5 親愛の繋がり2


 

「やーだー! 可愛いじゃなーい!」

「本当、本当! すっごく可愛いわよナルちゃん!」

 ファフニール家の居間で、予定通りナルの着せ替えが行われていた。ストゥーラとトールは大きな拍手と満面な笑みをナルに贈る。それに対し、ナルは頬をほんの少し赤色に染めながら、フリフリなレースというものが付いた、淡い桃色のドレスの裾を触る。

「ありがとう、ございます」

「ふむふむ。良い素材を使っておられるのね。職人技と言ってもいいほどに丁寧に縫われていて。これはお二人が?」

「デザインはあたしが。作ったのはストゥーラよ。さっ、次はこの向日葵色のドレスを――」

「まだ着るのかよっ⁉」

 トールがナルに次に黄色の彼の言うように向日葵のようなドレスを渡そうとした時。彼女等の後ろに座っていたナリが腕を組みながら、彼女達のこの現状に目の間に酷く皺を寄せながら見ていた。

 そんな彼にトールはさっきまで花が周りに舞っているかのような乙女な顔から、とてつもなく不機嫌オーラを漂わせた怖い顔を向ける。これが彼女の、彼の部分だろうか。

「……ちょっとー、男は黙っててって、言ってるじゃない。まったく、折角介抱してあげて元気になったかと思えば、フレイみたいに煩いガキンチョね」

「フレイみたいに性格悪くねぇもん! いや、話逸れちまった。だからさ、さっきから着させすぎだろって言いたいんだよ俺は。ナルも楽しそうだから言わなかったけどよ、一時間もはやりすぎ。少しは休憩入れてやってくれよ」

 ナリは部屋中に散らかっている服や小物達を指差す。そう、かれこれ一時間。トールとストゥーラはナルに自分達の作った服を休みなく着させていたのだ。

「そーねー、分かったわ。ナルちゃん、少し休憩しましょうか」

 ナリの提案を受け入れ「じゃあ、お菓子や紅茶を持ってくるわねぇ」ストゥーラが立ち上がり、エアリエルも手伝いをすると自ら名乗り、共に台所へ向かっていった。

「あら気が利くじゃない! ありがとう! ちょうど甘いものがほしかったのよねぇ」

 ストゥーラは台所へと消え、ナルはそのドレスを脱ぐために着替える場所にしていた部屋へと入っていく。トールは散らかしていた服や小物達を集めていく。そんな彼をナリはじーっと見つめていると、彼の方から「なーに?」とナリに話しかけた。

「何か聞きたいことでも?」

 その問いかけにナリは頭をかきながら「えっ、と」と口をモゴモゴさせながらも、口を動かしていく。

「なんで、そんな格好なんだ?」

「好きだから」

 ナリの問いかけに即答するトール。まだ彼の姿を不思議に見る彼に、トールは言葉を付け足していく。

「あたしはねー、こういう可愛い服とか小物とかが大好きだったのよ。でもね、生まれた時からこの体格と……んんっ……この、野太い男らしい声がそれを拒否させるのさ。それは、表に出すものではない、と」

 トールは自分の二の腕を叩き、声を女のような高い声ではなく男らしい低い声を彼に聞かせる。

「別に、こんな自分が嫌いってわけではないし、兵士達や他の神族達にも憧れを持ってもらっていて、幸せなことなんだが……。自分の感情を抑え続けるのも、嫌になっててな。そんな時に、まぁ、なんだ。こんな風に女性の格好をする機会があってだな」

「どんな機会だよ」

「まぁ、その話は今は置いておいてだな。……で! そこで可愛くないって言われたから、可愛くなってやろうじゃんって思ったわけよ!」

 トールは途中から声を再び女性のものに変えて話した。その内容に、ナリはまだついていけていない様子で「ふーん」と返した。

「ちょっとー! こっちは話したんだから、もうちょっといい反応しなさいよー!」

「はぁ? そんな事言われても、ついていけねぇってその内容」

「んもう、つまんないわねぇ。あっ、そーだ! この時間暇だし、ナリ君もこれ着てみる? 髪もロキみたいに長いし、きっと彼と同じく似合うわよ!」

 トールは片付けようとしていた服の一つを、ナリに突きつける。

「はぁ!? なんでそんな事になるんだよ!? えっ、というかロキも着たことあるのかよ!?」

 そんなナリとトールの騒ぐ声に、ナルは「ふふっ」と笑みを零す。彼女は自分の着替えを終わらせて部屋を出て、ナリ達のいる場所へと戻ろうとした。が、少し歩いてからある部屋の前に立ち止まる。

