8篇 語り部の変えたかった運命2


一瞬の出来事で、今の事態を把握出来ず棒立ちのままの彼等だったが。カラン、とナリの剣とナルが持っていた杖が落ちた音で皆我に返る。
「ロキ達をどこにやった⁉」
 慌てる彼等が滑稽に思ったのか、黒ローブは笑いながらバルドルの質問に答える。
「彼等だけに話すことがあるからね、彼等の記憶が眠る場所に案内してあげただけさ。で、君達は退場。もう必要のない役者だ。これからは、あの三人と一人の時間だから」
   そう教えると、「返して」とボソッと誰かが呟く。それはエアリエルの声だった。彼女は怒りの眼差しを黒ローブに向けながら、身体中に自身の風の力を纏わせていく。それはフェンリルも同じ。彼も冷たい怒りの瞳で黒ローブを睨んでいる。
「「「――っ⁉」」」
 ガクッ、とフェンリルとエアリエルが地面へと倒れこんでしまう。しかし、バルドルだけは意識が飛ばされぬようにと倒れながらも、必死に踏ん張っている。
「なん、だ」
「急に、眠く、なっ、て」
 エアリエルは自身の胸部分で拳を強く握り締めながら最後にこう呟いた。
「あぁ、また。あの夢のように、貴方を救えないのね」
 彼等が眠りに落ちてしまうと、黒ローブは「じゃ、約束は守ったからな」とホズの肩を叩きながらそう言って、姿を消した。ホズが黒ローブが姿を消した空間を睨んでいると「ホ、ズ」とバルドルが再び彼の名を悲哀に満ちた声で呼ぶ。ホズは、今度はバルドルの呼ぶ声に応えた。
「……兄様」
 ホズはゆっくりと倒れているバルドルの傍へと歩み寄り、目の前までやってくると彼は苦しげな顔を浮かべ、声を振り絞りながら口を動かしていく。
「兄様。僕は……数日間、貴方の身体を借りた」
 彼の唐突の告白にバルドルは一驚する。ホズはそのままバルドルに質問の隙を与えぬように話を進めていく。
 自分が黒ローブの力を借りて、バルドルの身体を使いロキや神族を誘導していた事。その誘導で神族と巨人族の戦争を起こそうとしていた事。そして、父である最高神オーディンと会話をした事。
「オーディンが兄様と話す時は、あんなにも暖かな声で、愛に満ちた目で見るんだね。僕がきっと話しかけても、あの人は冷たい声しか出さないだろうから。分かってはいたけれど……感じることができて良かったよ」
 ホズは、オーディンと会話を交わした事について哀感を帯びた声で話しながら、彼の表情が読める口元は、歪んだ笑みを浮かべている。そんな彼の顔を話を、見る事も聞く事も耐えられそうになくなっていたバルドルが、彼に言葉をかけようとする。
「ホズ。私は――」
「兄様」
 しかし、ホズはバルドルの言葉を聞かぬようにしているかのように、自分の言葉を重ねていって、彼の声を遮っていく。
「これから夢から覚めて、思い出すであろう記憶の事。そして今回の事。謝って済む話じゃないけれど……。ずっと、ずっと、貴方を愛していたかった。貴方の優しさに、愛に、向き合えなかった。勇気がなかった……僕が、悪いんだ」
 悲しみに埋もれるホズの傍に駆け寄ろうと、バルドルは立ち上がろうとするのだが、身体は彼の動きを許さず、バルドルは身体のバランスを崩して、地面へと倒れ込む。
「もう、遅いよ。アイツも話してたでしょ。もう時間なんだって。僕も、もう……」
 ホズは自分の震える手を見つめ、再びバルドルへと顔を向ける。彼はもう、声さえも出せずにいた。兄がどんな顔をして自分を見ているのか。声で判断が出来なくなったホズは、哀愁を帯びた笑みを浮かべて、彼に最後の言葉をかける。
「おやすみ、兄様」

◇◆◇

「……ここ、は」
 ナリが目覚めると、そこは薄暗い場所だった。周りはゴツゴツとした大きな石に囲まれており、灯りは至る所に火立てがあるもののそれらは付いておらず、石の間から漏れる月明かりと唯一の出入り口からのみであり、彼等はそんな場所の中心にいた。ナリは隣でいまだに眠るナルの身体を揺らす。
「おい、ナル。起きろ」
 ナルは「んんっ」とナリの声に答えながら、ゆっくりと目を開けていく。
「兄さん? ……ここ、は?」
「俺にも分からないんだ。あの、黒いローブの奴に飛ばされたんだろうなってことしか。それにしても、アイツはなんなんだ? ……ナル!?」
 ナリが周囲の様子を窺っていると、ナルが身体を小刻みに震わせ、冷や汗を大量に流していた。
「ナル、どうしたんだよっ!?」
「分からない! 分からない! 私、此処に居たくない! 居たくない! 怖い! 恐いの、兄さん!」
 涙を流し怯える彼女の様子に一驚しながらも、ナリは彼女を自分の方へと抱き寄せ、「大丈夫。兄ちゃんがいるから、な? 大丈夫だ」とナルの背中を優しくさする。その動きに合わせて、ナルはゆっくりと深呼吸をする。
 だんだんと彼女の息遣いが落ち着いてくると、ナルは妹の顔を見て「もう大丈夫か?」と優しく声をかける。その声に対しナルは頷く。
「でも、兄さん。早くここから出てロキさんやバルドルさん、エアリエルさんにフェンリルさんも探さないと」
「あぁ。さっ、立てるか」
 ナルはナリに引っ張ってもらいながら立ち上がり、共に出入り口へと向かおうとする。しかし。
『ネム、ロウ』
「「っ!?」」
 そこには、レムレス達が兄妹を赤い瞳で見つめながら群がっていた。ナリは自分の剣を取ろうとしたが、腰に剣が無い事に今更気付く。ナルはまだ震える手を無理やり抑えながらも、自分の手を見つめる。
「出来るか、分からないけど」
 ナルは自分の手をレムレスに向け、あの呪文を告げる。

