4篇 風の剣4


 生き残った女、子供、老人や怪我をして戦えない男達は、国の東側にある講堂に身を潜めていた。子供達は今の状況に怯えて泣き喚き、母親はそれをなだめていた。こんな建物の中でも、今まで彼等がいたところから多くの叫び声が聞こえてくる。耳を塞ぎたい衝動に駆られながらも、そんなことをしてはいけないとナリは耳を塞がなかった。塞ぐと、音は聞こえない。世界から切り離されているかのような感覚になる。それでも今は、切り離してはいけない。そう強く誓いながら、ナリは隣で震える妹の頭を優しく撫でる。
「大丈夫。俺が守るから」
 ハッキリと、強く自分にも言い聞かせるように言うと、ナルはその言葉に対しゆっくりと頷いた。それを見届けたナリは傍に置いていた剣を握り、講堂の扉へと向かう。今、ヒイラギが扉の前で見張りをしており、彼はその交代をするために向かうのだ。
「大丈夫ですか?」
 と、精霊の女がふわふわと浮かびながら上から現れた。
「大丈夫……って言いてぇけど、まだ少し怖いや。悪りぃな、アンタも巻き込んじまって」
「謝らないでください。私がここにいるのは私の意志。巻き込まれてしまったのなら、それもまた運命だと考えましょう。それに……」
「それに?」
 彼女はためらった様子を見せながら、ナリの顔をジッとみつめるも、「いいえ。なんでもありませんわ」と結局彼女は、何も言わなかった。そうしているうちに扉へと着いたため、ナリは扉を叩く。
「ヒイラギ。交代しよう」
 そうナリが呼びかけたのだが、反応はなかった。嫌な予感が背筋を冷たく流れる。
「ヒイラギ。おい、ヒイラギ!」
 小声で、後ろにいる皆に不安が伝わらないように、彼の名を呼びながらドアノブを掴んだ。扉が古めかしな音をたて、よりいっそう不安を膨れ上がらせるかのようにゆっくりと開く。
 刹那――殺気がこちらに向けられた。
 ナリはすぐに身体を外に出し、扉を閉め、剣を構える。ヒイラギはぽつんと背中をこちらに向けて立っていた。その腹には血の花が咲かせて。ナリが再びヒイラギの名を呼ぼうと口を開こうとしたが、それと同時にヒイラギの奥から黒いモヤが円を描きながら広がっていき、彼の全てを覆っていく。
「ヒイラギ!」
「いけません! もう……間に合わない」
 ナリはヒイラギの元へと行こうとしたのを、精霊の彼女に止められてしまう。そして、とうとうヒイラギの身体は全て黒いモヤに飲み込まれて、消えてしまう。ヒイラギが消えた代わりに、ナリの視線の先にレムレス、シオンの姿があった。シオンは先程と変わらず、「オヤスミ オヤスミ」とボソボソ呟いている。ナリはそんな彼女に、怒気を含んだ声で問いかけた。
「アンタは……なんでレムレスになったんだ?」
 無言。
「いきなり現れたレムレス達はアンタが連れてきたのか⁉」
 無言。
「仲間だろ! 一緒の種族で……家族だっただろ! なんで! なんでこんな事を!」
「……ズルイ」
「……ずるい? 何が」
 シオンはそう言いながら顔を元通りになっている両手で覆い、彼女はすすり泣く声で言う。
「ズルイ ズルイ ズルイ ズルイ ズルイ ズルイ ズルイ ズルイ ズルイ ズルイズルイ ズルイ ズルイ ズルイ ズルイ ズルイ ズルイ ズルイ ズルイ ズルイ アノヒトガイナイノニ アノヒトハシンデシマッタノニ モウカエレナイヒトナノニ ドウシテミンナハソンナニタノシクデキルノ ソンナノワタシニハデキナイカラ ズルイ ズルイ アノヒトガイナイノニ アナタタチガイキテイルノガ ズルイ ダカラ ミンナ モ」
 ニッコリと、シオンが笑う。
「シンジャエバイイノヨ」
 ゾクリと、背筋が凍る。その笑みには、冷たさしか感じられなかった。
「っ!」
 シオンの腕がナリめがけて伸びてくる。また切ってやると彼は前へと歩み剣を構えるも、そんな考えは甘かった。伸びてきた手に剣をふるうも、切ることはできずに押さえ込むことしか出来ない。それもそのはず。彼女の手はいつの間にか刃となっていたからだ。
「――?」
 ふと、左腹部に違和感があった。彼が斜め左下を見ると、シオンのもう片方の刃が腹部を刺していたのだ。血がじわじわと服に染まっていき、違和感は痛みへと変貌する。
「――ッ!!!!!!!!!!!!」
 声にならない痛みが、血が、彼の身体を許可なく走り回り流れていく。彼の剣を握る力が弱まり、膝をつく。
「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」