「ロキさん達、何の話をしてるんだろ」

 

◇◆◇

 

 ナル達が居間で着せ替え大会が行なわれている間。

「……」

「……」

 ロキとバルドルの間には、冷たく重い空気が漂っていた。それは、今のお互いの状況について話したから。そして、それが互いに信じられるかどうか分からないから。

 ロキは十日前に、バルドルからストーリーテラーについて聞かされた事。そして、黒ローブにそのストーリーテラーを殺すようにと言われて川へと落とされたロキは兄妹と出会う。その事を、なぜかバルドルは知っていてムニンに報告がされていた事。だからこそ、ロキは疑っていた。黒ローブとバルドルは繋がっているんじゃないのか、と。

 しかし、バルドルはまたも奇怪な事を彼に話した。ロキがバルドルと会ったというその日から昨日の九日まで。彼自身に、この九日間の記憶が無い事を。それは彼の手帳が証明していた。この夜となった世界では時間軸がおかしくなってしまうため、その日から日付を書き留めていた彼。しかし、この九日間だけは何も記入されていなかったのだ。彼が真面目でまめな者である事を、ロキ自身よく分かっている。だからこそ、その証拠は確証的な物であるのだが。

「……ロキ。どうしても、信じてくれないのか?」

 バルドルの不安げに問いかけるその声に、ロキは当惑する様子を見せる。

「……信じたい、けどよ。正直、今は色々とありすぎて考えられねぇ」

「……じゃあ、君とボクだけが知っているだろう事を話せばいいか?」

「はぁ?」

 バルドルからの突然の発案に、ロキは間抜けな顔を見せる。バルドルはそんな彼の事など放って、「そうだな……」と、何やら考え始める。

「まずは……私と君だけでマーレヴェルンへ向かったときに、人魚達に悪戯されて海へ落っことされた事とか。木の上で昼寝をしていた君が、寝惚けて落っこちてしまったり――」

