神の国の奥にある森の、大木で出来た洞窟の中。
「誰、この子」
ロキがその場所へと入ると、■■色の長く艶やかな髪をした女性が、すやすやと眠っている。
「おーい。起きろって」
彼女の肩を揺するも全く起きるそぶりを見せない。この場所は、木陰がとっても心地よい。だからこそ眠ってしまうのも、ここを昼寝場所にしているロキ自身にもその気持ちも分からなくもない、そしてこんなに気持ちよさそうに眠っているのを起こすのも可哀想などと、心の片隅で思ってはいるのだが。彼は自分の場所に見知らぬ女性が居るというのは心が休まらないようで、より一層強く彼女の身体をゆする。
「おい、起きろよ」
「んんっ……」
「あ、やっと起きたか」
うっすらと目を開けた彼女の顔を覗きこむ。
「おーい」
「……」
彼女は髪と同じ■■色の瞳で、ロキと目を合わせる。一、二回程瞬きをしてからゆっくりと起き上がり――。
「……」
「――ん?」
彼女はロキに抱きついた。
「え、っと……」
「あっ」
ロキが戸惑いの声を上げると、彼女はようやく自分の状況を理解したのか、すぐに彼から離れた。きっと、寝ぼけていたかなにかだろう。あんなにぐっすりと眠っていたのだから。
「……いきなり、ごめんなさい。抱きついてしまって」
そう彼女が目を伏せて、申し訳なさそうに落ち込んだ様子を見せた。
「あー。少し驚いたりはしただけだから。大丈夫だよ、謝らなくたって。それにしても……君、どうやってここを見つけたんだ? 結構ここまでの道っていりくんでるからさ……もしかして迷子?」
彼女は「えっと……」と少し考える素振りをする。
「そう、迷子っていう訳では無いのだけれど……ただ森で散歩をしていたら、すごく気持ち良さそうな場所があると思って、それで……つい」
「寝ちゃったわけか」
彼女は頬を少し赤く染めながら、小さく頷いた。そんな彼女に更にロキは「よく寝れた?」と質問を投げると、彼女は「……えぇ。とっても!」と、彼女は控えめに微笑む。その微笑みに少しだけ、ロキは見惚れてしまう。そんな自分に驚きながらも、彼は顔がほんの少し熱くなっているのを感じながら、口元を緩ませる。
「そりゃあ、良かった。ここはボクの一番の昼寝場所なんだ。誰もこんな場所知らないから、静かで落ち着く」
「……分かるわ。とっても、心が安らいでいくような」
「おっ、分かってくれる?」
「えぇ。じゃあ貴方、毎日ここにお昼寝しに来るの?」
「そっ。でも、今は君を送り届けなくちゃな。さっ、一緒に帰ろう」
ロキが立ち上がろうとすると、服の裾をぐいっと引っ張られる。裾の先を見ると、彼女が上目遣いで■■色の大きな瞳でロキを見つめてきていた。
「えっと……どうした?」
「また、明日……ここに来る?」
「来る、けど」
「じゃあ明日も……私、来ていいかしら」
とてつもなく突拍子もないお願いだった。何故そんなことを願うのかと疑問に思うも、すぐに「昼寝には最適だから」と勝手にロキは納得する。
「あぁ、いいよ」
ロキが了承して、彼女はまるで陽だまりのように微笑んだ。
なぜ彼女が明日もここに来たいと思ったのか。なぜこんな事でそんなに嬉しそうな顔をするのか。そんなこと、この瞬間、彼女の笑顔に目が離せないでいるロキにはどうでもよくなった。
彼女のことを知らない。知らない、はずなのに。それなのにロキは、彼女になぜか親しみを感じていた。そして、切なさも。
「どうしたの? 難しい顔をして」
「……いや。じゃあ、行こうか」
混乱する感情にロキは一旦蓋をし、共に歩き出した。森の入り口まで特に何も話さないで歩いている間、ロキはあることに気付いた。
「そういえば名前! 名前聞いてないや。ボクはロキ。君は?」
「私は……シギュン」
「シギュン。いい名前だ」
