8篇 語り部の変えたかった運命1


「ロキさん、です、よね」
 ナリとバルドル、ロキがヨツンヘイムへと向かう中。ナルの問いかけに、黒ローブの者は乾いた笑いを出し、その黒いフードの中から赤い瞳を光らせる。赤い瞳に見つめられ、一瞬怯んだナルだが、負けじとその眼を見続けた。
 黒ローブが答えを出す前に、彼女の隣にいたフェンリルが謎を投げる。
「ロキだと? 俺様は昔、奴と何度も会ったことはあるから分かる。アイツとロキとじゃ、声からして違うだろ」
 フェンリルの言葉にナルは「それは、そうなんですけど……」と躊躇いの言葉を口から漏らす。そんな彼女に、黒ローブが声をかける。
「声が違うと分かっていながら、どうしてロキだと?」
 黒ローブからの問いに、ナルは「これは、ただ、なんとなくでしかないんですけど」と前振りをし、黒ローブに対してこう言った。
「貴方は、ロキさんの雰囲気に似ている。そう感じたから。ただ、それだけなんです。でも」
「でも?」
 ナルは一呼吸おき、黒ローブにこう言い放った。
「今こうして貴方と話して、少し分りました。貴方は、ロキさんに似ているけれど、ロキさんじゃない。ロキさんであって、そうじゃない何かである、と」
 ナルの出した答えに、フェンリルは首を傾げ「何言ってんだコイツ」といった目でナルを見るも、当の本人である黒ローブは「なるほど」と彼女に拍手を送る。
「やっぱり、君は。あの子の血が濃く受け継がれているんだな。ナル」
 黒ローブの発言にナルは目を見開き、「私の両親を知っているんですか!?」と強くその者に迫った。しかし、黒ローブから答えを聞く前にナルの身体は嫌な予感を感じ取り、身震いさせる。彼女が周囲を見ると、周囲には多くのレムレスがいたのだ。
「レムレスが、こんなに!?」
「女、俺様の後ろに隠れてろ」
 ナルはフェンリルの言う通りに、彼の背後に隠れるも。それとは逆に、黒ローブが前方へと一歩出る。そして、レムレス達に向かって、右手を向けた。
《ドラコ・フランマ》
 男の手から黒い靄が渦を巻き、頭上で赤い瞳のドラゴンの姿へと変形する。そして、ドラゴンはレムレスの所に向かって突っ込んでいき、多くのレムレスを消していく。黒ローブの出したモノに、ナルは何かに似ていると感じとった。
「……もしかして、レムレス?」
「そう。ボク自身は、あの化け物であるレムレスだ。だからこそ、レムレスの力を使うことが出来る」
 黒ローブの言葉に、ナルは声も出せず驚く。彼は自分の知るロキと雰囲気の似た人物。けれど、レムレスの力を自在に操る彼は一体何者であるのか。彼女が黒ローブについて考えようとするものの、意識は自分達の周りにまだまだ増え続けているレムレス達に向けられている。今はこの大群を切り抜けなければとナルが自分の杖に力を込めるも、黒ローブがホズへと話しかける。
「ホズ。今は少し彼女と話したいんだ。レムレスの相手、頼むよ」
「さっきは彼女の記憶がなんとか言ってた癖に。……僕は目が見えない。万が一、彼女に当たってしまわぬよう、そこの狼は彼女を守っておいてくれ」
 そう言い放って、ホズは隠し持っていた弓と矢を取り出し、黒ローブと変わってレムレス達の前へと向かっていく。彼にそう言われたフェンリルは「言われなくても」と返事をしながら、レムレス達をその琥珀の瞳で睨んだ。彼等のそんなやりとりを見守った黒ローブは怯える彼女に話しかける。
「それじゃあボク自身について話す前に、レムレスの事について話そうか。レムレスは簡単に言えば、負の感情を具現化した存在だ」
「負の、感情?」
「憎しみ、悲しみ、苦しみ。そういった負の感情で、奴等は構成されてるってことさ。そして、このボクも。この夜の世界になってしまった事によって生み出されたレムレス達は、本来あったはずの終焉、神族と巨人族の戦争ラグナロクがストーリーテラーによって無かった事にされ、行き場を失くした負の感情が集まり、ああいった形を成してしまったんだ」
 ホズの弓とフェンリルの遠方からの攻撃で、どんどんと消えていくレムレスを指す。攻撃をされ続けても、レムレス達は怯むこと無く襲いかかってきている。
「……なぜ彼等は、私達を襲ってくるんですか?」
 化け物としての本能か、負の感情により暴れ回っているのか。それとも、他に理由があるのか。ナルはアルヴヘイムでの出来事を思い返しながら質問をすると、黒ローブはある答えを出した。
