「どうやら、まだ追ってこないみたいですね……良かった」
背後を確認し、胸を撫で下ろすナルとフェンリルは、長い廊下を走っていた。
「あんなに凍りつけてやったんだ。そう早くに抜け出してくる者はいないだろう……それより女」
「……ナルです」
「あぁ?」
「私の名前は、ナルって言います!」
「あぁ、そう。で、だな女」
「速攻で無視しないでください! 悲しいです!」
ナルの自己紹介もむなしく、フェンリルはわざとなのかどうか分からぬが、そのまま話を進めていく。
「その杖の力を使ってまで、なぜ奴等を生かした。今回は力が貴様を気に入ったのかは知らないが、もしかしたら貴様自身が凍りつけ状態になるところだったんだぞ」
ナルはいまだ自分の手に握っている杖を見つめ、ギュッと力を込める。
「それでも……もう、誰かが死ぬ姿なんて見たくないんです」
彼女の頭に浮かぶのは、妖精の国で起きたあの日の記憶。多くの妖精族がレムレスの大きな口や刃によって、死を迎えていった。
「自分を傷つけた者でも、か」
「死んでほしいとまでは思っていません! 貴方の力を借してくださって、そして助けてくださってありがとうございました。……それで、一つ質問いいですか?」
「なんだ」
「どうして、私を助けてくれたんですか?」
フェンリルは少し間をあけ、話す。
「ある、知り合いに似ていたからだ」
フェンリルがそう話す声のトーンは、今までの冷たいものではなく、ほんのりと暖かいもので、そして寂しげなものであるとナルは感じた。
「だからだろうな。その杖も、貴様をその知り合いに似ていると感じているから、お前に使われる事を許しているんだろうな」
フェンリルの説明に、今までこんな物を触ったことも使ったこともなかったナルにとっては、「そういうものなのか」と感心する。ナルはその話を聞いて、「あの、その知り合いの方って」と話を続けようとしたものの。
「あそこだ!」
という、第三者の声によってその話は終わりとなった。ナルとフェンリルの前方に、あの時凍りつけにならなかった巨人族の者達が現れたのだ。
「どうしよ、きゃっ!?」
フェンリルはなぜかナルの服に噛みつき、ひょいっと彼女を自分の背中へと飛ばし、攻撃態勢をとる。
「フェンリルさん! いきなり何ですか!? 驚くじゃないですか!」
「悪い。まぁ、ざっと数十人の雑魚だ。すぐに蹴散らして、通り抜けてやるから。ちゃんと、掴まってろよ」
フェンリルの声色がまた、低く冷たいものとなり、彼の獣を覚醒させる。ぐるるる……と唸る声に怯む巨人族だが、それでも彼等は彼に向かって進軍する。そんな彼等に向かって、フェンリルは牙や爪でひっかき、大きな口や手足で豪快に蹴散らしていく。ナルは悲鳴が渦巻くこの光景を見ぬように、ギュッとフェンリルの毛を掴みながら目を強く瞑った。
少し時間が経ち、もう悲鳴が聞こえなくなった頃。
「なんだ、貴様は」
という、フェンリルの声がナルの耳に届く。その声につられて目を開けると、多くの倒れた巨人族の真ん中に、黒いローブを纏う者がいた。その者が一体誰なのか、首を傾げているナルと威嚇するフェンリルにその者は「ついてこい」と一言そう言って、歩き出してしまう。従っていいものかとフェンリルもナルも戸惑っていると、その者が一旦立ち止まって彼等の方へと振り返る。
「この国の外まで案内するだけだ。安心して」
と優しげな声音で言ってから再び歩き出した。
「……どうする」
「どうするもなにも……ついていきましょう。今更ですけど、私ここの出入口分りませんでしたから」
「最終手段で、窓を割って外に出る事も出来るんだが」
「安全に行きましょう。安全に」
ナルの言葉に「見ず知らぬヤツについていくのも、安全ではないと思うがな」と指摘しながらも、仕方なくフェンリルはその者の後を追い始める。
そして何故か巨人族と遭遇する事なく、その者が言った通りに、国の外まで難なく辿り着くことが出来たナルとフェンリル。
ナルはもう安全だろうとフェンリルの背中から降り、案内してくれた者に話しかけた。
「あの……案内してくださって、ありがとうございました。私は」
「ナルさん、だろ?」
「えっ」
その者が、なぜ自分の名前を知っているのか。その事に一驚している彼女に、彼はフードを脱ぐ。脱がされて顕となった頭部には、月明かりで輝く金色の髪を持つ男が、ニコリと彼女に微笑む。
「一応、はじめまして。僕はホズだ」
その名を聞いてナルは目を丸くさせ、隣に居たフェンリルも「あぁ、あの盲目の」と呟いた。ホズの髪は、兄のバルドルと同じく美しいのだが、前髪が彼の光を差さぬ目を隠すかのようにとても長かった。
「おい、案内してもらったことは感謝するが。これだけ聞かせろ。なぜ、神族である貴様がここにいる?」
フェンリルの質問に、ホズは淡々と話す。
「巨人族と神族で、戦争をするために」
「せっ、戦争⁉ どうして……どうして貴方が、神族と巨人族との戦争を望んでいるんですか⁉」
彼の異様な発言に驚愕し顔色を変えるナルに、ホズは苦痛に歪んだ表情を見せながら話す。
「望んでいる、というより。そうしなくてはいけないのさ。終わるはずだったこの世界を、正しく終わらせる為に。ストーリーテラーが変えようとした、運命。ラグナロクを」
「ラグ、ナロク?」
「そう、ラグナロク。神族と巨人族が、憎しみをぶつけ合い、殺し合い、炎によって滅ぼされた戦争だ。それが、この偽りの世界の、正しい運命だ」
その話を聞いたナルは頭の片隅で、その戦争を変えたくて夜だけの世界にさせてしまったストーリーテラーは、もしかしたら良い人なのではないか、と彼女は考えてしまったのだ。
「もしかして、ストーリーテラーが良い奴だとか考えてないか?」
ホズの彼女の考えを見抜いた言葉に対し、彼女は無言で頷いた。そんな彼女の返しに、ホズは「あぁ、優しい君らしいね」とナルやフェンリルに聞こえぬよう呟く。
「これからの為に、ナルさんには話しておこう。……ストーリーテラーは、そんな
大それた理由で禁忌を起こしちゃいないよ。とってもくだらない理由……たった一つの家族を救う為に、愛と幸せの為に」
「そこまでだ」
彼等の話に、ある声が割って入った。その声が聞こえたのは、いつの間にかホズの隣に新たな黒ローブの者がいた。
「おい、言い過ぎだぞ。彼女に言ったって意味は無い。逆に、彼女が先に思い出したらどうするんだ」
「別に構わないだろ。彼女にだって、知る権利はある」
ホズの反抗的な返しに対し、黒ローブは「ちぇ」と舌打ちをする。突然の謎の人物
の乱入に、フェンリルが再び戦闘態勢をとるも、ナルだけは黒ローブを食い入るよう
に見ていた。
「たくっ、本来ならフェンリルと彼女がヤルンヴィドで出会うことになってたのに。色々と狂い出したな」
「――さん?」
彼女の消え入りそうな声に、その場にいた者たちが一斉に彼女に目を向ける。ナル
はもう一度怯えた目で黒ローブを見つめ、震えた声でハッキリと、彼の名を呼ぶ。
「ロキさん、ですよ、ね?」
彼女がそう呼ぶと、彼は。
「はっ」
笑って、血のように赤い眼を光らせた。