ロキが彼女の名前を褒めると、彼女も「えぇ、私もとっても気に入っているの」と、微笑んだ。シギュンはとても笑顔の似合う女性だと、ロキは思った。
これが。
「「それじゃあ」」
彼等の。
「「また明日」」
不思議な出会いだった。
***
ロキはレムレスに飲み込まれてしまった。が、彼は他のレムレスによって消えてしまった者達と違って、逆にレムレスが消えてロキはその場に倒れ込んでしまった。そんな彼をバルドルは何も出来ず、エッグセールとただ見守るだけである。
「エッグセール、これはどういう」
「バルドル様、貴方は今から海辺にいるトール達と合流して、共にヨツンヘイムへ向かってください」
突然のエッグセールの発言に、バルドルは戸惑いを隠せず、何度もまばたきをして彼女を見つめる。
「何を言って……ヨツンヘイム? なぜ、そんな所へ?」
「あたいの占いがそう示しているのですよ。よく当たることは、バルドル様もご存知でしょう。それに……」
まだロキを置いていくことに躊躇っているバルドルに、エッグセールはもう一押しとして、ある者の名を出す。
「そこに、貴方の弟もいますよ」
「っ!? な、なぜホズが」
突然の弟の名に、バルドルは声を上ずらせて、エッグセールに問いかける。
「それは、貴方の目で耳で口で、確かめるのが良いですよ」
エッグセールは落ち着いた表情で言ったため、唇をギュと結び「ロキを、頼みます」と言い残して、その場を去った。そんな彼の背中を見守るエッグセールは、目線をロキへと戻す。
「さて、ロキは一体何を見ているのか。この本の真実の記憶なのか。それとも、彼自身の偽りの記憶か」
***
太陽が空のてっぺんに佇む頃。
毎日同じ時間に、ロキとシギュンはそこで出会うようになった。最初の目的として、ロキは昼寝で彼女は読書。けれどいつしかロキの目的は、昼寝から彼女に会うために変わっていった。
ロキが彼女と出会って、五ヶ月が経った。彼女について分かったことは、シギュンという名前だけ。彼女は秘密主義者のようだ。いつも彼女はロキより先に居て、ある分厚い本に何かを書きながらロキを待っている。一体何を書いているのか。中身について彼が問いただしても、彼女は首を横に振るばかりで、全く教える事はなかった。
それに、自分がどういう神であるのかさえも教えてくれないのだ。そもそも神族なのかということも疑わしくなっていた。翼がないからヴァルキリーではないし、女だから男だけの兵士でもない。神族ではないのなら、何故彼女はここにいるのか。
ロキは「君は一体、何者?」と聞いてみたこともある。しかし、彼女はただ。「シギュンという者よ」と答えるだけなのであった。その答えに対し、ロキは不満という感情を顔に貼り付けた。
「それ、答えになっていない」
「ミステリアスな女性は嫌い?」
「……知らなさすぎるのは嫌だな。君の事、気になって気になって仕方がないんだよ。君の事、もっと知りたいんだ」
ロキが問うと、彼女は瞬きを二回、三回してから「そうね……」と彼女は微笑みながらボクの右手を、彼女の小さな女性らしい手で握られる。
「私を幸せにしてくれたら……全部教えてあげる」
「……へ?」
曇りひとつないまっすぐな■■色の瞳が、ロキを映す。唐突な彼女のその言葉は。
「ロキ。私にまた愛を教えて。貴方の愛が、私は欲しい。だから、お付き合いしましょう」
「…………………」
「返事は?」
「……はい」
彼への愛の告白だった。
◇◆◇
『ロキ。私にまた愛を教えて。貴方の愛が、私は欲しい。だから、お付き合いしましょう』
頭の中で、何度も何度も再生される彼女の告白。その度、ロキの顔が何度も熱くなる。明日から、どんな顔して会えばいいんだろうか、と彼は手で顔を覆った。
「ロキ」
そんな後悔ばかりのロキの脳内ではあったが、ふとある言葉に違和感を覚えた。 彼女の「また」という言葉にだ。