『エイ『エイワズ』……え」

 ナルが最後まで言い終わる前に、何者かが同じ呪文を告げる。その呪文と共に白い球が群がっていたレムレス達がどんどんと倒されていく。その様子を、兄妹は立ちすくんで見つめており、ナリは目を丸くしているだけであったがナルは自分の頭に聞こえてきた言葉と同じ物が誰かの口から聞こえてきた事に驚いていた。そして、その声自身にも。
「あの、声の人?」
 全てのレムレスが倒され消えると、出入り口に立っていた者の姿が黒いモヤの中からようやく見えるようになった。そして、そこには。
「白い、亡霊」
 白く長い髪に赤い瞳を持つ女。ファフニールから聞いていた、白い亡霊がそこに居た。なぜ彼女が自分達を助けたのかと喫驚するものの、そんな彼等などお構いなしに彼女は兄妹に近付く。兄妹は互いに身を寄せ合い、彼女を睨みつける。
 そして、彼女が兄妹の目の前までやってくると、ニコリと彼女は兄妹に優しく微笑んだ。
「ヤット アエタ ネ」
 その微笑みに、兄妹は心の片隅で何故かあたたかな安堵の感情が生まれる。彼女の身に纏う雰囲気は異質であっても、その微笑みだけは愛おしさを感じとっていた。
「……貴方は」
 誰も口を開かないでいた空間で、ナルが声を出す。
「貴方は、何ですか」
 その問いかけに白い亡霊は、また優しげな笑みを浮かべて、兄妹の頬に手を伸ばす。二人共、その手から逃れず自分達の頬に彼女の手が触れる。
「アナタタチハ ワタシノ」

◇◆◇

「ん……」
 ロキはゆっくりと目を開けて身体を起こすと、自分の居る場所をぐるりと見る。この場所に、ロキは見覚えがあった。
「ココは、もしかして」
 此処は彼が彼女と共に過ごしていた、大木の洞窟の中であったのだ。彼女との出会いの場所であり、思い出の場所であり――。
「そして、全てが終わる場所」
声のした方へと振り向くと、この空間の入口に、「やぁ」と意気揚々とロキに手を振る黒ローブの姿があった。そんな黒ローブを睨んでいると、その者は「ちぇっ、つれないなぁ」と手を振るのを辞めて、ロキへと近付いていく。
「君、こんな所に連れてきて何のつもりだ」
「君が言ったんだろ? 教えてくれってさ。ナリやナルも連れてきたつもりだったんだけど……どっかで落としたか」
「おとっ!? 何やってんだよ!」
「まぁまぁ、そんな怒んなって。もう時間もないし、どうせ皆消えるんだ」
 黒ローブは、哀しげな声音でそう言った。そんな彼の声に、ロキは何も言えずにいた。
「さっ、それじゃあ」
「なぁ」
「あぁ? 別に急かさなくても話はするぞ」
 ロキは黒ローブの話を遮り、その者にある事を言い放つ。
「その話と一緒に。君の話もしろ」
「はぁ? それ、いるか?」
 黒ローブの呆れた声音に、ロキはムッと顔をしかめる。
「あぁ、必要だとも! 散々、意味深げな事ばっかり言って振り回しやがって! なーにが、代行者だ! あと、川に落とされた後凄く痛かったからな!」
 ロキの口から放たれる多くの言葉の槍に刺されながら、黒ローブは「うるさ。……はぁ。なんで、こんな奴から」と小さく呟き、ロキの目の前までくると、渋々といった動作で自分の顔を覆い隠していたフード部分に手をかける。
「君、子供達の前だとそうでもないのに、今のはかなり言動がガキっぽいぞ。それに、振り回すだなんて言い方は気に食わないな。それがボクの役割だと言われたんだ、文句なら母様に言え。まぁ、川に落とした時とかは遊んでたし、死ねばいいと思ってた」
「やっぱりな!? ふざけやが、って……え」
 黒ローブの発言に苛立ちながらも、ロキは目の前にいる黒ローブの姿に驚愕し、口を開いたまま言葉を止めた。
「あはは、ごめんって。だってさ」
 黒フードがフードを脱いだ。
 その中から現れた三つ編みが、風によってなびく。
「君を見てると、イライラするんだよ」
 レムレスを思わせるような黒色の髪と赤色の瞳。
 それ以外の髪型や容姿の何もかもが。
「やっぱり、ボクの本体だからか?」
 邪神ロキ、そのものであった。
「まぁ、そのへんはボクもよく分かってねぇけど」
 黒ローブの正体に、ロキは震える身体を抑えながら彼に問いかける。
「なんで、ボクの姿なんだ?」
 黒ローブはロキの質問を聞きながらも、彼の傍に落ちていた本を拾い上げ、ある場所を開く。
「ボク自身の事を話す前に、君の記憶について話そう。そうすれば、おのずとボクについて知ることとなる」
 黒ローブが開いた場所には一体何が書かれていたのか、その頁から全て破られていた。その者はそこに手を触れ、ロキと同じ顔で、彼に微笑んだ。
「それじゃあ、語ろうか。ストーリーテラーが変えたかった、守りたかった、運命の物語を」