「生きているからだよ。本当は終わるはずだったのに、君達は生きている。死を受け入れようとしない君達、亡霊に怒っているのさ」
 そう答えを出した黒ローブに、ナルは「そんなこと、言われても」と哀惜の念に顔を苦しめながら言葉を零す。
「私達が生きているのは、今です。だから」
「だから、レムレスが悪者だと? いいや。悪いのはこの偽りの世界で生きる君達と、世界を見守るべき傍観者であるにもかかわらず、運命を変えようとしたストーリーテラーだ。だからこそ、君達は思い出さなくてはいけない物語がある」
 ナルがその者の言葉に「本当の、世界。正しい、運命」と呟きながら、自分の中にあった一つの疑問をその者に投げかける。
「ロキさんとストーリーテラーとの関係って、なんなんですか? ロキさんがその人を殺したとして、本当に……本当にそれで、いいの? そして……貴方は、一体」
 ナルが哀感を帯びた声でそう言うと、黒ローブが「それは」と話しかけた、その時。
「ナル!」
 黒ローブからの質問の答えを待っていた彼女の意識は、その声の主がいる方へと向けられる。そこには、トールの山羊でやってきたナリ達が居た。山羊達はナルとフェンリルの傍へと降り立ち、ナリはすぐさまナルの隣へと走り寄る。
「ナル! 大丈夫か!?」
「兄さん! それに、バルドルさんも!」
 バルドルはナリの後に降り、少しだけナルに目線を向けてから、レムレスと戦う彼の弟ホズを不安げな面持ちで見つめ、「ホズ、どうして」と彼の名を呼ぶも、ホズはその声に応える事なく、レムレス討伐を続けていく。そんな彼等を黒ローブはじっと見つめている。その者に対し、ナリが「これ、いったいどういう状況なんだ」と無事だと確認したナルへと問いかける。
「でけぇ狼にバルドルさんの弟もいて……。それに、あの黒ローブの奴は……」
 ナリが剣に手を添えだしたため、黒ローブはそれに対して否定の言葉を出す。
「そこだけはハッキリとさせよう。ボクは敵じゃない。けれど、味方というわけでもない。ボクは、ただの代行者だ」
 黒ローブの言葉に兄妹は首を傾げ、バルドルはその者を睨んでいた。それでも、黒ローブは話を続けていくために、ナルへと先程の話を振る。
「ナル。さっき君は、『ロキがストーリーテラーを殺せたとしても、結局この世界は戦争によって終わってしまう』。そう考えたようだけれど、そこは少し違うのさ。彼がストーリーテラーを殺す事によって、輪廻の道が再び繋がる。それが、この世界をこれからも繋げていくための、最善の選択なのさ。もし、それが出来なかった場合、ラグナロクを起こそうとしてたんだが」
 そんな話を聞いても、なかなか理解出来ずにいる兄妹やバルドルに、黒ローブは話を締める。
「まぁこの話自体、君達ではなくてロキこそが知るべき事なんだけどな」
「じゃあ、その話。早速ボクに教えてくれよ」
《レーヴァテイン・イミタム》
 その声と共に、ホズが戦っていたレムレス達の身体は、真っ赤な炎で燃えていく。その炎はレムレス全てを飲み込んでいき、消し炭にしていった。レムレスが炎によって燃やされた背後に、炎の剣と古びた本を大切に持っているロキの姿があった。彼の持つ本を見た黒ローブは「そっか。見つけたのか」とボソリと呟く。
 ロキは兄妹達の元へと駆け寄ると、兄妹は彼の名を顔を輝かせながら呼んだのに対し、彼は優しく笑いかける。そしてバルドルと無言で頷き合い、黒ローブとその隣へと戻るホズを睨んだ。
「ホズがどうして君といるかは後で聞くとして……。君に、聞きたいことがある。共に来てくれていたファフニールが、途中で倒れた。ヨツンヘイムに降り立ったが、至る所で倒れている巨人族達を見た。その事も、このレムレスの大群も、君の仕業なのか? それとも、ストーリーテラーなのか?」
 ロキの問いかけに、黒ローブは「ハッ」と鼻で笑う。
「時間が迫ってるだけの事さ。この偽りの世界という夢から覚めるんだよ。だからこそ、段々と眠る者やレムレスも暴れ始めている」
 黒ローブはそう答え、上空へと手をあげる。
「順番は狂っちまったが……もう、この世界も保たない。本当なら君自身に思い出して欲しかったけれど、その本を見つけた事だけでも良しとしよう」
 黒ローブはほんの少しだけローブから手を空へと伸ばす。
「それじゃあ、場所を変えよう。物語を語るのに、ふさわしい場所に」
 黒ローブが指を鳴らしたのと同時に、彼等の足元に光る文字と円陣が現れ――三人は、姿を消した。