「ロキ」
その言葉に、一体何の意味があるのか。きっと、彼女は答えないであろう。ただ、彼女の秘密がまた増えただけだ。
「ロキ」
そして、「幸せ」という言葉もだ。ロキは、その言葉をその形を、まだ掴みきれていない。
「ロキ!」
「わっ! なんだよオーディン、おどかすなよ」
「何度も名を呼んでいたのに、無視するお主が悪い」
そう。ロキは考え事ばかりしていたが、今はオーディンに誘われて新しい葡萄酒を飲みあっている最中なのである。
「のぅ、どうかしたのか? そんな考え込んで」
オーディンは憂わしげな表情を見せる。言うべきか言わざるべきか。少し悩んだものの、ロキは口を動かした。
「なぁオーディン。君にとって幸せってなんだ?」
「なんじゃ藪から棒に」
「やぶ?」
「おぉ、さっきのは『前触れや前置きのない』という意味で、とある異世界のことわざというものじゃよ。で、いきなり幸せだのなんだの聞いてきたから、そう言ったんじゃ」
「あーそういうこと。別に。深い意味はないさ。ただ聞いてみただけだ」
オーディンは半信半疑な顔でロキを見るも、「そうじゃな……」と考え始めた。
「慕ってくれる仲間達や大切な一人息子がいる。世界が平和である今が、わしの幸せじゃな」
オーディンはとても穏やかに、心の底から嘘偽りのないようにそう言った。そんな彼のニコニコと笑う顔を「クズだなぁ」とロキは心の中で彼を貶した。
「……。百点満点の模範解答だな。流石、完璧主義者な我等の最高神だ」
けれど、そんな言葉とは逆の褒め言葉を、ロキは口から出した。
「なんじゃなんじゃ、そんなに褒めたとて何も出んぞ。出るなら葡萄酒だけじゃ」
「葡萄酒で充分」
ロキとオーディンはまたグラスを交わし合う。その時、背後の部屋の扉からノックする音とある者の声がする。
「お父様、バルドルです。入ってもよろしいでしょうか」
「うむ。入れ」
そして扉が開き、バルドルがロキ達の座るテーブルまでやってくる。
「どうしたんじゃバルドル。こんな時間に」
「こんな時間だからです、お父様。もうお酒をやめるように言いに来たんです」
時刻は既に零時を回っている。生きる者達のほとんどは、ふかふかの寝床へと入る頃だが、お酒を嗜む者からしたらこれからが本番である。
「心配いらんよバルドル。わしが強いのを知っておろう?」
「それでもです」
父親であるオーディンを叱るバルドルにロキは小声で「ほら、ロキも言ってくれ」と耳打ちする。ロキはまだ葡萄酒を楽しんでいたいと思っていたのだが。お酒の時間をまだ続けようと強く懇願する眼差しを向けてくるオーディンより。
「そう、だな。ボクもそう思うよオーディン」
ロキは痛い視線で見る、逆らえばきっと面倒くさいであろうバルドルを選んだ。
「ロキまで……分かった。今日はこれで終いにしよう。……の前にもう一杯」
「駄目です」
駄々をこねる父親とそれをなだめる子供。どっちが親で子供なのか分からなくなる、とロキは心の中で苦笑いを彼等に向ける。
そうして、ようやく落ち着いたオーディンの部屋からロキとバルドルが出ると、バルドルは深い溜息をつく。
「この酒癖はいつまでも治らないのか」
「葡萄酒が主食みたいなもんだし、仕方ないだろ。暴れないだけまだマシだ。だから諦めろよ」
「葡萄酒はお酒で飲み物。主食にはならないだろ」
「オーディンの身体は主食として認識してる」
「はぁ……。そういえば、貴方もちゃんと覚えているか?」
呆れた目をする彼は、今度はロキにそう尋ねてきた。ロキが「なにが?」と返すと「やっぱり」と頭を抱える。
「明日、貴方も妖精の国に行くんだ。だから準備しておいてくれよ」
「げっ。そうだったっけ。そうか、明後日が夏至祭だから」
その時、ロキはその催しをシギュンにも見せてやりたいなと、なぜか彼は思ったのだ。