2篇 炎照らす銀3


「もう見えてるだろうけど、こっから真っ直ぐ行ったら門がある。その近くに、確か馬が売られてたはずだぜ」
 ロキと兄妹は焦げ茶のマントを羽織り、見送りのために街の入口に立っていた。兄妹は人の目があるため、フードを深く被って顔を見えなくしている。
 ロキはアースガルドへ帰るために馬が必要な為、街に馬を売っている場所がないかを兄妹に聞いたのだ。運良く兄が場所を知っていたため、街の中まではいけないが入り口付近でそこを案内をしたのだ
「分かった。ありがとうな教えてくれて。また何か礼しにくるよ」
「……礼、ね」
 ロキのその言葉に少し考えるそぶりを見せるナリ。ナルはロキに向かって小さく手を振る。
「ロイさん、気をつけて」
「あぁ。じゃあ、またな」
 ロキが笑顔を向けるとナルも少しだけ微笑んだ。
 そしてロキは兄妹と別れ、言われたようにまっすぐ進んでいけば、多くの店が立ち並ぶ通りに着いた。煉瓦作りの家が多く立ち並び、大通りではパンを作るための小麦粉や、肉、野菜、果物、魚などを売っている出店が街を活気づけている。
 皆、よく笑っていた。外の現実に偽りの空という蓋をして。
 そうこうしているうちに、ロキは目的の門に着いた。約八メートルもあるであろう城壁と、頑丈な鉄で出来た門がそびえ立っている。その近くにちゃんと馬を売っている場所もあった。
「さて、と。馬を買ったとしても、この門を通してくれるかが問題だな。神族だって言えば大丈夫か」
「「ロイさん!」」
「えっ」
 自分の偽名を叫ばれたことに驚き、背後を振り向くと。先程別れたはずの兄妹がロキの元へと走ってきていた。そして、兄妹がロキの元へと辿り着く時には、かなり息が荒れてすぐには喋れないでいる。人間達の目があるからと見送りを入り口までにしたというのに、なぜ彼等は来てしまったのか。兄妹の行動に戸惑うロキは、落ち着き始めた彼等に話しかける。
「君達、なんでここに」
 兄妹はフードをぎゅっと握りしめながら、喋るために息を整える。
「私達……さっき、話して決めたん……ですけど」
「アンタの言う、お礼。それを今使いたくって……さ」
「今?」
「あの……俺達も一緒に!」
 ピシッ。そんな何かにヒビが入ったかのような大きな音が、この国全体に響く。
「きゃああああああああ」
「見ろよ! 空が!」
 悲痛な叫びとその声と共に、ロキや兄妹、その場に居た者達全員が空を見上げる。その空には青空が広がっている、はずだった。
「なん、で」
 その空は、割れていた。
 ヒビが入り裂けているのは一部分だけで、そこから外にある濃紺の空が広がっているのが見える。しかし、ヒビはどんどんと広がっているため、結界全てが割れてしまうのも時間の問題だろう。
「きゃっ!」
 空が割れてしまったことにより外の強風が国に入ってきて、ナルのフードが脱がされてしまう。彼女は慌ててフードを被り直すけれども。
「化物だ! 化物がここにいるぞ!」
 銀の髪は割れてしまった空よりもおおいに目立った。その声により、多くの人間達の刃のように鋭い目線が、割れた空からロキと兄妹達へとむけられる。
「なんでこんな所にいるんだよ」
「もしかしてアイツ等があの空を壊したのか?!」
「そうだ! そうに違いない!」
「化物が私達の平和を壊したのよ!」
 兄妹に、無数の冷たく尖った言葉の矢が放たれる。ナルは地面へと座り込み、その言葉を聞かぬよう震えながら強く耳を塞ぐ。ロキはそんな彼女に哀傷に満ちた目を向け、その肩に手を置きながら、人間達に向かって口を開こうとした。しかし、先にナリがロキとナルの一歩前に出て、人間達を睨みつける。
「……アンタ等なぁ! いつもいつもいつも俺達のせいにしやがって! 俺達は何もしてない! ただ髪や目の色がアンタ等と違うだけで、アンタ等の鬱憤を晴らさせるための物じゃねーんだよ! 俺達だって――」
 ナリの身体が、誰かの手によって宙に浮く。
「兄さん!?」
 ナリの横から厳つい大男が現れ、彼を持ち上げたのだ。その
いかつい手がナリの首元を絞めつけている。何とか逃げようと手を退かせようとするも、びくともしない。
「このクソガキが! やっぱりさっさと殺しとけば」
「離せよ」
「……なんだぁ、お前?」
 ロキはナルから離れ、ものすごい剣幕で大男の腕を掴んでいた。突然の乱入者、しかも化物を庇う彼に人間達はどよめいている。
「いいから、離せっていってるんだよ!」
「離すわけないだろ。ここでこんな化物を殺すんだよ」
「君、相手は普通の子供だぞ! 殺すことなんてないだろ!?」
「普通じゃねぇだろ! こんな銀の髪や目なんかしてよ!」
 ロキがどれだけ言っても、大男はナリの首から手を離さず、更に力を強めていった。
 ロキは、あの家に居た時の兄妹の様子を思い返していた。二人だけで仲睦まじく暮らす姿を。ロキの出した炎を目を輝かせて見惚れている姿を。そんな姿は、俗に言う化物とはかけ離れている。それなのに、この人間達は彼等の見た目だけで判断していた。そんな姿勢に、ロキは人間達に激憤しているのだ。
「……あぁ、そうか。じゃあ……悪く思うなよ」
「は?」

