2篇 炎照らす銀1


 「なぁ、起きろよ」
 誰かの話し声がする。
「そんな所で寝てたら風邪ひいちゃうよ?」
 それはとても懐かしく、心を幸せにする声。
「「××××」」

◇◆◇

「う……ん」
 ロキは唸りながら、ゆっくりと重い瞼を開ける。起きたばかりで霞む彼の瞳に映されたのは、古びた天井。
「あれ、確か誰かに起こされ……あぁ、夢か……ならもうちょっと寝て……ん?」
 ロキはもう一度眠りにつこうとシーツに包まるも。自分の今の状況に関してある疑問を持つ。河に落とされた自分が、なぜどこかも分からぬ寝台で眠っているのか。
「ここど、こ!? いっ!?」
 驚きのあまり身体を起き上がらせようとしたロキであったが、彼の身体全身に電流が走り、彼の動きを鈍らせる。
「いったぁ……そうだった、ボクはアイツに崖から落とされて」

『大丈夫、死にやしないさ。ただ、君のこれからの運命に繋げるための手伝いをしているだけなんだから』

「なーにが、死にはしないだ! 死なない代わりに身体中いてぇぞ……くそ、運命の手伝いだとかおかしなこと言いやがって……今度会ったらただじゃおかねぇ」
 ロキはここに居ない黒フードに憤激しながら寝台から起き上がり、自分の居る部屋の中を観察する。ロキが目覚めた部屋には、彼の使っている寝台と山のようにある本棚と積み重なった本があるだけであった。ただでさえ部屋全体が古いというのに、その本の重さで床が抜けてしまいそうな程にだ。服は自分が着ていたものは全て脱がされていて、代わりにボロボロな服を着せられていた。
「もしかして、乾かしてくれてるのか? 一体どこの種族が――っ」
 部屋の観察などで夢中になっているロキの耳元に、外からの鐘の音が届けられる。鐘の音につられて、ロキは自分の真後ろにある閉ざされた木製の窓に手をかけた。そうして、ギシッと軋みながら開かれた窓からの景色に、ロキは目を丸くさせる。
 その窓からは、青空が見えた。
「青い空。ということは……ここはミッドガルドか」
 人間の国ミッドガルド。この世界に棲む種族で一番突飛な力も持たない平凡な種族、人間族が暮らす国だ。彼等は神族を信仰し、男は死んでもエインヘリヤルとして神族に仕える。その約束により、人間族は神々から多くの加護を受けている。レムレスや野蛮な種族からの侵略から守るための高い壁。力を何も持たない彼等の保護。そして、これはこの世界が夜だけとなってからのものだが、空に擬似的な太陽と青空が広がる術式が張られ、朝と夜が来る以前と変わらぬ平和な生活を人間族は送っているのだ。
 そこでロキは思い出す。この世界を変えてしまった、ストーリーテラーの事について。そして、あの黒ローブが言っていた事を。

『なぜ君に頼むのか。それは君がしなければいけない事、償わなければいけない事だからさ』
『君は、この夜の意味を知らなければいけない。その意味を知らずに死ぬのは、もう許されない』

