「「起ーきーろー!」」
二つの声が寝台で眠る橙髪の男の耳元に向かって、鼓膜を潰さんばかりに叫ぶ。男はもう少し寝ていたい気分なのか「ううん」と唸るだけだ。それでも、それはこの二人の怪獣がいるせいで叶わないらしい。
「今日は神の国でお茶会だよ! 起きてよ《《お父さん》》!」
「起きろよ《《父さん》》! バルドルさんやホズさんが迎えに来てくれるんだから!」
執拗に男の身体を揺らしながら、耳元で叫び続ける二人の怪獣。
「「ねぇ」」
「あー! 分かった! 分かったから耳元で叫ぶな! 鼓膜を本気で潰す気か! 《《ナリ、ナル》》!」
男がその怪獣二人の名前を叫ぶと、銀色の髪と瞳がよく似合う兄妹が「やっと起きた」と笑う。その笑った動きに合わせて、二人の耳元に飾られた緑のイヤリングが光って揺れる。
「「おはよう、父さん/お父さん」」
「ん、おはよう」
兄妹は男への挨拶と起こすという任務を終えると、仲良く一緒に階段へ降りていった。下の階で、「起こしてきたよ」と兄妹は誰かに報告する。
美味しそうな匂いが下の階から開け放たれた扉へとやってきて、男の鼻に嗅がせる。男は一度大きく伸びをしてから、少しハネた髪を櫛で梳かし、三つ編みにくくっていく。
くくりながらふと、不思議な感覚におちいる。
《《何かを忘れている》》。
けれどその何かが分からず、うんうんと唸りながら下へと降りていく。
そして。
「おはよう、ロキ」
心地の良い愛しい声が男の名を呼んだ。
台所に立つ彼女は、子供達と一緒に朝御飯の支度をしている。今日も一段と、彼女の銀色の髪と瞳は綺麗だった。左手の薬指にある指輪も、一段と輝いている。
「おはよう、シギュン」
ロキはそんな彼女に笑いかけた。先程まで悩んでいたことなど忘れて。
◇◆◇
そうして朝御飯を食べ終えてから、ちょうど。外から馬の鳴き声が聞こえてきた。兄妹がシギュンの手伝いで皿を洗っている最中だというのに、扉へと一目散に駆け込んでいく。
「「おはようございます!」」
「おはよう。ナリ君、ナルさん」
「おはよ」
兄妹が扉を開けると、そこにはバルドルとその後ろに隠れるようにホズが居た。
「バルドル、ホズ。おはよう。ほら、手伝いは最後まで」
「「はーい」」
ロキがそれぞれ挨拶を交わす四人の元へ近付き、兄妹をその場から退かせる。
「それで? 来るの早くないか? 予定した時間よりも一時間も早いぞ」
「ロキがちゃんと起きてるか心配だったから早めに来てみたんだが。要らぬ心配だっ
たようだね」
「君なぁ……で、ホズ。話は変わるけどよぉ。君いい加減その前髪は何とかならないのか?」
ロキがホズの見てる側からしたら鬱陶しく思える、目が完全に隠れた前髪を指摘する。
「目が見えないんだし、別に隠れても隠れていなくても同じでしょう」
「そうだな。私もそろそろ切ったほうがいいと思うのだが……」
「えっ。兄様までそんな」
兄にも指摘され、ホズは見て分かる程落ち込んだ。
「じゃあシギュン達が身支度している間に、君のその前髪切ってやる」
ロキが彼の腕を掴み、家の中へと強引に連れ込む。
「そんなのいらなっ! ちょ、離してって!」
「私もロキの意見に賛成だ。いい機会だし、切ろうか」
そう言ってバルドルも抵抗するホズのもう片方の腕を掴む。なんだか彼も楽しそうだ。
「いい機会なわけないでしょう! 兄様までロキと一緒に楽しもうとしないでくだ
さい! というか、二人は誰かの髪を切ったことが!?」
「「ない」」
「お願いだから離してください」
ロキ達に引っ張られないよう、床に踏ん張るホズに苦笑いを見せるロキとバルドル。
「そうだ。ついでにナリもその髪切るか」
「はぁ!? なんで!」
ロキの提案に、ナリは彼に向かって怒気を含ませた声を出す。ナリの髪は背中の半分を隠すほどある。その長さはロキの髪と同じ長さになるのも後少しだろうか。
「いや、伸びてきたな~って思って……なんだ、伸ばしてるのか?」
ロキがそう聞くと、ナリはふてくされながら「そうだよ、悪いか」と自分の髪を撫でる。後ろにいるシギュンとナルはそんな彼を微笑ましく見ている。
「悪くはないけど……」
「じゃあ、僕が前髪を伸ばしているのも悪くないよね!」
「「それとは別」」
「なぜナリとナルさんまで言われなければいけないのか……」
◇◆◇
ホズの前髪断髪式は駄々をこね続け時間オーバーとなり、決行は次回となった。
そうしてロキ達はトール主催のお茶会に向かうため、バルドル達の乗ってきた馬車に乗って神の国へと向かう。空は雲ひとつ無い快晴で、最高のお茶会日和であろう。
目的地はヴァルハラ神殿の近くにある広場。そこは既に主催のトールの手によって豪華に装飾されている。多くの丸テーブル、真ん中には沢山の菓子が置かれた長いテーブルがあった。恐らく、あの菓子の大半はトールの手作りだ。
ロキやバルドル達の到着に、既に広場に集合していた神族達が彼等に挨拶をする。それらに挨拶を返していると、ある者達がロキ達に近づいてくる。
「いらっしゃーい! ロキ、シギュンさん、ナリくん、ナルちゃん!」