《アメット・フランマ》

 ロキが大男を睨んだと同時に、彼の怒りが炎となり彼の手か溢れ出す。
「うっ、ああああああああ!!」
 炎はナリに移ることなく、大男の右腕だけを包み込んでゆく。大男は耳を塞ぎたくなる程の絶叫をし、後ろへと大きく下がった。そのため拍子にナリの首がその手から離され、地面に勢いよく落とされてしまう。ようやく充分に吸える状態に咳き込みながら、ナルがすぐさま兄の傍へと駆け寄った。
「兄さん、大丈夫!?」
「ゲホゲホッ……あ、あぁ……」
「今の、まさか魔法か?」
「じゃあアイツ、いやあの方って、まさか神族か!?」
「いや。それでも、なんであの化物兄妹なんか助けるんだよ」
 周囲の野次馬達が、ロキの使った魔法により一層ざわつき始める。
「ナリ、大丈夫か?」
 ロキはそんな人間達の事など無視をし、呼吸を整えて落ちつき始めたナリに手を差し出す。彼はロキをジッと見つめてからその手を掴み、ゆっくりと立ち上がった。
「大丈夫。……ありがとう、助けてくれて」
「おい! あんた!」
 またも耳をつんざく程の怒号が周囲に響き渡る。それは、さっきの大男であった。炎はもう残っていないが、彼の腕はほとんど真っ黒焦げになっている。
「よくもやってくれたな! あんた、こんな化物庇って何か意味でもあんのか? あぁ?」
 ロキは兄妹の前に立ち、その大男に向かって怒気を含ませた声で言う。
「だから化物なんかじゃねぇさ。意味なんて、この子達は年相応の普通の子供達だから助けた。それだけだ」
 ロキが何度も自分達は普通の子供であると言ってくれた事に、ナルは瞳を潤ませ、ナリは彼の背中を見つめていた。しかし、そんなロキの言葉に大男は鼻で笑った。
「普通? んなわけねぇだろ! だってソイツ等はこの世界が」
「一体何の騒ぎですか」
 凛とした女性の声が、その場を静めさせた。それは皆の頭上からであり、視線をロキからそちらへと移すと皆が歓喜の声を上げる。その声につられロキも結界へ目を向けると、「げっ」と声を上げて、すぐさまマントのフードを被る。
 そこにいたのは、純白の翼と銀の鎧をみにまとった三人の美しき戦乙女ヴァルキリーであった。ヴァルキリーは裂けた結界から国の中へと降りて来た為、集まっていた人間達は彼女達が降り立つ場所を開けていく。
「結界の一部が割れ、不安でしょう。しかし、ご安心なさい。すぐに我等の最高神オーディン様が、修復してくださいます」
 二人がいまだに騒ぐ人間達を落ち着かせ、残り一人が大男へと近づく。
「貴方が先程騒いでいた方ですね。一体何が?」
 何があったのか聞こうとしたヴァルキリーだが、そこで大男の右腕が黒く焦げているのに気付き表情を曇らせる。
「貴方、なぜ腕がそのようなことに?」
「そっ! それはアイツ、が……あれ?」
 大男はヴァルキリーの美しさに見惚れていたが、彼女の問いかけに今までの怒りが彼の中に舞い戻り、目の前にいたロキ達を指差す、のだが。そこにロキと兄妹はいなかった。
「なんっで、いねぇんだよーーーーーー!」

