「着いたぞ。今回は安全飛行であったろ?」
ファフニールはギンヌンガップ山脈のふもとへと兄妹を運んだ。彼の言うように、最初に乗った時よりはゆるやかな空の旅だった。
「おう。すげー気持ちよかったぞ」
「空の旅もいいですね」
「そうだろう、そうだろう! また帰ってきたら乗せてやるからなぁ」
自分の飛行や好きな空を褒められてしたり顔のファフニールは「そんでロキ、いつこちら側に来たらいいかの?」とその顔のままで彼に話しかけた。
「その白い亡霊の目撃情報だけ聞くつもりだから……二、三時間後ぐらいに来てくれないか?」
「あい分かった。ではまたここで待っていてくれ」
ファフニールは翼を動かし風を小さくたてながらまた空へと上がっていき、ニタヴェリルの方向へと飛んでいった。「それじゃ行くか」と森の中へと歩き出すロキに従って、兄妹もその後ろへくっつきながら歩き出す。森に入ると、月明かりが木の葉の隙間からしか入ってこず、少し不気味に感じられた。そんな中、あの時から沈んだままであまり喋らなかったナルが口を開く。
「ロキさん。魔法って、私にも使えたりしますか?」
「魔法を?」
前を歩いていたロキが兄妹の方へ顔を振り向かせながらナルの言葉を繰り返した。ロキは「そうだな……」と間をあけながら、ナルの横へと移動する。
「基本的に、魔法っていうのは先天的な物で、後天的に魔法が使えるようになったり誰かに譲ってもらったりとかは不可能だ。だから、人間であるナルちゃんには魔法は使えない」
ロキの希望の無い答えに、ナルはまた見るからに落ち込んでしまう。ナリはそんな彼女の頭を撫でて慰めながら、今度は彼がロキに質問をする。
「ロキは? ロキは元巨人族だろ? あの炎の魔法はどこで習得したんだ?」
先程ロキは後天的には無いとは言っていたが、魔法が使えない巨人族であった彼自身も、例外ではないはずだ。
「ボクは巨人族であっても、炎の巨人族だ。巨人族にも霜の巨人と炎の巨人がいる。霜の巨人は魔法を使う事は出来ず主に筋力を主体として戦う。逆に炎の巨人は、その名の通り炎の魔法を使えるのさ。それより……なんで魔法を使いたいんだ?」
ロキがもっともな疑問をナルにぶつけた。当の聞かれた本人であるナルは「えっと……」と目線を下にさせウロウロさせる。そんな寄り道ばかりする目は一瞬だけナリと目が合った。
「そこにいるのは誰だ!」
目は合ったが、森の影から聞こえた声によってすぐに互いの目は逸れてしまう。ようやく暗闇に慣れてきた目を凝らし、声のする所を見てみると、そこには三つの人影と松明があった。ナルが兄とロキの袖をギュッと握る。ナリはその手を上から優しく包みながら、その影を見続けた。
それはゆっくりとこちらに近付き、ようやくちゃんとした姿が見えてくる。三名とも男で暗めなクリーム色の髪はうねっている。特徴的なのは耳がピンと尖っている――妖精族だ。妖精族は温厚な種族であまり争いを好まない種族のはずだが、その手には弓を持ち茶色の瞳はロキ達に狙いを定めているかのようだった。
「……武器を下ろしてくれないか?」
ロキは彼等に提案しながら、ナリにも目と指で剣を示して指示する。ナリはそれに頷き、剣を地面に置く。これで武器は何も無いのだが、妖精族はまだ警戒心を解いてはくれなかった。
「そんな所で何をしている」
と、また暗闇から威厳のあるような声と足音が聞こえた。現れたのはまた彼等と同じ妖精族の男で、彼が現れたことで彼等は頭を下げる。今更だが男の服を見てみると、最初に会った妖精族よりも衣服に模様が多かった。きっと、彼等の関係は主と彼に仕える兵士かなにかだろう。
「ツワブキ様。見知らぬ者が森に入ってきていたため、捕らえようとしておりました」
「……貴方様は」
ツワブキと呼ばれた男は、兵士達の報告を聞き目線をロキ達に移した。移した瞬間、彼は目を丸くさせるとその兵士たちの前に入り、先程の兵士のようにロキと兄妹に向かって頭を下げた。正確には、ロキだけに向かってだ。
