7篇 泡沫の追憶3


「ナリ君!」
「バルドルさんっ!?」
 バルドルが海辺へ行くと、ナリと倒れているトール、そんな彼の名を呼びながらヨルムンガンドは自身の顔の憂色を濃くさせる。トールの疲労困憊な様子を見て、バルドルは不安げな顔を見せる。
「ナリ君、これは一体」
「レムレスと戦ってて、さっきようやく終わったんだけど……トールが、倒れて」
 ナリ、エアリエル、バルドルがトールに目を向けると、トールは「やぁねぇ」と弱々しく話し始める。
「ちょっと、戦い過ぎて疲れちゃったのよ。それよりも、バルドル様。なぜここに? それに、ロキは?」
 バルドルがエッグセールの占いやロキの現状の話をすると、ナリはロキの事も驚いていたが、それよりもヨツンヘイムという単語に強く反応する。
「ヨツンヘイムって、巨人の国だろ!? 実はナルがそいつらに攫われちまって!」
「ナルさんが!? それは急がなければ」
「では、アタシの山羊をお使いください。アタシはいけませんが……」
 トールの願いを、バルドルとナリは受け入れ、彼の所有する山羊の元へと走って向かう。そんな彼等の背中を見つめるトールに、傍に居たヨルムンガンドとマリアが優しく話しかける。
「ハニー、大丈夫? さっきの戦い、途中から動きが鈍ってたよ?」
「貴方らしくないわ。レムレス討伐に手こずるなんて」
 彼等の言葉に、トールはまた弱々しい笑みを見せる。
「そう、なのよねぇ。身体に、力が入んなくて……それに、妙に、眠いのよ」
 トールは自分の手を何度も開いたり閉じたりするが、その動きはとてもぎこちないものであった。そんな彼の身体の様子を見て、ヨルムンガンドは彼の身体に自分の顔を擦り付ける。
「大丈夫だよ、ボクちゃんがいるからね」
「……なんだか、前にもこんなことあった気がするわね。動かなくなっていく私の身体の傍に、貴方が居る」
 トールの言葉に、「こんな一大事な事、前にあったかな?」とヨルムンガンドは首を傾げる。そんな彼に「さぁ? なんとなく、そうおもってしまっただけよ」とトールは苦笑いを見せる。そして、既にヨツンヘイムへと向かっていったであろうナリ達に向かって言葉をかける。
「頼むぞ。ナリくん、バルドル様」

***

「夏至祭?」 
 ロキは昨日の今日で上手く目を見て話せないまま、シギュンに夏至祭について話した。 
「そう。妖精の国で行われる夏至を祝う祭なんだけれど、そこに咲いている花が綺麗でさ。君、花は好き?」 
「どちらかといえば好きよ。そんなに沢山咲いているの?」 
「あぁ。至る所に色んな花が咲いているんだ。きっと、見ていて飽きないと思うよ。どうかな?」 
 シギュンはロキの話を聞き「そうね……」と考え込む。このまま行かないなんて言われたらどうしよう、などとマイナスな感情がロキの中へと押し寄せてくる。 
「いいわよ」 
「……ホント?」 
 しかし彼女の言葉で、ロキの中にあったそんな負の感情が全て無になる。 
「本当よ。そのかわり、ちゃんと案内してね」 
「もちろん。じゃあ、明日は迎えに」 
「大丈夫よ。一人で行けるから」 
「えっ。一人で来れる?」 
 この世界の移動手段は大きく分けて二つある。馬などの生物に乗るか、鷹の翼という道具で空を飛ぶか、だ。彼女がその二種類のどちらかを持っている所や使っている所をロキな見たことが無いのだが。 
「もちろん。だから貴方は仕事に専念してちょうだい」 
 そう言う彼女にロキは頷くしかなかった。 どうやって来るかなど聞いても、また秘密だのなんだのと軽くあしらわれてしまいそうだと予想出来たため、彼はあえて聞かなかった。 
「じゃあ夕刻に、国の入り口で待ち合わせ。きっとそれぐらいの時間なら、自由利くから」 