◇◆◇

「あー、うるせぇうるせぇ」
 ロキと兄妹は、薄暗い路地裏で大男の悔しげな叫びを聞いていた。人間達はヴァルキリー達の登場により彼女達に目が釘付けであったため、その隙にひっそりと速やかに路地裏へと逃げてきたのだ。耳を塞いでいたロキに、ナリが「なぁ」と声をかける。
「ん? なんだよナリ」
「さっきの、神族に仕えてるヴァルキリーだろ? なんで逃げるんだよ。仲間だろ?」
 ロキが彼等から逃げたのが不思議で仕方がないナリ。そんな彼にロキは「ばーか」と罵った。
「ばっ!?」
「よく考えてもみろ。あの状況だ。仲間であってもあの場にいたら結局面倒なことになるし、君達はずっと嫌な目を向けられるし、ボクは説教確定だ。なら、人間達がヴァルキリーに夢中になってる今の内にアソコから逃げる方が得策なんだよ。分かったか?」
 彼にバカと言われ憤っていたナリだが、彼の説明に納得したからか「そうだったのか」とその怒りを鎮ていく。怒りの鎮まった兄を見守っていたナルが今度は口を開いた。
「あの。これからどうしましょう? もし家に帰っても、あの人達がやってくるかも」
 彼女が怯えながら話した内容にロキは彼等から目線を逸らし、自分がしてしまった事を後悔した。行動自体は勿論後悔はしていない。ただの子供である彼等を化物呼ばわりをし、殺そうとした事は、ロキにとって許せぬ事であったからだ。
 しかし、その後のことを彼は考えることができなかった。自分が今回こんな形で関わってしまったことにより、この兄妹は今まで以上にこの国に居ることが出来なくなった。もし、このままロキがミッドガルドを離れたとしても、あの大男がロキを求めてこの兄弟の家へやってきて、彼等を本当に殺すかもしれない。そして、それはあそこで逃げなくても同じであったかもしれない。今回の結界が割れてしまったことで生まれた不安は、兄妹へ重くのしかかるだろう。
 ロキはこの打開策を考えようとした。しかし、それはたった一つしか思いつかなかった。そしてそれは、あまりにもロキにとっては決断し難いものであった。どうするべきかと悩むロキに、ナリが挙手をする。
「俺に考えがある」
「? なんだよ。言ってみてくれ」
 ナリは妹に目配せをすると、彼女はその目配せの意味を理解し大きく頷いた。そして彼等はしたり顔でロキに詰め寄り、こう言うのだ。
「「私/俺達を、一緒に連れてってください!」」
「……へ?」
 兄妹の策に間抜けな声を出すロキ。
「さっき、礼を今して欲しいって言ったときにも言おうとした事なんだけどよ。礼として、んで解決策として俺達を」
「いや、言い直さなくて良し。聞いてたから。ちゃんと聞いてたから」
 兄妹が目を輝かせながら提案した策。それは、ロキ自身も考えていたたった一つの策であったからだ。共にこの国から出れば兄妹が人間達から化物と呼ばれることも痛めつけられることもない。泊まるところも、ロキには当てがあったため困る事はない。
 しかし、たった一つ問題がある。ストーリーテラーの事である。黒ローブの話からするに、ロキとストーリーテラーには何かしらの関係がある。だとすれば、ロキの近くにいればおのずと兄妹もその事に巻き込んでしまうかもしれない。
 自分に彼等を守る事が出来るのか。それだけが、彼は不安なのである。
 ロキは浮かない表情のまま、兄妹を見つめる。兄妹は鈍かった銀色の瞳に光を宿らせて、ロキを見ていた。ナリの首には、まだ掴まれた痕が残っている。
 それを見たロキは「あぁ、なんだ」と小さく笑った。
 彼の言葉に兄妹は首を傾げると、ロキはそんな彼等の頭をガシッと掴み、激しく撫で始めた。そんな彼の行動に兄妹は愕然とする。ナルはあわあわと慌てながらもほんの少し幸せそうに顔を赤く染め。ナリは最初は彼も頬をほんのり赤く染め受け入れていたが、耐えられなくなったのかロキの腕を掴み「やめろ!」と叫んだ。
「たっく。なんなんだよ、イキナリ撫でやがって!」
「いやぁ、悪い悪い。なんだか撫でてみたくなったからさ」
「なんだそれ。……で? 連れてってくれんの?」
 兄妹が不安げな目でロキを見る。そんな彼等にロキは優しく微笑んで「もちろん」と答えた。彼の答えに兄妹は不安げな表情から一変し、笑顔で歓喜の声を上げる。
 彼の心は、あのナリを助けた時に決まっていたのだ。
 守りたいから、傷つけられたくないから、だからあの時の彼は怒りに満ちていたのだ。
 なぜそんな感情を持つのか。助けてくれたからなのか、彼等の子供な一面を知ってしまったからか、今の彼には分からない感情であった。けれど。
「やったー!」
「えへへ、やったね兄さん!」
「……いい顔で笑うな、君達は」
 きっと理由は、彼等の笑顔が見ていたいから。
 今は、それだけでいい。とロキは心に決めた。