「うちの者達の非礼をお許しください、邪神ロキ様」
ツワブキが頭を下げたことに意表を突かれた兵士達は、すぐに彼等も頭を下げた。が、ヒソヒソとなにやら話し声だけは聞こえていた。その話す姿に目をやりながら「いや、別にいいさ」とロキはいたって平然に、何も気にしていないかのように口角を上げ、印象の良い笑みを顔に貼り付けていた。
「本日はどのようなご用件で?」
「少し聞きたいことがあってね。誰かを探しているみたいだったようだけれど、いいかな?」
「えぇ。少しの間だけならば部下達に任せます。では私の家で話をいたしましょう。妖精の国までご案内します」
◇◆◇
ツワブキに連れられて森を抜けると、多くの声と匂いがロキ達を出迎えるアルヴヘイム。森の中央につくられた小さな国であり、家のすべてはとてつもない太さの大木を切り抜いた状態のものばかりで、それらの窓から零れる家の明かりが暖かく感じる。それぞれの家の周囲には多くの花が植えられており、甘い香りや少し酸っぱい香り、まるで果物のような匂いがこの国を包んでいる。今は何かの準備をしているのか、多くの妖精族は忙しなく動いていた。
「あれ、何やってるんだろう」
ナリの隣を歩くナルが指を差した方向には、子供たちが沢山の花を使って花冠を作っている姿であった。
「あれは夏至祭で大切な人に渡す花冠だ」
ナルの疑問に、後ろにいた兵士がその答えを出してくれた。
「今、世界はこんな状況であるし、夏至を感じる事は無いのだけれど、こんな時だからこそ伝統を楽しもうという事で開催するのさ。流石に他種族を呼ぶことはしないけれどな」
「そうなんですね。小人族の方がいつも楽しみにしていると言っていたのですが、呼べないのは残念です」
「おぉ。小人族の者が。楽しみにしていてくれていたのならそれは嬉しいことだ。その者に伝えてくれ、この夜が明けたら共にまた祝おう、と」
兵士は自国の行事を楽しみにしてもらえている事に喜悦の笑みを見せた。兵士は最初の印象よりもはるかに気さくな者達ばかりで、兄妹の髪を見ても何も言わず、普通に話かけていた。先程まで沈んでいたナルは綺麗な花を見たからか、ナリが思うに気分が良くなっているかのように見える。
そうしているうちにいつの間にかツワブキの家へと辿り着いた。そこでロキがくるりと兄妹の方へと身体を向ける。
「ボクは話を聞いてくるけど、君達はどうする?」
「どうするって」
「別に一緒にいなくてもいい内容だし、どうせならこの国を周ったらどうだ? 色んな国で遊ぶのが夢だったんだろ?」
ロキの提案に、兄妹は互いに顔を見合わせる。
「……俺達、そんな事言ったっけ?」
「……それは言ってない」
兄妹は顔をほんの少し青ざめ「まさか」とロキを見る。
「……………」
ロキは自分で自分のした事を暴露してしまった。彼等の表情から察するに、見られたくなかったものだったのだ。
「なぁ、ロキ」
「ほ、ほら行っておいで。ボク等話してくるから」
ロキはナリ達から目を逸らし、苦笑いを浮かべながらツワブキの背中を押して家の扉を開ける、と。
「あら? 外が騒がしいと思えば」
「邪神ロキ、なぜ貴様がここにいる?」
扉を開けた場所から現れたのは、疎ましい表情をする豊穣の神フレイとフレイヤであった。彼等がいる事に驚きながら、ロキは「お、おう。ちょっと調べ物をな」と深い内容までは語らず答える。彼等もそこまで興味があるわけでもなかったのだろう、その答えに「そうか」と素っ気なく返した。ロキはツワブキの耳元でなぜ彼等がここにいるのかと尋ねると、彼はフレイとフレイヤはこの国担当であるからと答えた。彼の答えに納得するロキの横を、豊穣の兄妹が通り抜ける。
「面倒な事は起こさないでくれよ、邪神ロキ」
「折角の夏至祭だもの。台無しになんてしたくないから」
