4篇 風の剣6


「ナリくん。……娘を殺めてくれてありがとう」
「……そんな、お礼を言われるようなことじゃ」
 彼の娘を殺したのだ。仕方がないとはいえ、いいことではないと感じていたナリは自分の拳を強く握る。そんな彼の言葉を、ツワブキは首を横に振って否定する。
「いいや。レムレスとなってしまった娘は、誰かがこの世から解き放ってあげなくてはいけない。それを貴方がやってくれたんだ」
「……。シオンさんに、恋人っていましたか?」
 ナリからの質問に目を見開いたツワブキは、ポツポツと話し始めた。シオンの恋人がレムレスに襲われ死んでしまった事。それを、彼女はすぐには受け入れられなかった事。彼女を慰めるために、前に進ませるために、笑顔を見るために、夏至祭をしようと決めた事。
「けれど、決断が少し遅かったようだ」
「……」
「ハハッ。そんなしんみりとした顔をしないでくだされ。もう巻き戻すことのできない過去に、しがみついてはいられないのだから」
 ツワブキはナリにニッコリと優しく微笑む。
「では、まだ身体が優れないとは思いますが、この中からでも夏至祭を楽しんでくださいね。どうか、シオンの分も」
 ツワブキはナリに一礼してから小屋の扉へと向かい、そのとびらを開けてから再び一礼してから去っていった。フレイも続いてその扉から去ろうとしたが、一旦立ち止まり、くるりとナリの方へ身体の向きを戻した。突然彼がこちらを向いたのに驚き、ナリが肩をびくりと跳ね上がらせると。フレイは頭をかきながら「あー」と何か言いたい事を言いたくないような、少しだけ嫌そうな顔をして、こう言った。
「ただの人間だと思っていたが……今回は、助かった。貴様があの時、精霊と共に戦ってくれなければ多くの者が死ぬ所だった。貴様の勇気に、感謝しよう」
「……?」
 彼からの称賛の言葉が信じられず、固まってしまったナリ。そんな彼を放って、フレイはほんの少し耳を赤くさせ「柄でもない事をした。ではな」と部屋を後にした。それから数分経ち、ナリはようやくフレイの言葉を理解したが、それでも彼は戸惑いを隠せずにいた。初対面で険悪な空気となった、あの神族に。
「俺、褒められたの?」
「褒め言葉外に何があるんですか?」
「わぁ!」
「……そこまで驚かれる事でしょうか?」
 褒められた事にまだ納得の行かないでいた彼だが、またも彼の背後からの声に驚きで声を上げてしまう。女性の呆れ声に振り向くと、そこにはいつのまにか姿を消していた風の精霊エアリエルがいた。
「エアリエル! どっから来た!?」
「窓から入りました!」
「よし、今度からちゃんと扉から来い! いきなり出てきたら驚くから!」
 ナリがそう返すと、エアリエルは唇を尖らせて「だって……扉には、あの神族がいましたし……だから窓で待機して、あの方が出て行って入ってきてみたら。ナリ様、考え事していましたし……」とぶつぶつと呟く。
「むっ……。で、今まで何処に行ってたんだ?」
「はい、仲間達に別れの挨拶を」
 彼女は特に寂しそうな悲しそうな顔もせずに、笑顔でそう言った。しかし、ナリはそこに疑問を持つ前に、彼女がなぜ別れの挨拶なんてものをしたのかという疑問の方が大きかった。
「別れ? なんで」
「ナリ様と、これから共に居るためにですよ?」
「……はい?」
「ロキ様からストーリーテラーの事などは、ナリ様が眠ってしまっている間に聞いております。これからもあの方についていくのなら、私の力は不可欠でしょう! ですから」
「いやいや、ちょっと待て! そりゃ、アンタが居てくれたら心強いけどさ! でも、アンタには何の得も」
 騒ぐナリの口を、エアリエルは人差し指を添えて黙らせる。
「いけませんよ? 貴方に拒否権は無いと、あの時言ったではありませんか」
「だからって、そこまで付き合う事ねぇのに……」
「まぁ、ひとまずはナリ様を気に入ったから、と思っておいていただければ! それでいいですか?」
「なんか雑だな……」
 そんな彼女の対応に不安は残りつつも、彼は隣に置いていた籠の存在を思い出し、そこからあの花を取り出した。
「ん」
 その花を、彼女の目の前へと持っていく。
「……えっと、これは?」
 エアリエルは戸惑いながら、ナリが渡してきた黄緑色の薔薇を受け取る。
「さっき、妹……ナルが持ってきた籠の中にあってさ。この色がなんか……アンタの髪や目の色と似てるなぁって、思って」
「……で?」
「でっ、て。いや、その……あの時、助けてくれたお礼っていうか、なんていうか。これからも、その、一緒に来てくれるお礼も、かねてというか……」
「……」
 きょとんとした顔のままのエアリエルに、ナリは真っ赤な薔薇のように顔を赤らめさせて。
「これから……よろしくな」
 と目線を少し斜め下にして言うと、彼女はそんな彼の姿にクスリと笑いながら、ナリから貰った薔薇に、口づけを落とす。
「はい。こちらこそ、よろしくお願いします。ナリ様」
 エアリエルは、このアルヴヘイムに咲く花のどれよりも、満開で美しい笑顔をナリに見せた。

