5篇 親愛の繋がり1


 

「と、まぁ。そんなことがあったわけだ」

 アースガルドへと戻ってきた豊穣の兄妹は、報告書作成の為にアルヴヘイムで起こった出来事をソファに座って、その対面に座るテュールとフギンに話していた。その話を聞き終えたテュールは、眉間を指で抑える。

「にわかには、信じ難い事だね」

「テュールの思う事も分かるけれど、妾達はそんな嘘をつくほど暇では無いわよ」

 テュールの態度に苛つくフレイヤの言葉に、テュールは「すまない」と謝りながらも、まだ納得のしていない表情をしている。それはフギンも同じ表情を見せていた。

「ロキ様が身寄りの無かった人間族の子供達を連れているというのは、ムニンから報告は聞いていましたが……」

 子供達、と言うと豊穣の兄妹は「ナリとナルよ」「で、ナリが精霊と契約した奴だ」となぜか楽しげにその兄妹の事を話した。そんな滅多に見ない彼等の姿に拍子抜けするフギンとテュールであったが、すぐに気持ちを切り替える。

「フギン、これはなかなかの事だ。邪神ロキを一度アースガルドへ戻ってこさせるべきじゃないか? オーディン様に説明するのに、やはり当人がいなければ」

 テュールの話に、フギンは賛同するかのように翼を広げる。

「それは私も同感です、テュール様。それに、噂では巨人族がなにやら怪しい動きをしているようですし。ロキ様には戦いの準備もしていただかなければ。レムレスも出現数が増えてきていますし。では、ムニンに伝言を頼みましょう。確か、ロキ様はニタヴェリルにいると報告を聞いています」

「あぁ。そういえば、あの竜に変身できる者と共にいたな。ナリ達に聞いたら、そこを拠点にしているみたいだし。彼等もそこに戻ってから、すぐにどこかへ行動することはないだろう」

「じゃ、妾達は戻るわね。その噂が本当なら、少し休みたいし」

「あぁ、報告ありがとう」

 豊穣の兄妹がソファから立ち上がり、部屋の扉へと向かうと。その扉がフレイが開けるよりも前に、ある者が訪れたことで開く。その扉の前には、焦った表情を見せるバルドルがいた。その顔が気にかかったフギンは、テュールからフレイヤの肩へと飛び移り、バルドルの様子を伺う。

「バルドル様? どうかされましたか?」

「……いや。フギン、立ち聞きするつもりはなかったんだが……ロキは今、ニタヴェリルにいるんだね? いつから?」

「? 九日ほど前ですが。バルドル様、ムニンから報告を聞いていたのでは? もしや、あの馬鹿烏! 報告をしていないのですか!?」

 フギンがムニンの失態に慌てているにもかかわらず、バルドルは彼女の言葉により一層表情を曇らせ、小さく「どういうことだ」と震え声で呟いた。そんな彼の様子がおかしいと感じた部屋の者達は、バルドルの名を呼ぶ。が、彼はそれを無視し、「ありがとう。情報、感謝する」とその部屋から走り去っていく。

「あっ! バルドル様!?」

 しかしそんな彼を放っておくわけにもいかず、フギンがバルドルの背後へと全速力で飛んでいく。緊迫した面持ちで走るバルドルの姿に、神殿の中に居た神族やヴァルキリー達は驚きつつも、彼に道を開けて頭を下げる。彼はそんな彼等の前を通り過ぎ、暗い外への扉を開ける。

「バルドル様、どこへ行かれるのですか!?」

「ロキの所だ。すまないが、お父様に出かけると代わりに伝えておいてくれ。ロキと共に戻ってくる」

「いえ、その、それは承りました、が! 先程までのバルドル様の様子が私は心配です! バルドル様が持ってきてくださった噂通り、巨人族が怪しい動きをしているのなら単身でロキ様の所に向かわずとも、使いを出しますので今はお休みになられては……?」

「……詳しくは帰ったら話す」

「ロキの所へ行かれるんですか? バルドル様」

 扉の前で話していた彼等の元に、ある者が近づく。その者に気付いたバルドルは、強張っていた表情をほんの少しだけ和らげて、その者を見上げる。

「あぁ。貴方も来てくれ、トール」

 

◇◆◇

 

「まだまだぁ!」

「威勢だけよくても、強くならねぇぞ!」

 ファフニールが所有する庭にて、汗だくになっているナリと余裕な表情で笑うロキが剣を交えていた。アルヴヘイムから帰ってきてからの数日、ナリはこれからもレムレスと戦うことが多くなるかもしれないからと、強くなるために稽古をつけてもらっているのだ。稽古をつけてもらっている、とはいえナリとロキの戦闘能力には差があるため、今はひたすらロキに吹き飛ばされるのを繰り返している。

