8篇 語り部の変えたかった運命3


 むかしむかし。
 世界樹という存在が、数多の世界というものを生んだ。世界樹はそれを平等に見守るべく、自分の分身を作り、それぞれの世界に解き放つ。動けぬ自分の代わりに、その世界の日々を書き留める役割を持つストーリーテラーという存在を。その存在には感情がなく役割だけを全うする操り人形でしかなかった。そして、この世界――ユグドラシルにもストーリーテラーは現れた。世界樹と容姿が似た、銀色の長く艷やかな髪と銀色の瞳をした女性。
 名をウーヌスという。
 ウーヌスは世界樹の望むように、毎日ユグドラシルの様子を書き、報告した。
 そんな彼女だが、一つだけ由々しき欠点があった。好奇心という邪魔な感情があったのだ。ストーリーテラーはただ、その日あったことだけを書き留める存在。それ以外の行動など、無意味であると認識するはずなのだ。その行動を無意味だと思わない彼女であったが、生みの親であるお母様に嫌われないように、その感情を消そうとした。

 そんな時、ウーヌスはある男を助けてしまう。これもストーリーテラーにはいらない優しさという感情だが、彼女はその男を助けずにはいられなかった。助けた男は彼女の珍しい銀の髪と瞳を見て興味を持った。
 しかし、彼女は思い出す。お母様との約束を。

『この世界の者に、存在を明かしてはいけない』

 ウーヌスはその約束を守るために、男から逃げ続けたのだが、男も諦めが悪く、どこに居ても彼女を見つけ出していた。男の執着さに疲れた彼女は、ちゃんと男と向き合って話すことにした。
 自分は何も貴方に教えることが出来ないのだと。それでも男は諦めず、彼女にこう言ったのだ。
「君は、何に縛られているの?」
 ウーヌスは男の言っていることが分からなかった。自分が、一体何に縛られているというのだろうか。と、彼女は頭を悩ませた。どうやら男は、彼女が本に何かを書き、何か聞きたそうな知りたそうな顔をしながらも諦めて帰る姿を見てそう思ったらしい。けれどそれは、お母様に嫌われてしまう、ストーリーテラーには必要のないものだから。
「だから考えてみたのだけれど……好奇心をさらけ出す自分を作るのはどう?」
 唐突な提案だった。そして彼女は思った。この男は頭のどこかがおかしいのだと。
「その不審そうな顔、もしかして頭がおかしいだとか思ってない? いたって真面目に話してるんだけど? で、話に戻るけど。本当の自分をさらけだせる者になればいいってこと。その別の人物として振る舞えば……って、そんな簡単な話じゃない?」
 本当に、頭のおかしい方だとウーヌスは思った。しかしその半面、面白い方だと思い、胸が躍るような不思議な感情を覚えた。先程から彼女の中で不必要なはずの感情が溢れ出している。
 彼女は考えた。
 この男についていけば、その感情の意味を知っていけるだろうか、と。ウーヌスは男の考えに賛同すると答えると、男はとても喜んだ。そして、彼女の名前を聞こうとしたがそれも教えられないものなのだと思い出すと、男は新しく彼女の名前を考えた。
「シギュン。意味は戒めをゆるめるもの。これからの君にピッタリだと思わないか?」
 ウーヌス、いいやシギュンは自分の新しい名前に嬉しさを噛み締める。
 口が上に上がる感覚があった。
 そんな彼女に、男は「なんだ、笑えるじゃないか」と言う。
 そしてシギュンは男にも尋ねた。貴方の名前はなんというのか、と男は太陽のような笑みを浮かべ、名乗った。
 「ボクはロキ。よろしくな、シギュン」

 それからシギュンはロキと共に過ごしていくにつれ互いに惹かれ合い、子供を二人生んだ。
 シギュンによく似た、銀色の髪と瞳の双子の兄妹。
 兄をナリ、妹をナルと名付けられた。
 今まで世界樹にこの事を隠していたシギュンは、兄妹をお腹に宿した時、世界樹に報告した。
 自分の中に命が宿った、と。
 世界樹は怒った。世界の者とそれを見守る者が関係を持つなど、と。しかし、新しい命を無下には出来ないからと世界樹は二人の関係を許したのだ。その代わり、罰としてストーリーテラーの役目から降ろされることとなった。
 それからというもの、シギュンは母親として家族との日々を過ごしていった。