「待て待て待て! 本当に言う奴がいるか!?」

 バルドルが楽しげに話す姿に、ものすごい剣幕で言葉を遮る。

「しかも、ボクが恥ずかしいのばっかりじゃねぇか!? それに! そんな事で本物かどうか試す奴がいるか!? 君、賢いようでやっぱり馬鹿だよな!?」

「やっぱりとはなんだ。馬鹿なのは貴方だろ。私はそれが少しうつってしまっているだけだ」

「バルドル。それ、認めてるのか認めていないのかどっちなんだ?」

 なぜか楽しげなバルドルに、ロキはだんだんと怒る気力も無くしていき、互いに「ふはっ」と声を出して笑い始める。

 世界が夜に閉ざされた。そんな状況下であっても彼等は、唯一心を許し合える友なのだと、この場の冷たかった空気が暖かなものになっていくのが、それを証明していた。

「あー笑った」

「これで、本物かどうか確かめられたか?」

「うんまぁ、やり方は酷いけどな」

 しかし、そんな和やかなムードは続かず「けどよぉ」とロキは再び真剣な表情で話し始める。

「そうなると、だ。理由がまったくもって分からねぇ。なぜソイツは君の姿になってボクや他の神族に近付いてきた?」

「ロキにストーリーテラーについて話したり、巨人族の事を流したり」

 バルドルとロキがその事について考えていると、バルドルが何かに気づいたのか「あぁ、そうか」と顔をだんだんと青ざめさせていく。

「……私、という存在を使って、皆を動かしているのか?」

 バルドルが苦悶の表情に歪む姿を見て、ロキもその感情に釣られそうになりながらも、ギュッと拳を握る。

「あぁ。君の言葉や神族からの信頼は、最高神オーディンの次に強い」

 気持ち悪いほどに。という言葉だけは、ロキは心の中に留めた。

「だから、オーディンに隙がないから君を選んだ。にしても……君もかなり強いしな。なぁ、バルドル。その九日前の事も覚えてないのか? 誰かに会ったとか」

 ロキからの質問にバルドルは九日前のことを、唸りながら必死に思い出そうとしている。しかし、その答えは少し戸惑いを帯びた声だ。

「ホズ。ホズとなら、いつも同じ時間に彼の部屋に行って話をしている。その後、レムレス討伐へ向かったから……それ以外の者とは、二人っきりにはなっていない」

 ホズ。それは彼の弟であり、バルドル自身とても可愛がっている。それを、今まで近くにいたロキも知っている。

「そうか、ホズか」

「けれど、ロキ。あの子は」

 しかし、彼は。最高神オーディンの第二子であり、産まれるのを多くの神族が待ちわびていた彼は。

「ホズは、目が見えないんだぞ」

 なんという運命の悪戯か。彼は盲目で生まれてきたのだ。悲しげにバルドルが話したことに、ロキも頭をかく。

「あぁ。彼自身、魔法を使えない。はなから論外だったな。すまない」

「いや……それよりも、ロキ。そろそろ話を進めよう。私に化けていた者も気になるが。私が流したことになっている、巨人族が怪しい動きをしているという噂。それが本当かどうか定かではないが、もしそうなら準備をしておかなければいけない。だから、ロキ。一度、アースガルドに」

「やだ」

 即答であった。そんな彼の反応にバルドルは呆れ顔を見せる。

「やだって……君なぁ。もし、巨人族が動き出しているなら、君と共にいるあの兄妹だって危ないんだぞ?」

 バルドルの言葉にロキはピクリと眉を動かし「それは、そうだけどよ」と口をもごつかせる。そして、少し考えてから「なんなら」とある提案を彼にする。

「あの兄妹達もアースガルドに連れて行ってくれ。豊穣の兄妹と何故か仲良くなってるから居心地悪いことはないだろ。それに、ホズの話し相手になれるかもしれないしな」

「それは嬉しいことだが……貴方はどこへ行くんだ?」

 バルドルからの問いかけに、ロキはアルヴヘイムにて黒ローブに言われたことを話す。ヤルンヴィドに向かえ、と。そこで役者が揃うと。その事を聞いたバルドルは考える素振りを見せ「それに、貴方は従うつもりなのか?」と尋ねてきたのに対し、ロキは力強く頷いた。

「あぁ。今回ばかりは、アイツからの申し出だからな。そこに行って改めて何かを掴めるのなら、ボクは行く。けれど今回ばかりは、ボクについてきてるだけのあの子達を危険な目に合わせるかもしれない。だから、あの子達をどう説得するか悩んでたから、ちょうど良かったよ」

 ロキが最後は優しげな笑みを浮かべている姿に、バルドルは「ふっ」と少し微笑みを見せた。そんな彼の姿にロキは首を傾げる。

「なんだよ」

「いや、随分あの子達の事を大切にしてるんだと思ってね」

 なぜか嬉しげな顔をして話すバルドルを不思議に思いながらも、ロキは「じゃ、兄妹達のところへ戻るか」と立ち上がる。

「そうだな。彼等には、ロキが面倒をかけてるだろうから、ちゃんと挨拶をしないとな」

 バルドルの言葉に「面倒見てるのボクなんだが?」と彼の言葉を苦笑しながら指摘し、部屋を共に出て彼等の待つ場所へと向かう。

 そこではクッキーと紅茶を囲みながら楽しく会話する兄妹達の姿が、ロキとバルドルの目に映った。彼等が戻ってきたのを、ナルがいち早く気付き「ロキさん!」と声を出すと、他の者達もロキ達に目を向ける。

「お帰りなさいませ、バルドル様。ロキとは話がつきましたか?」

「あぁ。ナリ君、ナルさん、そしてエアリエルさん。改めて自己紹介をさせてもらおう。私は光の神バルドル。よろしく」

 トールにそう声をかけ、バルドルは兄妹とエアリエルにお辞儀をする。兄妹達は慌てて姿勢を正し、同じようにお辞儀をする。そんな彼等の姿を見て、バルドルは口元を綻ばせる。そんな彼の様子に、兄妹が首を傾げていると彼が話し始める。

「君達は人間族だから、年齢が合わないのだけれど……見た目は君達と同年代の弟が私にはいてね。ホズ、というんだ。豊穣の兄妹とも仲良くなったと聞いて、弟とも仲良して欲しいな、と思って。だからこそ、アースガルドに行った際はぜひ仲良くしてほしい」

 バルドルが微笑んで話した事に、兄妹は互いに顔を見合わせてから、まだ緊張した面持ちの兄妹であったが元気よく「ぜひ!」と返事をした。そんな彼等を見守っていたロキが「で」と話を切り替える。

「そのアースガルドだけど。これから、君達に行ってもらう事になったから。準備してくれ」

「「へ?」」

 ニコニコと唐突に報告をするロキに、兄妹はなんとも間抜けな顔を見せた。