◇◆◇

 それと同時刻。
 ナリのご飯を調達しに行っていたナルとロキは、その用事はすぐに終わらせたものの。
「さ、もう音楽が始まるぞ!」
「え、でも私、踊ったことなんて」
「だいじょーぶよ! 私と一緒に踊れば、楽しく出来るわよ! あ、でも足踏まないでね」
「それは無理です! 助けてください、ロキさん!」
「いってらっしゃ〜い。ボク、ここに居るから」
「ロキさん!?」
 ナルが豊穣の兄妹からからダンスに誘われてしまい、そのまま連行されてしまったのだ。ロキは慌ただしい嵐のような彼等が去るのを確認し、彼は騒がしい広場から離れ、妖精族の居ない隅の方へ行きどっしりと地面に座った。
「はぁ……疲れた」
「疲れたのに、白い亡霊について何も分からなくて残念だったな」
「っ!?」
 耳に入ってきた声に身体を震わせたロキは、勢いよく立ち上がり、自分が座っていた場所から距離を取る。先程自分が居た場所の背後には、あの黒ローブがいた。いつ見ても、フードの中には闇が詰まっているようで、その者の顔は見えない。
「君……なんで、こんな所に」
「ハハッ。ストーリーテラーについて、なーんにも進展してないから、可哀想だから見に来てあげたのさ。まぁ、進展したものは、あるにはあるみたいだけれど」
 黒ローブは顔部分をロキから、妖精族が踊っている広場の方へとチラリと移してからすぐに頭をロキへと戻し、肩を大きく跳ねさせ笑いながら質問を投げる。
「で、どうだ? 何か思い出したか?」
「思い、出した? なんの話だ」
 ロキの困惑する姿に、黒ローブは「そうか〜まだか〜残念だなぁ」と緩んだ声を出す。その声を聞いて苛立ちを感じたロキは、黒ローブに詰め寄る。
「おい、ボクは君に聞きたいことが山程あるんだ。なぁ、なぜ君も白い亡霊の事を知っている? それは、やっぱりストーリーテラーと関係があるのか? そもそも、君は一体何者だ!? それに、バルドルは……」
 ロキが黒ローブに質問責めを浴びさせるも、その者は「はいはいはいはい」と彼の言葉を遮る。
「質問は無し。したいなら、ストーリーテラーを見つけて殺しなよ。そこに行き着けば、自ずと全てが分かるんだ。この運命は、物語は、そういうことになっている」
「運命? 物語? 君、意味不明なこと言ってんじゃねぇぞ!」
「怒るなよ〜。そうだなぁ、じゃあヒントをあげよう。これから君達がどこに行けばいいのか……ヤルンヴィドへ向かえ」
 ヤルンヴィド。狼と魔女が住む森。
「そこで、彼女の大切な者と出会う。これで、平等。役者が揃う」
「また意味不明な事ばっかり、言いやがって!?」
 ロキは黒ローブに掴みかかろうとしたものの、その者はスルリとロキの手から逃れ、森の奥へと飛んでいく。
「捕まえられねぇよ?」
 黒ローブの言葉にまだ理解が追いついていないロキに、その者は笑い声を森中に響かせながら、闇の中へと溶けてしまったかのように消えていった。ロキは黒ローブを捕まえきれず、「くそっ」と黒ローブに向けるはずだった怒りを拳に集め、地面を何度も何度も殴った。
「わけ、わかんねぇよ」
 そんな彼を、遠くの木の陰から見守る、白い影があった。

『……あと、もう少しだけ』