豊穣の兄妹から刺々しい言葉を受けたロキは、ヘラヘラと笑いながら「話を聞いたら、ボクだけはさっさと帰るさ」と言って、ツワブキと共に家の中へと入った。そんな彼の態度も気に食わなかったのか、豊穣の兄妹は眉をしかめたままその場をさろうとした、が。「おい!」と怒気を含ませた声で豊穣の兄妹を呼び留める者がいた。彼等が声のした方を振り向くと、そこには豊穣の兄妹を睨むナリとナルを見つける。彼等の銀の髪と瞳という珍しい容姿にほんの少し目を丸くさせ驚きながらも、彼等が自分達を睨む態度が気に食わないと感じたのか、不機嫌な表情で「なんだ貴様等は」と兄妹に問いかける。
「俺はナリ、こっちは妹のナルだ。アンタ等さ、ロキに対してなんなんだよあの態度!? あんまりだろ。ロキがアンタ等になにをしたってんだ!?」
ナリの怒りが理解出来ず、フレイは首を傾げる。
「何もしてないが? ただ、我々は邪神ロキの存在が疎ましいだけだ。邪神ロキ、元巨人族である奴を良いと思うものなどいるわけないだろう」
「まぁ、物好きな奴は少しばかりいるけれど。貴方達も、ロキを慕う物好きのようだけれど……一体、邪神ロキのなんだというの?」
フレイヤの質問に兄妹は言葉を詰まらせた。どういう関係と聞かれても、なんと返せば良いのか分からなかったからだ。それでも、ナルが一歩踏み出して口を開く。
「どういう関係と聞かれると……私達とロキさんは、我が儘を言って一緒にいるまだ名前の無い関係ではあるけれど……」
ナルはギュッと手を握る。
「私達のこの異質な色を、綺麗だと言ってくれた。私達を助けてくれた。そんな優しいロキさんの事を悪く言われるのは……気分が悪いです」
ナルが珍しく怒っている姿を目をパチパチとさせて見るナリだが、彼女の言葉に同意である事を伝えるかのように妹の肩を叩く。そんな兄妹に豊穣の兄妹は「はぁ?」と呆れ顔を向ける。
「なにそれ。邪神ロキが人助け? 面白い事もあるのね」
「貴様等の気持ちは伝わった、不愉快な気持ちにさせてしまったのもな。が、だからといって我々の考えは覆らないぞ。ではな」
豊穣の兄妹はそう言い残して、まだふつふつと怒りを漂わせている兄妹の隣を横切って行った。立ち去った豊穣の兄妹は、歩くたびにその場にいる妖精族にお辞儀をされており、それを彼等は軽く手を振って返していた。そんな彼等をまだ睨んでいる兄妹に「おい」と背後にいた男が優しく声をかける。
「神族相手によくもまぁ、あんな態度取れるな」
「あれが神族なのか? 嫌な奴らだったぜ」
「まっ、神族全てがあんな性格では無いさ。あの方々は豊穣の神フレイ様とフレイヤ様。あの方々が少し性格に問題があるだけさ」
男は最後の言葉だけは小声で、彼等に対して悪態を吐く。
「さ、怒るのはもう終わりにして。気分転換に国でも周らないか? 案内するぞ」
「いいんですか?」
「あぁ。改まして、俺の名前はヒイラギ。なんなら、子供達と一緒に花冠を作るか。思い出になるだろ」
「「する!」」
先程まで苛々していた兄妹は目をキラキラさせて応えると、ヒイラギはそんな彼等の表情を見て笑いながら「じゃあ、さっきの子供達に混ざりに行くか」と言って歩き出す。そうしてヒイラギの優しさに甘えて、兄妹はさっき見えた子供達の元へと向かう。「どんな花があるのか?」「花冠を作るのにコツはあるのか?」と、ナルはヒイラギに聞いている姿を微笑ましげに眺めながら、ナリもその話に混ざろうとした。
「……あ」
しかし、彼は突然足を止めて、深い闇の広がる森へと目を向ける。
彼の耳には、とある詩が聴こえていた。
踊りましょう。唄いましょう。
月が浮かぶ湖の上で。
輝く花畑の中で。
優雅に舞おう。
いつまでも貴方と。
ハープのように繊細で透き通った声が。どこか懐かしい、この声に。ナリは目頭が熱くなるのを感じていた。
この歌声は、ナリにしか聴こえていないのだろうか。ナリ以外誰も、この美しい歌声に立ち止まる者は居ない。
そうして、ナリの足はようやく動き出す。
その詩を求めて。