◇◆◇

 そして当日。
 雲ひとつ無い晴天の下、ミッドサマーイヴは開催された。既に妖精の国の広場は妖精族、神族、小人族、僅かに人間族などが祭の雰囲気にあてられて楽しそうに騒いでいた。夏至祭は多くの種族と祝いたいからという妖精族の配慮のおかげで、こんな風に多種族が混じり共に祝っているのだ。
 オーディンと付き添いのロキとバルドルは、広場一帯を見渡せるぐらいの高さもある壇上へと案内され、オーディンは用意された椅子へと座る。
「オーディン様。この度はミッドサマーイヴにお越しくださり、ありがとうございます」
 すると妖精族の長、ツワブキとその長の娘シオンが現れ、オーディンの前に跪く。
「なんのなんの。毎年の楽しみである夏至祭が今年も無事に開催されて良かったのう」
「はい。今から妖精族の娘達による、ダンスをお見せいたします」
「おぉ、それは楽しみじゃな期待しておるぞ」
「はいオーディン様。ご期待に添えますよう、最高の踊りをお見せいたします」
 シオンはヒラヒラと動けば揺れ、星屑をちりばめたかのようなキラキラと光る衣装に身を包んでいた。彼女達の背後を見ると既に数名の妖精族の娘達が広場の中央で円となってスタンバイしているのが見える。シオンはそのままオーディンに一礼し、その円の中央へと向かっていった。バイオリン、ピアノ、ハープ、笛。数多くの楽器が音を奏で始め、音を交わらせていく。その音と共に踊り子達が優美に舞う。彼女達がくるりとまわる度に、甘い花の香りが鼻に伝わる。彼女達はまさしくこの国の可憐な花達だ。
  ロキは踊りを鑑賞しながら、チラチラと踊りを観覧する群集の中を眺める。シギュンがもう来ていないか探しているのだ。
「あ」
「ん? どうしたロキ」
「あー……オーディン、ボク別の場所で見て来てもいいか?」
「なぜじゃ? ココ以外によく見れる場所はないぞ?」
「そうだけど……まぁ、理由はなんでもいいだろ! それじゃ!」
「ロキ! 貴方って方は」
 ロキが小走りでこの場を後にしようとすると、背後からバルドルが小声ながらも怒気を含ませた声で彼の名を呼ぶ。
「説教は後で聞くよ。それじゃ」
 そうして帰った後に彼からの説教が確定していながらも、ロキ心はなぜかワクワクしていた。群集の中を掻き分けて辿り着いた先には。
「シギュン!」
「ロキ」
 見上げる程ある高い木の枝に、シギュンは座っていた。
「どうしたの? 待ち合わせまで、まだまだ時間があるけれど」
「君があそこから見えたから。そこ、危なくない?」
「心配はいらないわよ。この枝は力持ちみたいだから」
「そう」
「あっ。私が重いとかじゃないわよ! この木は私が乗っても微動だにしないから」
「? 分かってるよ、だからそんなに必死に弁解しなくたって⁉」
「どう重くないでしょう?」
 シギュンが突然枝からロキの元へと飛び降りてきた。ロキがちゃんと受け止められる保障などないというのに、彼女はとても暢気に彼に顔を近づけて自信満々にそう言う。
「重くないよ。むしろもっと食べたほうがいいんじゃないか? 軽すぎて怖いぐらいだ」
「ふふ。なら美味しいもの食べさせてちょうだい」
 彼女はロキから離れ地面に足をつける。
「もうお仕事はいいの? 始まったばかりでしょ?」
「ずっとオーディンの隣に立っているだけだし、やっぱりいいかなって。何かあればすぐに戻ればいいし」
「そう。怒られても知らないわよ」
「もう説教確定だから怖くも何も無いよ。さっ、行こうか。色んな花を見に行こう」
 ロキがシギュンに手を差し出すと、彼女はこの国に咲く花に負けないくらいの輝きで笑顔の花を咲かせていた。
 それから彼女と国中に咲く花、花を使った雑貨や紅茶やお菓子などが売っている店を見てまわり、空は橙色へと衣替えしていく。太陽が温もりを感じる橙の光を纏いながら沈んでいくのをロキとシギュンは会場から少し離れた所で見ていた。広場からはまだ子供や大人達が演奏に合わせて騒いでいる音が聞こえてくる。
「綺麗ね。……貴方の髪色のように」
 彼女の突然の甘い言葉に、ロキは顔をこの空のように赤らめる。
「……なんだか、そう言われると照れるな。ありがとう。嬉しいよ」
「ふふっ。……こちらこそ、今日はありがとう。色んな花やお店を見れて、とっても楽しかったわ」
「……幸せ?」
「え?」
 彼女は少しだけ、口をポカンと開けてしまう。そんな彼女を見て、ロキは手をぶんぶんと振る。
「あー。ごめん。いきなりすぎた。その……一昨日、君は幸せにしてくれたら、って言っただろ? ボク、幸せってものがよく分からなくて。今まで誰かと深く関わったことなんて無いし。オーディンとバルドルは、やっとって感じだから……だから今日、君をここに誘ったら幸せだって感じてくれるかなって」
 シギュンは黙ってロキを見つめる。
「それに、君はボクの愛がほしいと言ってくれたよね。それもボクには分からない。でも、それがとてもあたたかい気持ちだっていうのは分かる。でも、あげ方がまだ分からない。だから、それを君が満足して、幸せにしてあげられる自信はまだ無いけれど……」
 彼女の目の前に、真っ赤な花を見せる。
「ここに誓う。君を幸せにするって」
 真っ赤な、一輪の愛を誓う薔薇。 薔薇を受け取ってくれた彼女の顔は、夕日のせいか少しだけ赤いように見えた。
「幸せになりましょうね、ずっと」