「ストーリーテラーを殺す。それは、ボクがしなければいけない事。そんなもの、オーディンみたいな奴がすることだろ、なのになんでボクが。一体、ボクとそいつに何の関係があるんだよ……はぁ」
「あっ」
「えっ?」
 黒ローブの言葉を理解できずにいたロキ。そんな彼の背後から、可愛らしい声が聞こえた。その声の方へ首を回すと、部屋の奥にある扉の所に女の子がいた。その少女の手には、ロキの服一式を持っていた。
「良かった、目が覚めたんですね」
 無事に目覚めたロキに少女は可愛らしい笑みを向けて、彼の元へ駆け寄る。
 十代半ばに見える彼女はボロボロなワンピース、汚れた身体。身なりもそうだが、極めつけは銀色の髪と瞳。銀という珍しい色だからか、異様な雰囲気をまとっているように感じる。しかし、ピョンと跳ねたアホ毛やパッチリとした瞳で、可愛らしい印象の方が勝っていた。
「お兄さん、河で倒れていたんですよ? 覚えてますか?」
 乾かされた服をロキに手渡しながら少女は話す。そんな少女の話にロキは首をひねる。確かに彼はミッドガルド近くにあるウィークリーズの崖から川に落とされた。運良く岩か何かに引っかかっている時に助け出してもらえたのだろう。しかし、ロキが気にかかっているのは場所についてだ。その落とされた川は人間の国とは繋がっていない。しかし、彼等がこの壁から出て、その付近まで出かけていたというのなら辻褄は合う。だが、今はレムレスの事もあって人間族は国の外へ出ることを禁じられている。だからこそこの国で暮らす彼女が、ロキを助けることなど出来るはずがないのだが。
 その疑問を解消すべく、ロキは咳払いをしてから少女に話しかける。
「えっと……一つ聞いて良いか? その……ボクの事をどうやって?」
「? それはご飯の調達に、兄と外へ」
「なんだ、もう起きて大丈夫なのか?」
「あっ、兄さん」
 少女がロキの質問に答えようとしている途中で、少女と顔がよく似た、兄と呼ばれた少年が扉から顔を出していた。彼は妹に笑みを浮かべ、ロキと妹の元へと歩み寄ってくる。
 彼は長めの髪をカフスで留め、歩くたびにそれが少し揺れる。ボロボロな服に汚れた身体。そして、銀の色が異様ではあるものの、これまたピョンとはねたアホ毛と彼の爽やかな顔つきがそれを消し去っている。
「もしかして、君がボクをここまで運んでくれたのか?」
「ん? まぁ、妹がアンタを助けたいって言ったからな。仕方なくだ」
 彼は隣にいる少女の頭を優しく撫でながら、自己紹介を始める。
「俺はナリ。こっちが妹のナルだ。アンタは?」
「ボクは……ロイだ。その、ナリ。一つ聞きたいことがあるんだけど、いいか? ボクの事はどうやって見つけた?」
 ロキは彼等に偽名を名乗り、彼にとナルと同じように質問を投げる。すると、ナリは至極当たり前のようにこう話した。
「今朝、ちょうど食料を探しに外に出て行ってたんだ。ついでに水も汲もうと河に行ったらアンタが岩に張り付いてたから」
「……なんで、わざわざ食材を探しに外へ? 此処はミッドガルドなんだろ? 食料ならヴァルキリー達が配給しに来てるって――」
 パリン、と耳をつんざくような音が床下から鳴り響いた。
「なんだ!?」
「チッ。またアイツ等」  
 ナリの顔が憎悪に歪む。ナルも怯えきった表情を見せ、ナリにしがみついている。そんな二人の様子に驚きながら、ロキは窓に近付いて顔は出さずに、外の様子を確認する。 彼の瞳に映ったのは、この家の前に兄妹と同じ年頃であろう青年達がニヤニヤと笑っている姿であった。青年達は地面に落ちている石を拾っては、家の一階へ勢い良く投げつける。彼等が石を投げる度に、一階から何かに当たる音や壊れる音が家中に響く。
「おーい居るんだろ! 化物兄妹!」
「一緒にあ~そび~ましょ〜!」
「俺達色々溜まっててさ、憂さ晴らしさせろよ〜!」
 青年達は礼儀のなっていない、汚い言葉ばかりを兄妹達の家に向かって吐き散らかす。
「言わせておけば!」
「兄さん駄目!」
 ナリが部屋の隅に置いていた木の剣を持ち、外へ出て行こうとした。しかし、ナルが兄の腰周りにしがみつく。
「ナル、離せっ!」
「駄目!」
 必死に兄を止めようとするナル。ナリはそんな彼女の顔から目を逸らし、自分の行き場の無い怒りに手を震わせながら「分かったよ」と舌打ちしながら木の剣から手を離した。
「あっれ〜? マジでいね〜の?」
「つまんね~の」
「ちぇっ」
 目的の人物が居ないと判断した青年達は、ぶつくさと文句を言いながら街の方へと帰っていった。それを見送ったロキは恐る恐る兄妹に問いかける。
「なぁ。アイツ等よく来るのか? なんで、こんな事しに来るんだ?」
 ロキは戸惑いながら彼等に先程の青年達について問いかけた。
「なんで? おかしな事を言うんだなアンタ。俺達のこの姿を見て分かるだろ」  
 ナリは言葉に棘を含ませながら、ロキにそう返した。ナルはまだ兄にギュッと抱きついたまま、ロキの事をグルグル、グルグルと暗い感情渦まく瞳でジッと見ている。
 ロキはもう一度、兄妹の姿をじっくりと見た。汚らしい服装。汚れのついた身体。 そして、銀色の髪と鈍く光る瞳。人間の国では珍しい。いや、他国でも滅多に生まれないその色。自分達とは違うから、普通ではないように見えるから。だから彼等は、普通であるとされる者達から拒絶や嫌悪を向けられるのだ。先程の青年達の行いのような事を。
「俺達はこんな髪と目を持っているから、他の人間達に嫌われているんだ。この世界がおかしくなったのも、俺達のせいだって! ……俺達だって何の力も持たない、普通の人間だってのにっ!」
 ナリは己の手を、爪が食い込むほど強く握りしめる。彼の先程のような輩への憎しみは、きっと深くどす黒いものなのだろう。多くの者は普通なら生まれないであろうその色に、嫌悪を抱くのは当然なのかもしれない。
 しかし、ロキは。
「ボクは、綺麗だと思うけど。その色」