7篇 泡沫の追憶4


「あ、れ」
 ロキがようやく目を覚ました。が、彼は今の今まで見ていたものに、ある疑問を抱いた。靄がかかっているようで見えなくなっていた、彼女のことにだ。
「なんで、どうして……シギュンの事を思い出せない」
 彼女の持つ、とても綺麗な髪の色が分からない。彼女が自分を見る目の色が分からない。彼女の、彼女の、彼女の。
 シギュンという者の、愛しい者の、姿を思い出せない。
「彼女の姿を思い出せば、お前は思い出してしまうから」
 目覚めたロキに、エッグセールが目の前でそんな言葉を投げる。そんな彼女の言葉に、ロキは首を傾げる。
「エッグセール。そもそも、なんでシギュンのものを、君が持ってたんだ?」
 ロキは自分の手に収まっていた本を掲げて問うと、エッグセールは彼の目を直視しして話し出す。
「それは、この時間でのものじゃない。あの時間に託されたのさ。あの日に、ラグナロクの日に」
 エッグセールセールから出た新たな聞き覚えの無い言葉を聞いて、ロキは頭が電撃が走ったかのような痛みに襲われる。
「ラグ、ナロク……なんだよ、それ。一体、何の話をしてるんだ。エッグセール。君まで、おかしなことを話すのか?」
 ロキは頭を大きく横に振り、頭の強烈な痛みを忘れようともがく。今の彼には、分からないことだらけであった。
 ストーリーテラーとの関係も、自分が今どうするべきなのかも、ラグナロクという言葉の重みも。そして、シギュンの事も。
「……なぁ。ボクは一体、何を忘れてるっていうんだよ」
 ロキは悲愴な面持ちで、エッグセールに問いかけた。彼女は、顔をしかめながらも落ち着いた口調で彼に語る。
「大切で、幸せな、愛しい記憶。辛くて、悲しくて、苦しい記憶。忘れてしまった、忘れさせられた記憶。……ロキ、思い出さなければ、何もかも本当に失ってしまうよ。また、守れなくなってしまうよ」
 「失ってしまう」「守れなくなってしまう」
 その言葉に、ロキは酷く怯えた。なぜ自分がこんなにも怯えているのか。それが、負の言葉であるからか。それとも、その言葉に対する何かに覚えがあるのか。自分は『また』の前に何をしたのか。
「エッグセール。どこへ行けばいい。どこへ行けば、ボクは思い出せる?」
 ロキの問いかけに「ヨツンヘイムへ行きな」と答えを出した。
「今は、なぜかしらヨツンヘイムに集まってるのさ。バルドルは、先に行っちまったよ。きっと、ファフニールの速さなら間に合う」
 ロキはようやくバルドルが傍に居ないことに気づき、ゆっくり立ち上がって、一つ深呼吸をし、エッグセールに「ありがとう」と言って、ファフニールがいる場所へと向かっていった。

◇◆◇

「悪いねぇ、ロキに渡しちまって。でもね、あたいには大きすぎる仕事だよ。『この世界は輪廻から切り離したけど、物語として異世界で記憶に残していってほしい』なんて。ねぇ……」
 エッグセールはそんな独り言を呟きながら、その名を呼ぶ。
「ストーリーテラーさん。いいや……××××」
 風が強く吹き、エッグセールの声を掻き消す。
 そして、そんな彼女の傍の木の頂上で、ロキがファフニールの背中に乗って飛んでいく姿を眺める者がいた。
 それは、女の姿をしていた。なんの穢れの無い純粋な白の長い髪、それとは真逆で憎しみの詰まった血のように真っ赤な瞳。

『ダいジョウぶヨ モうできタカら ムカえ二いク ネ あいするあなたたち』

 彼女は、愛おしげにロキを見つめ、微笑んだ。

『コンどこソ ズッとイっしョに』