◇◆◇

   そうして二年が経った。
 まだまだぎこちない関係だけれど、ロキはそれなりに幸せという感情に浸りながら、彼女との充実した日々を過ごしている。彼女からはまだ、「幸せだ」という言葉は聞けていないけれども。
「ならば結婚だ」
「……それ何度目だよファフニール」
 今、ロキはバルドルの付き添いで小人の国に来ている。バルドルの用事が終わるまでファフニールの家で駄弁っている最中で、彼がその話題を出してきたのだ。彼がこの話題を出してくるのは、ロキの耳にたこが出来てしまうほどに聞き飽きた内容である。彼女の事を知っているのはバルドル、オーディン、そしてファフニールだけである。ロキはバルドルとオーディン以外に教える気など無かったが、ファフニールは彼の機嫌がいいからと何があったのかとしつこく聞いてきた為、仕方なく彼女の事を教えた。しかし、ロキは話さなかったらよかったと今更後悔している。
「もう二年だろう。結婚のことも考えねばな。それに、幸せにしてくれたら自分の事を話すと言っておったんだろう? 話を聞く限り悪い子じゃなさそうだし……結婚という幸せの道の分岐点の一つを通るのは普通とは思わんか?」
「そりゃそうなんだろうけど……タイミングとかよく分からないし……」
「ならば夏至祭はどうだ? ちゃんとお主の気持ちも伝えた日だろうし」
「あー。そういやまたその季節だな」
「そうだ! ちょうど良い石が手に入ったんだぞ」
「石?」
 ファフニールが部屋の奥にある物置のような場所の扉を開けゴソゴソと何かを探し始めた。そうして「あった!」と叫びながらこちらへと戻ってきた彼は持ってきたものを机の上に置く。その置かれた手のひらサイズの石は煌びやかな碧色をしていた。
「モルダバイトっていうものさ。綺麗だろ~。これを指輪とかに」
「だっ! だから結婚は」
「まったく頑固な奴……ならばお揃いのものにすればいいだろう」
 お揃い、という単語にロキは胸を踊らせた。
「なら、指輪作ってくれないか?」
「任せろ。なら彼女の指のサイズを……」
「それなら××cmだった」
「お前さん文句言いながら乗り気だな」
「なんとなく! なんとなく測ってみただけだから!」
「ロキ、何を騒いでるんだ」
 そうしている間にバルドルが家に入ってきた。
「バルドル。用事は終わったのか?」
「あぁ。もう帰ろうと思ってるのだけれど、ロキは?」
「そうだな……あ。なぁ、バルドル。ちょっと休まないか?」

◇◆◇

「どこに行くのかと思えば、貴方の昼寝場所か」
 ロキはバルドルは八本足の馬スレイプニルに二人で乗り、ロキと、今では彼女とのお気に入りの場所である森の奥にある昼寝場所へと向かっている。
「今の時間が一番木漏れ日が気持ちいいんだよ。君、また根を詰めているようだし。息抜きも大事なんかじゃないか?」
「それはどうも。けれど本当に私も行っていいのか? 貴方の彼女さんがいるんじゃ」
「居るなら君は邪魔者だから誘わないよ。元々今日は会えないって聞いてたから、一人で昼寝しに行くつもりだったんだよ。あっ、そこを右にまっすぐだ」
 そうして昼寝場所まで辿り着く。スレイプニルを残し、彼等は目と鼻の先にあるそこまで歩いた。
「あ」
 そこには、また先客が居た。その後ろ姿に、ロキは見覚えがあった。
「ロキ、もしや彼女が」
「そう。紹介してやるよ」
 そう、シギュンである。
 今日は来ないと言っていたからこそロキはバルドルを誘ったのだが、どうやら予定が変わったらしい。それはそれで嬉しいのか、ロキの口は無意識に口角を上げている。そして、そんな顔のまま、バルドルに紹介する為にロキはシギュンの背後へとゆっくり近づき、彼女の肩に手を置く。
「シギュン」
「っ⁉」
 彼女の身体がビクリと跳ね上がる。
「今日は来ないって言っていたじゃないか。どうし……え」
 こちらを振り向く彼女の身体には、■■■■■■■■。