 そんな彼等の様子を、ナルは不機嫌な表情をして、少し離れた場所で見守っていた。

「……はぁ」

「ナル様」

「! エアリエルさん」

 ゆらゆらと空中を飛んでいたエアリエルが、気分が落ち込んでいるナルの隣へと着地する。

「まだ、自分が戦わせてもらえない事を気にしていらっしゃるんですか?」

 エアリエルの言葉に、ナルは弱々しく頷いた。ナリがロキに稽古をつけてもらう事となった時、ナルも何か役に立つために修行をと考えたものの、その案はナリに「危ないから」「ナルは俺が守るから」と断固拒否されてしまったのだ。

「私だって、兄さんを守りたい。誰かを守る、強さが欲しい……あんな、夢のようにならないためにも」

 ナルの最後の言葉はとても小さく呟かれたため、エアリエルには聞こえなかったが、それでも彼女はナルの思いに対してこう言った。

「その気持ちだけでも、充分ナリ様の力になっていると思いますよ? 大切な誰かからの想いというのは、特別ですから」

 エアリエルが話すのをジッと聞いていたナルは、「そういう、ものなんでしょうか」とまだ腑に落ちないでいる彼女を、エアリエルは自分の方へ抱き寄せ「そういうものですよ〜」と彼女の頭を優しく撫でる。エアリエルの行動に驚きながらも、ナルは体重を少しだけ彼女にかけ、彼女の好意を受け入れる。

 そこで彼女は、「あの。今更なんですけど」と、ある疑問を彼女にぶつける。

「なぜ、エアリエルさんは兄さんについていこうと思ったんですか? その……契約までして」

 ナルの質問に、エアリエルは「そういえば、あの時ナル様はお休みになられてましたものね」と微笑み、その疑問に改めて答える。

「私は、ナリ様を……守らないといけない」

「えっ?」

「なぜか、ナリ様を見ているとそんな気持ちが湧き上がって来たんです。彼を守らないといけない、一緒にいないと後悔するって。だから、私はこうやってナリ様に付いてきました」

 エアリエルの答えに、ナルは「どうしてって、思わなかったんですか?」と更に深く質問をしていく。

「そりゃあ、思いましたよ? どうして、見ず知らずの人間にそんな感情が生まれたのか。彼が視える人間だからなのか、それとも……忘れてしまってるだけで、もしかしたら私達はどこかで会っていたのかもしれない。そんな、考えが頭を過ぎったんです」

「……」

 彼女の言葉を聞いてそのまま凝視するナルに、エアリエルは羞恥のあまり頬を赤らめる。

「なーんて! ロマンチックな事を話してしまいすみません」

「いっ、いえ、そんな! ……素敵だと思いますよ、そういう考えって」

 ナルが優しく微笑みながらそう話したため、エアリエルも同じく笑みを返した。

「ちょっと、ナルちゃんいる~?」

 と、そんな時に。聞き覚えのある陽気な声がナルの名を呼んだ。その声がした彼女達の背後を覗いてみると、ストゥーラが彼女を呼んでいた。

「どうかしましたか、ストゥーラさん」

「今いいかしら? 服のモデルをしてほしいのよぉ。ちょうど友達も来てるから、一緒に着せ替えしましょって。あ、と。ロキ! アンタに客人が」

「ん?」

 ロキはちょうど地面にのびて倒れているナリの頬を小突いている最中であった。そんな彼の姿とナリの容態に気付いたナルとエアリエルは「兄さん!/ナリ様!」と叫んで彼の元へと走り寄った。

「悪りぃ、ストゥーラ。用は後回しにしてくんねぇかな? 頑張らせ過ぎちまったから休ませねぇと」

「なら、アタシが面倒見といてあげる」

「えっ? なっ!?」

 ストゥーラの横からぬっと現れた大柄の人物に、彼は目を丸くさせる。

「やっほー、ロキ」

「よぉ、トール」

 トール。雷を操る雷神と呼ばれ、これまでも多くの巨人族を自慢の武器であるミョルニルで倒して来た男神。なのだが。

 ストゥーラの隣に現れた彼は、奇抜な赤毛を綺麗に整えて毛先をくるりと巻き、ロキと同じ白の軍服ではあるものの、上半身は彼の筋肉でピチピチで、下半身はズボンではなくヒラヒラのスカート。そこからは筋肉がこれでもかと付いている太くがっしりとした足が見えている。喋り方や仕草はストゥーラと似た女性のような喋り方ではあるが、どこからどう見ても男がいた。ナルは彼がストゥーラの友達なのだろう、とその姿を見てすぐに分かった。

 そして、もう一人。

「私もいるぞ」

 その言葉と共にトールが横へとはけると、この夜に閉ざされた空間であっても輝く者が現れた。その者の登場に、ロキは顔をだんだんと青ざめていく。

「っ! バルドル」

「ロキ。至急、貴方と話したい事がある」

 バルドルの登場に剣を構えかけたロキ、だが。彼の輝く金色の瞳の奥底が、怯えた色をしているように感じた彼は少し戸惑いながらも、剣を納める。

「とりあえず。中入れよ。アースガルドからだと、一日ぐらいかかったろ。だから少し休め……話はそれからだ」