突然の行動に目を見開いたまま固まる兄妹だが、慌てて自分の頭から彼の手を離す。
「なっ、なんでイキナリ頭なんて!?」
「お父さんみたいな事しないでくださいよ」
ナルがそう言うとテュールはフフッと小さく笑みを浮かべる。
「ごめん。君達を見てるとつい頭を撫でたくなっちゃって……そうか、あの邪神も頭を撫でるのか。でも、撫でてしまうのも分からなくもない」
「……あの、テュールさんは父さんのことをどう思ってるんですか?」
ナリの唐突な質問にテュールは「ロキの事、ねぇ」と考える素振りを見せる。
「最初はもちろん……君達には悪いけれど、醜く憎いおれ等の敵である巨人族であった邪神ロキを嫌っていた。けど……ある時に君達家族がこの神の国に遊びに来ていたのを見た事があってね。その時、君達とロキが一緒に笑い合って話している彼の姿を見た」
テュールは目を閉じ、瞼の裏でその光景を思い出す。
彼は部屋へ向かっている最中の曲がり角で、楽し気な話し声を耳にした。その声の主がよく分からなかったため、その曲がり角から誰と誰が話しているのかを見る。
そこには、彼が予想していなかった者の姿があった。邪神ロキとその家族が楽し気に話している姿だ。
噂で彼の家族の話は聞いていた。彼の妻はおそらく人間族だと言われているが、その美しさは女神達をも超える物を持っており、世にも珍しい銀の髪と瞳を持っている。その子供達も遺伝で髪と瞳が銀色の双子であった。その三人をロキはとても愛しているらしい、と。
そんな話を思い出しながらも彼は嫌なものを見てしまったなと思い、部屋への道を遠回りしようと進もうとした。が、今まで嫌っていたロキの顔は妻と子供二人を見るその瞳がとても、優しく愛おしいものを見る今まで見た事の無い瞳をしている、とテュールは感じ取った。
「……それを見て、おれは思った。ロキの事を自分は何も知ろうとしてなかったんだな、と。これからは元巨人族である邪神ロキ、ではなくただのロキとして彼を見るべきだと。そして、少しだけ君達に興味が出来た」
「私達に、ですか?」
「彼の愛する者がどんな子達か見たくなってね。だから、世話係にならせてもらえるようにバルドル様に頼んだんだ。バルドル様は君達やロキが他の神族と繋がりを持つのが嬉しいのか、快く許可してくれたよ」
「そんで、今に至るってわけですか」
「そういうこと。それじゃあ、世間話もこの辺にして仕事の話をしようか。まず、神族の仕事については知ってる?」
「はい。それならホズさんに聞きました」
「昨日、ホズさんと一緒にこの世界の事と神族の仕事についての話をしてくれたんですよ」
「なんだ、君達ホズ様ともう知り合いだったのか」
「そっ、友達になったんですよ俺達」
ナリが自慢気にそう言うと、テュールは友達という言葉に驚きながらも「それは良かった」と安堵の表情を見せた。
「それじゃあ、早速見習いとしての仕事を――」
「「邪魔するぞ!」」
テュールが仕事の説明をしようとした瞬間、部屋の扉が乱暴に開かれる。その開かれた扉の方へ皆顔を向けると、そこには顔のよく似た男女がいた。
「「勝負だ! 邪神の子供!」」