 しかし、そんな彼女に家族に、絶望の幕開けの報せが届けられる。
 夏至祭の日。
 光の神バルドルが何者かに殺されてしまったのだ。彼を唯一殺せるヤドリギの木を使って。その犯人は一体誰だと神族は騒ぐも、すぐに犯人は決まった。
 邪神ロキ。
 神族一の嫌われ者が神族一の愛されし者を殺したのだと。
 ロキは反論した。自分はバルドルを殺していない。何かの間違いだと。しかし、彼の言うことを信じる者がこの中に居るわけがなく、理解者であったオーディンでさえも彼を守ろうとしなかった。ロキの死刑が決まり、神族はようやく嫌われ者が居なくなると喜んでいた。
 その神族の一人が、一つの余興を提案した。邪神ロキの子供を殺してしまおう、と。自分達の光であったバルドル様を殺した罪は、死刑だけでは許されない。もっと苦しまなければいけないのだ、と。
 その提案に賛成した神族は、邪神ロキとシギュンの子供、ナリとナルが神族に誘拐される。連れてきた所で、また神族の一人がこう提案した。普通に殺すのも面白くない。どちらかを狼に変身させ殺し合わせるのだ、と。その提案もまた賛成という言葉が飛び交い、妹のナルが狼に変身させられる。
 変身させられた妹は自我を失い、兄を襲った。兄は剣を持たせられていたものの使えず、妹の手で殺されてしまった。ようやく正気に戻った妹は、兄の無残な死に姿を見て慟哭する。
「ごめんなさい、ごめんなさい」と何度も謝った。そんな彼女は神族から逃れるものの、兄を殺したという罪に耐えられず、死を選んだ。
 自分の子供が死んだ。そんな報せを聞いた邪神ロキは、愛する子への涙を流すよりも、神族へ怒りの感情を爆発するよりも、ロキは彼等を軽蔑した。
 なんてくだらない奴等なんだろう、と。
 そして邪神ロキは神族に復讐を誓ったのだ。しかし、シギュンはそれを許さなかった。子供を失い、最愛の夫まで失ってしまったら自分はどうなってしまうのか、と。
 そんな彼女に彼はこう約束した。
「必ず帰ってくるよ。だから待っていて……シギュン」
 しかし、彼が彼女の名前を呼んだのはそれが最後となった。

 神々の黄昏《ラグナロク》により、世界は終焉を迎える。
 彼女は真っ赤に燃える空に多くの死者の血に染まる大地に、まるで一面に紅い彼岸花が咲いている世界に、悲痛の叫びを向ける。
「うそつき」
 彼女はもういなくなってしまった彼に言った。

 帰ってくると言ったのに、どうして貴方は帰ってきてくれないの。
 私が愛した、愛してくれた家族は、もうどこにもいない。
 どうして、どうして、どうして。
 私はただ愛していたかっただけなのに。
 なぜこんな運命を受け入れなければいけないのか。
 もっと、もっと、もっと貴方達と一緒にいたかったのに。
 愛していたかったのに。
 いずれ貴方達は新しい命として新しい世界で生きるでしょう。でも私たちがまた家族として生きる事なんてありえない。
 私はずっと貴方達と家族でいたいのに。
 そこで彼女は考えた。

 やり直せばいいのだと。

 この運命から逃れるために、家族とずっと幸せでいるために。
 運命を変えてしまえばいいのだ。
 感情は時に力になる。
 家族に会いたい、家族と幸せでありたい、家族と愛し合いたい。
 それが彼女の力となり、運命は何度も何度も繰り返される
 何度も何度も、幸せがずっと続く運命を見つけるまで。
 自分が壊れかけているのにも気付かずに。