その中で、フリルが限界まで付けられたエプロンを付けたまま登場したトールと。
「やっ、皆」
「ようやく来たか」
「待ちくたびれたわよ」
フレイ、フレイヤ、テュールが、ロキ達の目の前に現れた。
「本日は招待してくださって感謝します、トールさん」
シギュンがそう頭を下げながら挨拶すると、トールは大袈裟に手を振る。
「いいえ、そんな! あたしは皆で楽しみたいからしているだけですし! そうだ、ナリくん。貴方に特別ゲストをお招きしてるわよ~」
「え? 俺に?」
「ナリ様!」
「わっ!?」
トールと話していたナリの背後から、黄緑色の髪と瞳を持つ女性が抱きついてきていた。
「エアリエル!? なんでココに……」
「もちろん、ナリ様に会いに決まってます!」
「あーもー、ひっつくな! 恥ずかしいだろ!」
エアリエルに抱きつかれて頬を赤らめるナリに、周囲にいた者達があたたかな目であったり、ニヤついたりしながらも見守っていた。ロキを除いて。
「ナリ。その子は、一体……」
「え? 父さん何言ってんだよ。エアリエルだろ? まだ寝ぼけてんの?」
《《エアリエル》》。ロキにとっては聞き覚えの無い、いや、どこかで聞いたような名前でしか、ロキには認識が無かった。
「さぁ、ナリ様! 一緒にお菓子巡りをしましょう!」
「ちょ! 待って! 引っ張らなくても行くから!」
「余達も行くとするか。ホズ様もいかがかな」
「うん。兄様行ってきます」
「あぁ、行っておいで」
ナリとエアリエルと共にフレイとホズが、お菓子が沢山置かれているテーブルへと向かっていった。そんな彼等を見てフレイヤは「妾達も行きましょうよ」とナルの腕を引っ張る。
そんな彼女達を、トールは「そうだナルちゃん」と呼び止める。
「今度あたしの家にいらっしゃい! 私の友人が服作りを始めてね、モデルが欲しいっていうのよ! その服のモデルにナルちゃんなってみない?」
「私でいいんですか?」
トールの誘いに目を輝かせるナル。その隣にいたフレイヤは「ナルばっかりずるい! 妾も!」と頬を膨らませる。
「もちろん、フレイヤもいらっしゃい。ロキもシギュンさんもいいわよね?」
「えぇ、もちろん。可愛い服着させてもらえるといいわね、ナル」
「うん!」
「《《また》》沢山着させて疲れさせなきゃな。……」
ロキは自分の発した「また」という言葉に疑問を覚えた。
「さ、甘いお菓子を求める乙女達、調理人直々に作品を案内してあげるわよ」
「あっはは、なにそれ。まぁ、自信作をぜひ味合わせて頂戴ね」
テーブルに並ぶお菓子達を見ながら楽しく話すトールとフレイヤ。そんな彼等の傍で、ナルはテュールの隣へと行き、コソコソと何かを話しだす。テュールから何か嬉しい事を聞いたのか、ナルは顔を緩ませ、ロキとシギュンの元へと走り寄ってくる。
「どした?」
「お父さん達には先に伝えとこうと思って。後で、お菓子を持ってフェンリルさんの所に行ってくるね」
「え、フェンリル?」
ロキが戸惑いながらも、シギュンは微笑みながら「本当にナルはフェンリルが好きね」と言うと、ナルはその言葉にほんの少し照れながら小さく頷く。そんな照れている姿を隠すかのように、ナルは走ってフレイヤ達のところへと戻っていった。
シギュンがナルに手を振る中、ロキはなぜナルがフェンリルと知り合っているのかと記憶を辿っていく。
そこで、彼女とフェンリルが出会った場所を思い出す。
「そうだよ、二人は巨人の国、で……」
そこでまた、ロキの中で不思議な感覚に陥る。ロキは思い出そうとする。記憶の奥底を掘り起こす。
忘れてはいけない、何かを――。
「ロキ」
「……シギュン」
ロキは虚ろになりかけた目で、シギュンの顔を見る。彼女と目が合い、手を優しく繋がれる。彼女の笑顔は暖かいものであったが、その手は、とても冷たかった。
「少し、あのお菓子達を見ていきましょうか。オーディン様への挨拶はその後にでも」
「あぁ、そう、だな」
シギュンにそう言われ、バルドル達の元から離れ、二人っきりで並べられた菓子を見る。彼女が色とりどりの菓子を見てロキに話しかけるものの、ロキの頭の中には入っていかなかった。
自分が一体何を忘れてしまっているのか。
思い出せ、思い出せ、思い出せ。
彼の頭の中にはそれしかなかった。
思い出さなければいけない。
決して忘れてはいけないものだと分かっているから。
「……なぁ、シギュン」
「ねぇ、ロキ」
けれど、その場で立ち止まったシギュンが、ロキの手をギュっと強く握ったため、彼の思考は全て彼女へ向けられる。
「幸せね。そう思わない?」
「……あぁ、そうだね」
ロキは彼女が笑いながらそう言うため、同じように笑顔で言葉を返す。
ナリとナルがいる。
シギュンがいる。
最愛の家族がいる。
朝からおはようと言い合える。
これほど、幸せなことはないだろう。
「幸せだよ。とても」
「えぇ、そうよね」
幸せだ。とても、とても。
『ロキ。君がこの夜を終わらせるんだ』
だからこそ。
『■■■■■■。って』
「もういいんだ、シギュン」