時は遡り。ナルが巨人族に攫われてしまった直後の事。
「ほんとうに、ごめんなさいいいいいいい!」
黒い煙がエアリエルの砂浜で、大粒の涙を流すマリア。
「謝らなくていいって、マリア」
「そうだぞマリア。それに、狙われてた僕ちゃんも悪いんだし……。だからもう泣き止んでよ〜。ナルちゃん連れ戻せたら一緒にごめんねしよ? ね?」
ナリとヨルムンガンドは彼女をなだめるのに手を焼いていた。彼女が泣いている理由、それはナルが攫われてしまった事。彼女は偶然、巨人族の二人がヨルムンガンドを捕まえようとしているという話を耳にしたため、急いでそれを報せようとやってきたのだ。しかしそれは間に合わず、全く関係のない子を巻き込んでしまったことで、自分を責めてしまっているのだ。
「私がもっと早く呼びに来ていたら、あの子は捕まらずに済んだのに! 私のせいなのよ! こんなわたしをなぐっでぇ!」
「だーかーら! 殴らないって!」
マリアはナリの腕を掴み自分を殴らせようとするもナリはそれを止めさせる。彼は深く溜息を吐き、彼女と同じ目線になるように屈む。
「マリア。そんなに自分を責めないでくれよ。今回のは、兄貴の俺がちゃんと妹を傍にやれなかった俺が悪いんだ。だから、これはアンタが悪いんじゃない」
「……」
「それでもまだ自分を責めるなら……妹を連れ戻せたら、アンタ達の国に招待してくれないか? きっと、ナルは気に入ると思うから」
まだ鼻をぐじゅぐじゅさせる彼女であったが、ナリの話を聞き、目に溜まった涙を拭うと、「勿論。めいっぱいおもてなしをしてあげるわ」と満面の笑みで応えた。そんな彼女の様子に、ナリはホッと肩を撫で下ろす。そんな彼に、エアリエルが近寄る。
「ナリ様。ナル様がいなくなって、取り乱すと思いましたのに。意外と冷静なんですね」
「わんわんと泣かれちまったら、逆に冷静になっちまうよ。でも」
ナリは自身の拳を強く握る。
「怒りは全然治まらねぇがな」
ナリの剣幕な表情にエアリエルは「そうですよね〜」と苦笑しながらも、これから暴れるための準備運動を始めていく。しかし、彼女はあるモノを見つけてしまう。
「さっ、トール。さっさと山羊達を使って」
「いいえ、ナリ様。それは不可能です」
エアリエルの言葉にナリは怒気を含ませた声で「なんでだよっ!?」と疑問を投げるも、その答えは彼女の指差す先にあった。そこには、レムレスの大群が赤い瞳を光らせ、ナリ達を睨んでいたのだ。
「レムレスっ! なんでこんな時に!」
「ハニー、僕ちゃんも!」
エアリエルはナリの剣の中へと入り、トールは自分の腰に付けていたミョルニルを大きくさせ、共に戦闘態勢を取る。
「さったとかかってこい! 全部、ぶっ倒してやる!」
◇◆◇
ナリ達がレムレスと対峙している、同時刻。
《サジータ・ルクス》
《オシデラ・フランマ》
ロキとバルドルも、ファブニールに乗ってヤルンヴィドへと辿り着いた矢先にレムレスの大群に襲われていた。森は炎と光の粒が舞い、暴れ回るレムレスを消し去っていく。そうして、ようやく最後の一匹を消し終わると、ロキとバルドルは荒れる息を整えながら、背中合わせに地面へと座り込んでしまう。
「たっく、いきなりなんだっていうんだ」
「レムレスが増えているから気をつけて、とフギンに言われていたが……本当のようだな」
「レムレスが? はぁ、じゃあさっさと用事済ませねぇとな」
「用事とは、あたいにかい?」
ねっとりとした声がロキとバルドルを捕らえる。そんな声に二人は背筋をゾクッとさせて、そろりとその背後を振り向くと、そこにいたのはとんがり帽子を被った紫髪としわしわな紫目をした老婆がいた。
「エッグセール!」
元々異世界の魔女であった、狼使いの魔女エッグセール。その名の通り、このヤルンヴィドに棲む狼達を手懐けている。異世界の住人が永住している事でも彼女は有名であるが、強くなりすぎたフェンリルがアースガルドの牢屋に入れられていたにも関わらず、自分が飼い主になるからと連れ出した者でも彼女は有名であった。
茂みから現れた彼女の傍に、ロキとバルドルは近付く。
「エッグセール、ここに黒いローブを着た奴を見なかったか?」
ロキの問いかけに、エッグセールは首を傾げて「誰だそれは」と言いたげな顔を見せる。そんな彼女の表情に、ロキは唸った。
「うーん、アイツがいるかもって思ったんだけどなぁ。じゃあ、なんでアイツは此処に行くように言ったんだ?」
「話が見えんなぁ。まぁ、あたいは悩んでたことが解決出来そうで助かったけどねぇ」
「はぁ? なんの、こと――」
「ロキ。これが、何か分かるか?」
エッグセールが懐から取り出したのは、古びた本であった。その本に対し、バルドルはなんだろうと考察するために、その本をじっと見る。表紙は赤茶色の革を使われていて、金色の模様がとても細かく刻まれており、かなり凝って造られた物であると一目で分かる代物だ。しかし所々汚ればかりで、金で書かれた本の題名が読めないでいる。
「綺麗に出来れば、きっと素敵な物だろうに。ロキ、貴方にはこれが分かるの、か……ロキ?」
バルドルの隣に居たロキは、少し震えながらその本を直視していた。彼の様子に驚いたバルドルは、彼の身体を揺さぶりながら何度も彼の名をうるさいと思われるほどに呼ぶ。そんな彼の声を、ようやくその耳に届いたかのように「……バルドル」、とか細げな声で呼び声に応える。
そんな彼の様子に、バルドルはある事を思い出してしまう。今の彼は、あの時に似ていると。
彼の愛する者が、死んでしまった時に。
その時のロキの悲しみに埋もれた表情を脳裏で思い出してしまっていたバルドルに、彼はエッグセールの持っていた本に手を伸ばす。
「これは……シギュンの日記だ」
ロキが本に触れる、と。
「――っ!」
言葉で現せない鳴き声を出しながら、レムレスがその本から飛び出してきた。
ロキは何も出来ず。
ガプリッ――
レムレスに飲み込まれた。