 と、少しの激痛と叫びと共にシオンの刃が身体から離れた。下を向いていた目をシオンの方に目線を移すと、呻き声を上げながら胸に突き刺さる数本の光の弓を必死に抜こうとしていた。
「すみません。助けに入るのが遅くなりました!」
 隣にいた精霊の彼女が、申し訳なさそうにナリに謝った。
「謝るなよ。こっちこそありがとう、助かった」
 ナリは刃が抜かれた傷部分を手で塞ぎながら立ち上がる。かなりの出血量だからか、ナリの目から見える景色は少しぼやけていた。彼は背後にあった扉へともたれ、一息つき、自分の震える手に強く力を込める。止まれ、止まれ、止まれ、と。
 彼にとって、初めての戦闘だ。初めて何かを斬り、初めて何かに刺され、初めて自分の血が流れ出る痛みを知り、ミッドガルド以来、本当に殺されかけているのだ。彼の中に残っていた恐怖心が再び膨れ上がっていく。ここに、あの時助けてくれたロキは居ない。頼れるのは隣でシオンに矢を向けて警戒する精霊だけ。そして、自分の今ある力だけ。
「兄さんっ!」
 扉の向こう側から、ナルの震えた声が聞こえた。講堂にレムレスの叫び声が聞こえてしまったのか、彼女は戻らぬ兄の身を案じて来たのだろう。
「ナル。来んな。その扉から離れてろ」
「兄さん、ねぇ、大丈夫なの?」
「……大丈夫さ」
 大丈夫なわけがないだろ。彼は心の中で叫んだ。
「兄ちゃんを、信じろ」
 腹から流れる血が気持ち悪い。呼吸が苦しい。手が震える。
こんなとこで、死にたくない!
 姿の見えない妹に、精一杯の見栄を張るナリ。息が荒れ始めた彼に、精霊が声をかける。
「……一つ、私に案があります」
「案? なんだよ案って!」
 ナリが詰め寄ると、彼女は微笑みながらナリの前にひざまずき、彼の手をとって言葉を紡ぐ。
【我が階級は風の精霊。真名はエアリエル。汝を我がマスターとし、ココに契約の証を刻む】
 そして彼女は、彼の手の甲にくちづけをした。
「なっ、何するんだよ……⁉」
 彼女――エアリアルの突拍子もない行動に彼は目が飛び出てしまいそうなほど開き、すぐに彼女から離れる。
「ですから、私からのあの者を倒すための案」
「こ、これが?」
 口づけをされた自分の右手に、ある違和感を覚える。見ると、彼女の瞳と同色の線が手の甲にある模様を描いていく。それは、まるで風を感じさせる、かろやかでしかし強さを秘めた刻印だ。描き終わると、刻印は一瞬煌めき彼の手の甲を飾った。
「何、コレ?」
「これは私との契約の印。私の精霊の力を貴方の為に使う。それが契約」
「いや、そんなの――」
「ちなみに、契約破棄はこちらからお断りします。貴方様の意思は受け付けませんので」
「はぁ⁉ いやだから。なんでそんな事を」
「?」
「契約って、大事なもんだろ? 緊急事態だからってそんな簡単に――」
 彼女の指がナリの口に触れる。
「自然というものはとっても気まぐれなのです。特に風は、ね。ゆらゆらと気の向くままに流れていく。それが私。だから今、私が貴方と契約することを深く考えることはないんですよ。私のたんなる気まぐれにお付き合い下さい……ナリ様」
 エアリエルは嘘偽りない、真っ直ぐな目をして言った。それでもまだ納得のいかない、でも彼女を問い詰めようにも、それは許されなかった。
「ナリ様、奴が」
「……あぁ」
 シオンが全ての矢を抜き終わったのだ。そこで、エアリエルが優しくかつ冷静にナリに話しかける。
「さて。ナリ様は風と聞いて何を想像しますか?」
「はぁ? 今関係あるのか、それ?」
 エアリエルが「もちろん」と頷くのを見て、ナリはシオンをチラチラと見ながら考える。
「軽い感じ、綺麗、なんか早そう!」
 ナリは頭に浮かんだ単語を口に出したのだが、その答えにエアリエルが少し吹き出す。
「笑うな」
「ふふっ。では、剣を右に握ってくださいな」
「こうか?」
「では、失礼致しました」
 エアリエルに言われたように左手に握っていた剣を、模様のある右手へと移す。彼女は彼の手の甲に描かれた模様に触れる。するとエアリエルが弓を出したのと似た緑の光の筋が現れ、その輝きによりシオンが怯みだした。その間に光の筋は竜巻の様に渦を巻きながら、細身の剣を包んでいく。剣は輝きを取り戻していき、刃の部分には刻印と似たような、飾りが施されていた。柄頭には黄緑に輝くペリドットがある。俺はその宝石をひと撫でする。
『美しいでしょ?』
「あぁ……ん⁉」
 その輝く宝石から、エアリエルの声がした。ナリは慌てて彼女がいたはずの自分の目の前に目線を戻すも、そこに彼女の姿は無かった。
『驚かせてしまい申し訳ありません』
「あのさぁ、もうちょっと説明してからやってくれよ」
『時間がありませんので』
「まぁそうなんだけ、どっ!」
 シオンがナリに向かって突っ込んでくる。が、ナリは瞬時に剣を構えてシオンを止めた。先程までの彼なら吹き飛ばされていたかもしれないが、エアリエルの入った剣なら何も問題はなかった。彼はそのまま全体重を剣にかけて、シオンの腹部を斬りつける。その傷口から今まで以上の黒いモヤが漏れ、彼女は後ろへとよろけた。よく見れば、先程突き刺さった矢の傷痕だろうか、彼女の身体のいたるところからモヤが溢れていた。
『もう彼女も長くは保たないでしょう。ナリ様、後ろへ下がってください』
 エアリエルに言われるがまま、ナリは前足を蹴って大きく後ろへと下がる。
「何するんだ?」
『イメージしてみてください。彼女を一気に倒す景色を。それをこの剣に込めてください』
「またイメージ……」
「イメージって大切なんですよ? そして、そこに私が名前を授けましょう」
 ナリは顔をしかめるも、ここを乗り切るためには、とうんうんと唸りながら考える。そして柄を両手でしっかりと持ち力を込めると同時に、エアリエルの宝石と刻印が光る。
《ラピオ・ウェンティー》
 風が吹く。
 それらは呪文を唱えた彼の元へと集まり、まっすぐ構えられていた剣は半円を描くように横へと振られる。その衝撃が彼の周りに集まっていた風を包み鋭き風の刃となってシオンを真っ二つに斬った。
 彼女の口が、ゆっくりと動く。今度は悲鳴ではなく、化け物としてではなく、シオンとして、ちゃんとした言葉で。
 「ありがとう」と。
 シオンの黒いモヤで出来た身体は地面に落ちることなく、濃紺の空へと登り、消えてしまった。あっけない、終わりであった。
「……ありがとう、か。うおっ、と」
 ナリはドッと身体が重くなったのを感じ、地面に寝転がってしまう。
「あの、ナリ様?」
 隣にはいつの間にか元の姿へと戻っていたエアリエルが、何故か戸惑いの表情を見せて彼の名を呼んでいた。そんな彼女の様子を不思議に思いながら、ナリは「どうした?」とエアリエルに優しく問いかける。エアリエルはナリが聞く姿勢をとっても、聞くべきか否か悩んでいるのか、いっこうに話そうとせず目線を右往左往と泳がせているだけである。そんな彼女の行動にナリは頭をかく。
「どうしたんだよ、エアリエル」
「っ!」
 ナリが彼女の名前を初めて呼ぶと、エアリエルは身体を震わせながら、目から大粒の涙を零していく。
「えっ!? ちょっ、なんで泣いて!?」
「な、泣いてなんか、いません」
「いや泣いてるから。それどう見ても、泣いてるから」
 突然エアリエルが大粒の涙を流す姿に、驚きのあまり寝転がっていた上半身を起こし、あたふたしていると。
「兄さん!」
「うおっ」
 ナリを呼ぶ声と共に、背中に温もりが感じられた。その温もりの主を見ようと背中側を見ると、ナルが泣きそうな顔をして、兄の身体をギュと抱き締める。
「兄さん、大丈夫? どこも怪我してない? 隠してもどうせ分かるんだから隠さないでよ。あ! ほら! 血が出てる!」
「落ち着け、落ち着けって!」
 兄の言葉をにわかに信じられないのか、ジト目で見つめるナル。そんな彼女に涙を引っ込めたエアリエルが話しかけた。
「ひとまず妹さん、落ち着いてください。今は血も落ち着いてますから、焦らず言う通りに」
「エアリエル、ナルには見えないんだから喋っても――」
「えっ、えぇっ⁉ 誰⁉」
「視えるのかよ!」
「視える? どうゆうこと? 幽霊なのこの人?」
「思考が一緒とは、流石兄妹という所でしょうか」
 兄妹とエアリエルがそう話しているあいだに、妖精族達がぞろぞろと講堂から出てきた。それとほぼ同時に、茂みの奥から精神や体力を消耗しきった戦士達が現れる。抱き合って泣く家族と、大切な人の姿が見えないのを悟り、子を抱いて泣く者達。そんな彼等を見て、ナリは目を細める。
「……救って、やれなかった。……」
「え、兄さん? 兄さん!」
「どうやら、眠ってしまいましたね」
 ナリは妹の腕の中で、ペチペチと頬を叩かれても起きず、スヤスヤと寝息を立てて寝てしまった。
 なぜレムレスは生きた者を襲うのか、彼女はなぜレムレスなんてものになってしまったのか。それが化け物としての本能か、何か意志や目的を持っての行動か。彼女も、なぜレムレスになってしまったのか。悲しき結果ではあるけれども、何も疑問は解決せず、レムレスとの戦いは幕を下ろしたのだ。